■節子への挽歌2466:相談事の多さと「豊かさ」「貧しさ」
節子
挽歌でも、たまには元気が出るようなことを書きたいと思うのですが、最近はなかなかそういう気になりません。
なぜかこの頃、無性に節子に会いたくなっています。
いまの私には、山のように節子に相談したいことがあるからです。
それに、伴侶にしか相談できないこともあります。
そうした相談事の重さに、最近はつぶされそうです。
困ったものです。
相談事が多いということは、それだけ豊かな人生を過ごしているということのはずです。
それが私の考えでした。
しかし、心身のパワーが衰えてきたせいか、あんまり豊かだとも思えなくなってきました。
時に、朝、節子の位牌に向かって、節子、どうにかしてくれよ、とつぶやくことがあります。
相談事が多いことは、ある年齢を超すと、「豊かさ」ではなく「貧しさ」の表れになるのかもしれません。
自分では変わっていないと思いたいですが、体力も精神力も大きく変わっていています。
自分の生活範囲を少し狭めていったほうがいいのかもしれません。
豊かな老後には、相談事は邪魔なものかもしれません。
しかしまあ、私の場合、豊かな老後は期待できませんので、相談事に悩みながら、人生を終えるのも悪くないかもしれません。
やはり今日も元気が出る挽歌にはなりませんでした。
困ったものです。
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