■節子への挽歌2460:心身が震えるような夜でした
節子
昨夜はとても寝苦しい夜でした。
暑さのためではなく、2つの理由がありました。
ひとつは、「パパ」という言葉です。
厚木男児遺棄事件の父親が、最後に聞いた子どもからの呼びかけです。
なんという哀しい話なのか。
父親を非難する前に、あまりの哀しさに眠れませんでした。
その哀しさを増幅したのは、昨日、読みたくないと思い続けながらも、読んでしまった小説「わたしを離さないで」です。
なぜかその2つが重なってしまい、昨夜はあまり眠れませんでした。
これほど哀しい朝は、節子を見送ってからの数日以来です。
今日は予定をすべてキャンセルさせてもらいました。
心身が震えるほどに、気が萎えているのがわかります。
話には聞いていましたが、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」が、これほど哀しい話だとは思っていませんでした。
しかし、私には絶対に読めない本だと思っていたのに、なぜ読む気になったのか。
あまりにも読もうかと思う理由が重なったからです。
これも理由があるのだろうと思い、昨日読み出したら、止まらなくなりました。
あまりに哀しすぎる。
読むのをやめようと思いながらも、義務感のようなものがあって、読み終わり、テレビをみたら「パパ」です。
何を書いているのか、わからないかと思いますが、今日は気分がおさまったら、時評編に「わたしを離さないで」とオメラスの話を少し書こうと思います。
その後で、つまり少し心身があったまった後で、挽歌にも書ければと思います。
「わたしを離さないで」は、人の死を救うために創られたクローンの子どもたちの話です。
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