■節子への挽歌2476:最近、あまり地元を歩いていません
節子
今日は我孫子で認知症予防ゲームに取り組みだした人たちと会いました。
話していてわかったのですが、おひとりは、たぶん節子が知っている人のむすめさんです。
節子もさほど地域活動をしていたわけではありませんが、民生委員をやったりサークル活動をやったり、少なくとも私よりも生活レベルでのネットワークはありました。
時々、節子から名前を聞いた人に出会うこともあります。
地元で活動しようとすると、やはり生活で根づいている女性のネットワークは効果的です。
男性のネットワークとはやはりちょっと違うような気がします。
最近、節子がいてくれたらなあと思うことがよくあります。
節子がいないと、地元での活動への意欲が高まりません。
なぜでしょうか。
自分でもよくわからないのですが、もしかしたら、私が自分の生活を投げてしまっているからかもしれません。
なかなか生きる動機づけができないのです。
決して生きることを捨てているわけではないのですが。
以前より、地元を歩く機会も減りました。
節子がいた頃は、地域の行事にもそれなりに参加しましたが、今はほとんど参加しなくなりました。
もともと私は、そうした行事にはあまり関心がないのですが、節子が引っ張り出してくれていたのです。
やはり私自身の生き方を見直さないといけません。
困ったものです。
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