■節子への挽歌2477:いいところ」が多すぎる
節子
最近頑張って挽歌を書いていますが、なかなか番号が追いつきません。
今日は実は節子の旅立ちから2487日目なのです。
10日のずれがあります。
今月中に追いつきたかったのですが、無理のようです。
まあ無理をすることもありません。
10日などという日数は、まあ瑣末な端数でしかありません。
と自己弁護するのが悪いところですが。
前にも書きましたが、
節子から何かをとがめられた時の、私の口癖は、「それが私のいいところだよ」でした。
頼まれた仕事を忘れても、修理すると言い出して家電をさらに壊しても、とんでもない経済的な失策をしても、家族に迷惑をかけても、自分の部屋が書類で埋もれていても、すべてその一言で終わるわけです。
もっとも、「それが私の良いところ」と言うのは、実は理にかなっているのです。
人には直せないところと直せるところがあります。
直せるところは直せばいい。
しかし、直せないところは直せないのですから、それを欠点だなどと考えずに、「長所」と考えればいいわけです。
実に理にかなっている。
問題は、節子が言っていたように、もしそれを認めるのであれば、他者の欠点も長所として受け止めなければいけません。
そこから私のもう一つの生き方が生まれます。
どんな人とも、その人の持っている「良いところ」を見つけて、そこと付き合うという考え方です。
これまた理に適っているでしょう。
しかし問題は残ります。
これも節子にも言われましたし、今も娘に言われていることですが、どうしても自分に甘くて他者、特に家族には厳しくなるのです。
本当は自分に対してが、一番厳しいのですが、どうもそう見えないらしいのです。
また家族は、どうしても自分と同一視してしまいがちなのです。
ただ節子はそのことをわかっていてくれたようにも思います。
たぶん娘たちもわかってくれているでしょう。
それにしても、私には「いいところ」が多すぎます。
困ったものです。はい。
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