■オメラスとヘイルシャムの話その6
オメラスの話に戻ります。
「オメラスから歩み去る人々」の題名にある人たちはどういう人でしょうか。
その短編の最後はこうです。
彼らはオメラスを後にし、暗闇の中へと歩みつづけ、そして2度と帰ってこない。彼らがおもむく土地は、私たちの大半にとって、幸福の都よりもなお想像にかたい土地だ。私にはそれを描写することさえできない。それが存在しないことさえありうる。しかし、彼らはみずからの行先を心得ているらしいのだ。彼ら……オメラスから歩み去る人びとは。先が見えなくとも、進まなければいけない時がある。
若い頃読んだアーサー・C・クラークの「都市と星」を思い出しました。
アーサー・C・クラークは、話題になった映画『2001年宇宙の旅』の原作者です。
『都市と星』はなんと10億年後の地球の話ですが、そこに建設された都市ダイアスパーは完璧な都市と言われるほどの理想郷で、住民たちはオメラスのように、何不自由なく幸せに包まれて暮らしていました。
しかし、ひとりの若者がその理想郷から外部への旅に出かけるという話です。
実は、「外部に出たい」と思うと言うことは、「幸せではない」ということなのですが、ほとんどの人は先が見えない道に歩みだすことよりも、現状にとどまることを望みます。
その結果、現状を幸せだと思い込むことになるわけです。
確かに外部はこれまでの安住の世界とは違います。
踏み出すことによって失うことも多い。
得るものも多いでしょうが、それは確信が持てません。
そうやって、みんな現状に甘んじてしまう。
これは現在の原発依存社会そのものです。
しかし、先が見えなくとも、進まなければいけない時がある。
オメラスの幸せもダイアスパーの幸せも、実は「小さな幸せ」でしかありません。
「幸せ」とは比較概念ですから、「大きな幸せ」から見れば、「小さな幸せ」は「不幸」だともいえます。
念のために言えば、どちらがいいかは人それぞれです。
餌にこと欠かない動物園で暮らすのも幸せならば、餓死の危険のある野生の生き方も幸せです。
私は25年前に会社を辞めました。
それで幸せになったかどうか。
数年前までは幸せだったと確信していましたが、最近は迷いがあります。
しかし、「迷い」こそが、幸せの本質なのかもしれません。
ちょうど、知れば知るほど知らないことを知るのと同じように。
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