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2014/07/04

■オメラスとヘイルシャムの話その10:10羽のニワトリ

先月、オメラスとヘイルシャムに関するシリーズ記事を書きましたが、それを思わせる「10羽のニワトリ」の話を知りました。
私が大学を卒業した年に、茨城県の千代田村に、脳性麻痺者自身の共同体「マハラバ村コロニー」をつくった大仏空さんの生涯を記録した「脳性マヒ者と生きる」のなかで、大仏さんが仲間に語っている話です

10羽のニワトリがいる。9羽の調和をよりよく保つためにはどれか1羽を犠牲にしなければならない。その1羽が餌でもとろうものなら他の9羽が一斉に寄ってたかっていじめる。むろんたまごなど産めるわけがない。そんなニワトリでも「つぶして」しまうわけにはいかなかった。その1羽をつぶしてしまえば他の9羽は円満にいくかというとそうはいかない。9羽のうちからまた新たなスケープゴートが生まれるからだ。
20対80の法則というのがあります。
たとえば、アリの集団では2割がとても勤勉だそうですが、その働き者の2割のアリだけで集団をつくると、8割のアリが怠け者になるのだそうです。
逆に怠け者の8割のアリだけの集団にすると、その2割が勤勉になるのだそうです。

生命体の集団には、そうした構造があるようですが、それは個体と全体とが完全には切り離されてはいないということを示唆しています。
10羽のニワトリの話も、そうした構造の一つと考えられます。
1羽を犠牲にしても、また次の1羽が出てしまう。
そして最後には、「誰もいなくなってしまう」わけです。

こうした問題を解くのは難しいように思えます。
事実、オメラスを壊さずに、地下室の少年を救うことはできません。
しかし、実はそう思うところにこそ、大きな落し穴があります。
それは、構造を規定する軸が「一つ」だということです。
価値軸を多様におけば、構造はダイナミックに動き出します。
地下室が高層ビルの最上階になるかもしれません。
金銭軸での大富豪が、友人軸での最貧困者になるかもしれません。
犠牲になる1羽のニワトリが、実は状況主義的に変動するかもしれません。
つまり問題は、現実を固定しようとする私たちの発想にあるのです。
地下室は一つではなく、犠牲になるニワトリも特定される1羽ではないのです。

しかし、そうしたダイナミックな社会に生きるには、かなり大きなエネルギーが必要です。
だから多くの人は、特定の1羽を決めてしまうのでしょう。
学校という仕組みが、子どもたちにそれを教え込んでいるとしたら、恐ろしい話です。
そろそろ学校制度は根本から見直されるべき時期に来ています。
しかし、どうもその反対の動きがいよいよまた強まりそうです。

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