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2014/06/10

■オメラスとヘイルシャムの話その2

オメラスの話は前回紹介しましたので、ヘイルシャムの紹介をします。
カズオ・イシグロはイギリスで活動している作家ですが、両親は日本人です。
10年近く前に出版された『わたしを離さないで』は、移植用臓器を供給するために育てられたクローンたちが、自らの運命の枠内で定められた短い生をまっとうしてゆくという物語です。
西谷さんが引用しているように、彼らはまさに「隷従」の生を生きています。
挽歌編では一度、引用していますが、西谷さんのクールな文章をもう一度引用させてもらいます。

彼らは成長するとまず「介護人」にそしてやがては「提供者」となり、何回かの「提供」を経てそれぞれの生を「まっとう」してゆく。そこにはこの理不尽な運命に対する抗議や抵抗はほとんどなく、それが自分たちの自明の生の形であるとでもいうかのように、彼らは従容として枠づけられた階梯をたどり、成長しそして短い生を終えてゆく。彼らは、自分たちの生がいわば他者たちの道具の地位に限定されており、その枠内でしか生きられないという条件をそのまま受け入れ、その限界のこちら側に留まって生を終える。その気があれば越えられるとも思われるこの不条理で理不尽な限界が、魔法の結界ででもあるかのように、彼らはそれを越え出ようとはしない。
恐ろしいほど、哀しい話であることがわかってもらえるでしょう。

このクローンが子ども時代を過ごす場所がヘイルシャムです。
ヘイルシャムには、さまざまな意味が含意されているようです。
「カズオ・イシグロ」の著者である平井杏子さんによれば、ヘイルシャムとは、〈健康であれ〉という意味のヘイルと〈まがい物〉〈見せかけ〉という意味のシャムとをつなげた言葉です。
さらに平井さんは、英国における原子力ステーション、ヒーシャムを連想させるとも書いています。

クローン人間を作り出す話は、手塚治虫の「火の鳥」を初め、たくさんあります。
映画もたくさんあって、最近では映画「オブリビオン」があります。
いずれも哀しい話が多いです。
そもそも遺伝子操作やクローンは、哀しい話なのです。

もしクローンが、移植用臓器用につくられるのであれば、それはあくまでも「物体」であって、魂をもったら、臓器を取り出すことができなくなりかねません。
SF映画では、溶液の中に培養した生体物として描かれることも多いですが、『わたしを離さないで』では、効率性を考えて、臓器を別々に培養するのではなく、「ヒト」として育て、必要に応じて、臓器を摘出するのです。
そうして生まれた「ヒト」は魂、知性、感性をもつものかどうか。
クローン人間は魂を持つか、それが『わたしを離さないで』のテーマです。

そうして生み出されるクローン人間は、いったい何なのか。
気が遠くなるような話です。
私が遺伝子工学に不気味さを感ずる事の、まさに本質がここにあります。
原子力科学と遺伝子科学は、私には全く受容できない科学です。

それはともかく、「劣悪な環境のもとに飼育されている移植臓器生産用クローン」への流れに反発を持った人たちが、クローンの情操がどこまで育ちうるかということで、子どもたちの創造力の育成に取り組むためにつくったのが、ヘイルシャムです。
そこで育てられた子どもたちの「人生」が、本書で描かれています。
彼らは、魂の核と言ってもいい「愛」にたどりつきます。
それが愛かどうかは、私にはよくわかりませんが、少なくともこの作品に登場する、クローンではない人たちよりは純粋な愛のような気もします。

まだ考えが整理できていませんが、現代の私たちの生活は、やはりどこかで何か間違っているような気がしてなりません。
なぜそこまでして生きなければいけないのか。
もっと自然に生きることに素直でありたいと思います。

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