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2014/06/21

■「集団的自衛権」と「集団的殺傷権」

集団的自衛権の報道を見ていて、いつも感ずるのは、「自衛権」という言葉への違和感です。
多くの人は、この「自衛権」という文字に影響されているだろうなと思います。
いうまでもなく、すべての戦争は「自衛」のために行われます。
一見、単に侵略ではないかと思われるものも、侵略を始めた人の意識には「自衛」の要素があるように思います。
それがいかに自分勝手な論理であろうとも、です。

「集団的自衛権」を「集団的殺傷権」と呼び変えたらどうでしょうか。
ほとんどの人は、それには反対だというでしょう。
しかし、「集団的自衛権」と「集団的殺傷権」とどこが違うのか、私には同じように思います。

いま、パリで陸上兵器の国際展示会ユーロサトリが開催されています。
安倍政権が武器輸出3原則を緩めたために、日本の軍需産業も今回初めて出展しているそうです。
報道ステーションでも一昨日、報道されていて、さすがに古舘さんもコメンテーターも、批判的なコメントをしていましたが、今日のNHKのニュースは好意的に報道していました。
ユーロサトリには、日本の防衛産業を担う13社が参加しているそうです。
ニュースに出た人は、海外でのビジネスチャンスは大きいと喜んでいましたが、この人たちはどういう思いで、武器を売っているのでしょうか。
「防衛産業」という表現を「殺傷機器産業」と呼び変えたら、もう少し悩むでしょうか。
「武器」というのも「殺傷器」と呼びかえたらどうでしょうか。

言葉は、真実を暴くとともに、真実を隠します。
注意しなければいけません。

集団的自衛権は、武器の市場を拡大するために必要なのでしょう。
この2つの動きは、決して無関係ではないのでしょうが、あまりにすべてが急展開しているのがおそろしいです。

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