■節子への挽歌2469:ドリームジャンボの幸せ
節子
ドリームジャンボ宝くじが当たりました。
実にめでたい話です。
当たったら借金をすべて返済し、ついでに友人の借金も返済して、先行きに備えて人並みの貯金をし、これまで迷惑をかけてきた娘たちにお裾分けし、残ったお金で仕事をしようと思っていたのですが、残念ながら当たった金額は3000円でした。
3000円では、いかんともしようがありません。
次回のドリームジャンボを購入することで、再挑戦です。
とまあ、人はまことに勝手なもので、お金から解放された生き方などと言いながら、いざとなると3000円ではどうしようもないなと思ったりしてしまうわけです。
今回、宝くじを買ったのは、いささかお金に窮していたからですが、こんな時には絶対に当たるはずだと確信していました。
天は、困った人を見捨てるはずがないからです。
そして、その確信は現実になったのですが、3000円とは思ってもいませんでした。
これは、天に感謝すべきかどうか、いささか迷うところです。
まあ信ずればきちんと実現することは証明されました。
次回は、きっと5億円が当たるでしょう。
買い忘れないようにしなければいけません。
当たったら、昔のようにまた、仕事を広げられます。
もう一度だけ行きたいと思っているエジプトにも行けるかもしれません。
しかし、信じても実現しないこともあります。
節子の病気治癒がそうでした。
私は絶対に治ると確信していました。
そう思うしかなかったのですが、その確信は裏切られました。
でも、こうも考えられます。
節子が絶対に回復し元気になると思っていた4年半は、とても幸せだったのです。
ドリームジャンボが絶対に当たると思っていることも、幸せなのです。
だから「当たると思うこと」で満足すべきなのでしょう。
それに、実際に5億円も当たってしまったら、不幸になるかもしれません。
だから「当たらないこと」も幸せなのです。
要するに、いつも幸せなわけです。
そういう発想が、私の発想だったはずです。
最近少し、心が歪んでいました。
困ったものです。反省しなければいけません。
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