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2014年7月

2014/07/31

■節子への挽歌2525:思考の枠組み

節子
人が書いたものの真意を理解するのは難しいことです。
話している場合は、心身から発するさまざまな情報から、言葉の奥にある意味を受け止めることもできますが、文字の場合はなかなか真意を受け止めにくいことが少なくありません。
特に私の場合、言葉に勝手に自分なりの意味を込めてしまい、しかも反語的な文体が多いので、私の意図は受け止めにくいのかもしれません。
私自身の表現力の低さも、もちろんあります。

私の文章、特にこのブログの時評編は誤読されることが少なくありません。
そう思うのは、時々、フェイスブックでも時評編のブログを紹介するのですが、それへの反応の多くは、私にとってはピント外れのものが多く、時には私の意図とは正反対の受け止め方がされる場合もあるのです。
人には思考の枠組みがあり、それにしたがって、読み解くからでしょう。

しかし、そうはいっても、思考の枠組みは多くの場合、社会の常識に準拠しています。
そうでなければ、社会で生きていくことが難しくなるからです。
ですから、いつの間にか、「思考の枠組み」は自分のそれではなく、予見としての「常識」の枠組みに合わせるようになり、自分での主体的な思考は停止していくことになります。

ところが、愛する人を奪われてしまうと、その「思考の枠組み」が壊れてしまうのです。
壊れるというよりも、与件としての「思考の枠組み」から解放されると言ってもいいでしょう。
ともかく、そんなことはどうでもよくなる。
理解できない現実のなかで、常に真剣勝負で「自分」を生きなければいけません。
ですから、言葉だけの世界を生きている人たちの会話は、虚しく通り過ぎていくだけです。
逆に、生々しい思いのなかで誠実に生きようとしている人に出会うとほっとする。
思考の枠組みから解放されると、さまざまなものがよく見えてきます。
悲しみや寂しさ、弱さや辛さ、怒りや我慢、小賢しさや惨めさ、嘘や真実などがです。
だから、言葉だけの世界には、もう入れなくなってしまう。

今日、私のフェイスブックの記事に、愛する人を失ったKさんが、投稿したり削除したり、心の迷いを見せてくれていました。
そして、自分が壊れているというようなコメントを残してくれました。
その経緯を見ながら、「壊れ」ではなく、思考の枠組みが動いているのだと感じました。
思考の枠組みができてしまうと見えなくなってしまうものが見えている。
思考の枠組みがないために見えてこないものもたくさんありますが、見えてくるものもあるのだと、今日は改めて感じました。

私のブログが誤読されやすいのは、私の思考の枠組みがまだ壊れているかずれているかしているからなのでしょう。
責任は、、やはり私のほうにあるのです。

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■競争を強いられる働き方と競争とは縁のない働き方

最近知り合った三尾さんは、東日本大震災後、気仙沼大島で1年程活動されていましたが、その時感じたことをある機関誌に連載していました。
それを読ませてもらったのですが、そこに「ボランティア」について言及している、こんな文章があります。
ちょっと長いのですが、とても共感できるので引用させてもらいます。

今.私は被災地で会社からも社会からも競争を強いられこることなく働いている。
組織の中で自分の地位保全のために競争心を奮い立たせる必要もなく、社会的なプレスティージに悩まされることもない。
しかし物心が付いた頃には競争社会にガッチリと組み込まれて、「自分もいつつか神経衰弱かうつ病になるのだろうか」と心配したものだ。
 被災地のボランティア活動は上記の様な「競争」とは縁のない働き方なのではないだろうか。
三尾さんは、被災地でさまざまなボランティア活動に触れてきたようですが、ボランティア活動と言っても実にさまざまであることを実感されたそうです。
そして、ある活動に出会ったことから、私との縁も生まれました。
そして、三尾さんは今、自らの生き方についていろいろとお考えのようです。

勝手に三尾さんのことを紹介してしまいましたが、三尾さんは「ふたつの働き方」を体験したわけです。
競争を強いられる働き方と競争とは縁のない働き方。
三尾さんにとっては、被災地を元気にしていくための大島での活動は、おそらくとても新鮮だったことでしょう。
そしてたぶん、働くとはこういうことなのだと実感されたのではないかと思います。
競争と縁のない働き方は、ボランティア活動に限ったものではないのです。

引用した文章に続けて、三尾さんはもっと本質的な指摘をされています、
続けて引用します。I

LO憲章となったベルサイユ条約の国際労働条項に大変興味深い一節があるという。
そこには「多くの人々に不正義と困苦と貧困をもたらす労働の条件が存在し、それによって引き起こされる競争がしばしば世界の平和と調和を危くする」と書いてあるそうだ。
約百年前の理想主義的時代背景で生まれた文言である。
この文言はボランティア活動の動機を説明するために書かれたモノではないのだが、正義が行われないことに対する「怒り」、困難と苦しみに対する「同情」、他人の貧困に対する「慈善」、そしてあなたの不安は私の平和を脅かすかも知れないという「自己利益」は、ボランティア活動の動機そのモノのように思える。
とても多くのことに気づかされます。
ぜひ多くの人に読んでもらいたくて、長々と引用させてもらいました。

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2014/07/30

■節子への挽歌2524:弱々しく頼りない生き方が続いています

節子
節子がいなくなってから、私の生き方は弱々しく頼りないものになりました。
妻に先立たれて後追いするのではないか。
いつまでめそめそと挽歌の世界に閉じこもっているのか。
とまあ、友人たちからはこんなふうに思われているのでしょう。
愛想を尽かして、離れていった人もいますし、逆に頼りないからと支えになってきてくれる人もいます。

とても不思議なのは、湯島でのサロンは再開していますが、いつのころからか、使ったカップなどは参加者が自発的に洗っていってくれるようになったことです。
私は、そのままでいいよと言っていたのですが、今では終わったらだれかれということなく、誰かが片づけをしてくれますので、流れに任せています。
参加者は毎回、違いますし、時には大企業の部長たちの集まりもありますが、そんな時でさえ、誰かが洗い出すことが少なくないのです。
節子がいなくなったにもかかわらず、私の負担は増えていないのです。

むしろ、サロンやフォーラムなどを開催することは多くなりましたが、以前と同じく、呼びかけに応じた人たちで実行員会をつくり、できることをそれぞれが引き受ける形でやっています。
こうしたスタイルが定着するまでは大変で、節子のみならず娘たちも駆り出したために、わが家での私の評判はいたって悪いのですが、いまは家族なしでもうまく事が運ぶようになりました。
実は今日も、8月5日に開催する公開フォーラムの実行委員会を呼びかけたら、当日であるにもかかわらず2人の人が参加を申し出てくれました。
今日は3人くらいでやろうと思っていたら、10人近くの人が、この暑さの中を集まってくれます。
しかも、みんな手弁当です。
当の私自身でさえ、なんでこんな暑い日に、体調もまだ悪いのに、出かけなくちゃいけないのだといやいやながら出かけてきたのですが、みんなよく集まってくれます。
それが実に不思議なのですが、こうした私の世界を創りだしてくれた上で、節子の役割はとても大きいのです。
それは誰にもわかってはもらえないでしょうが。

湯島は、誰でも歓迎する空間であることは、今も変わっていません。
最近は湯島に来る人の顔ぶれもかなり変わりました。
節子のことをまったく知らない人も多くなっています。
でも相変わらず、湯島に来るとほっとしてくれる人たちが多いのです。
この空間をできるだけ維持したいと思っています。
もっとも、湯島に来て、不快感を持って帰っていく人も時にはいます。
私の対応が悪いためですが、それもまた、私の弱さの一つです。
困ったものですが、直しようがありません。

自らの弱さを見せることこそが人のつながりを育てるポイントだとは、昔会った金子郁容さんから学んだことです。
そういえば、金子さんは最近どうしているでしょうか。

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■集団的自衛権と佐世保の同級生殺害事件

社会のすがたは、そこで暮らしている私たち一人ひとりの生き方によって、決まってきます。
同時に、社会のすがたはまた、そこで暮らしている私たち一人ひとりの生き方に大きな影響を与えます。
最近では、そのつながりが見えにくくなってきていますが、つながりの深さはむしろ増しているかもしれません。

たとえば、佐世保で起こった同級生殺害事件は、自分とは無縁の世界の出来事だと思いたいですが、大切なのは自分の生き方との繋がりを考えることだろうと思います。
同じ社会に住んでいるのであれば、無縁であるはずがありません、
社会が壊れだし、変質してきていることを、最近強く感じます。
壊れた社会には平和な暮らしはありません。

「積極的平和」のためには集団的自衛権が必要だという議論があります。
「積極的平和」は、そもそもがヨハン・ガルトゥングの「構造的暴力」に始まった議論ではないかと思っていましたが、現在の安倍政権にとってはむしろ「構造的暴力」政策を隠蔽するための手段のような気がします。

政治の常套手段の一つは、外部に敵を作ることです。
それによって、内部の「構造的暴力」を覆い隠すことができるからです。
とりわけ、「国民化」された大衆は「与えられた敵」を素直に受け容れます。
電力不足だと言われれば原発を受け容れ、中国が脅威だと言われれば憲法9条を投げ出します。
マスコミと結託すれば、「敵」を作り出すことなどは、簡単な話です。
最近は気象さえも、それに利用されていると私には感じられます。

しかし、その一方で、じわじわと進んでいる社会の変質や格差の拡大、人権の軽視への感度は落ちていきます。
いじめの問題は、学校の世界の話だと思い込んでいます。
要は、自分とは問題ないと。
しかし、ニーメラーが後悔したように、すべての問題は自分につながってきます。

中国や韓国から戦争を仕掛けられることよりも、私は、私自身の暮らしの足元である日本の社会が、壊れてきていることにこそ、脅威を感じます。
子どもたちの世界に何が起こっているのか。
若者たちは幸せなのか。
それは、実はすべて、私自身の世界に起こっていることとつながっています。
危険ドラッグとようやく呼び名が変わりましたが、「脱法ハーブ」などと危険物さえもが商品にされてしまう社会には、脅威を感じます。
中国の脅威よりも、私にはそちらのほうがよほど恐ろしいです。

平和とは何でしょうか。
たしかにガザやウクライナやシリアは平和ではないでしょう。
では日本は平和なのか。
集団的自衛権で平和を議論するのもいいでしょう。
しかし、他国との関係だけに「平和」があるわけではありません。
生活という点でいえば、むしろ国の内部の「平和」こそが大切です。

微力とはいえ、個人の生き方が社会のあり方につながっていきます。
平和に生きたければ、まずは自分の生き方を問い直すことからはじめなければいけない。
改めて、そう思い、そう行動しようと思います。

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2014/07/29

■節子への挽歌2523:激安うな重

節子
声を出さない生活というのはやはり無理ですね。
今日もまた少し話してしまったら、声がかすれてきてしまいました。
この1週間は、読経も最後の1行だけです。

喉が治らないので、お医者さんにまた行きました。
血圧を測ったら、やけに高くなっていました。
ちゃんと薬を飲んでいますかと、また言われましたが、今日はきちんと飲んできたにもかかわらず170を超えていたのだそうです。
咳止めの薬ももらい、なんとまた1種類薬が増えました。
困ったものです。

今日は土用なので、一応、みんなで鰻を食べました。
どこも混んでいるので、自宅で食べることにしましたが、最近貧乏なので、今年は激安のうな重でした。
近くの回転寿司が予約販売していたのを、新聞広告で見て、回転寿司のうな重ってどういうものだろうかと興味をもって、ついつい私が勝手に電話で申し込んでしまったのです。
なんと1人分1300円くらいでした。
娘からは、どうせ食べるのならちゃんとしたものを食べろといつも言われていたのですが、頼んでしまったので、仕方ありません。
そのため、今年は全員、そのうな重につき合わせてしまいました。
4人で食べましたが、誰一人として、美味しいといいませんでした。
正直なのはいいことです。
その上、鰻は半身でした。
しかも、寿司飯のうな重は、私の好みではありませんでした。

うなぎは節約してはいけません。
混んでいても、やはりちゃんとしたお店で食べないといけません。
お金がなかったら食べなければいいだけの話です。
食べるのであれば、ちゃんとしたものを食べなければいけません。
激安うな重に騙されてはいけません。
結局、今度、美味しいうなぎをご馳走する約束をしてしまいました。
貧すれば鈍すとはよく言ったものです。
ますます貧乏になりそうです。
それは決して悪いことではないのですが。

テレビでは成田の鰻屋「豊川」の繁盛振りが報道されていました。
節子は、「豊川」のうなぎが大好きでした。
そういえば、仏壇にうな重を供えるのを忘れていましたが、忘れてよかったです。
節子は、豊川のとは違うわねと嫌味を言うでしょうから。

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■声を出すことの大切さ

喉に炎症を起こし、先週の月曜日に声が出なくなりました。
キャンセルできる用事はキャンセルしたのですが、自分で主催している集まりとか遠くからの来客とか、急ぎの相談はなかなか断りがたく、無理して声を出していたら、気管支にまで来てしまい、悲惨な週末から週明けを過ごしていました。
今日はようやく声が戻ってきました。

そんなわけで、この数日、極力、声を出さない生活をしていたのですが、話せないことはけっこう辛いものです。
声が出なければ、書けばいいという考えもありますが、自分が体験したことから言えば、声が出ない時には書く気にもなりません。
今回の体験で、話すことと書くことはつながっていることを知りました。
もう一つ、意外だったのは、声が出ないのであれば、静かに本でも読もうと思ったのですが、これがまただめでした。
テレビもあまり見る気になりません。
喉をやられたのは、風邪のせいかもしれませんから、書いたり読んだりする気にならないのかもしれません。
しかし熱はなく、身体のしんどさはないのです。
いささかこじつけですが、声が出ないとコミュニケーション志向が弱るのではまいかと思いつきました。
つまり身を隠したいという気分です。

声や言葉は、他者との関係性の潤滑油です。
私たちは、読んでいる時も書いている時も、頭の中で会話しています。
声が出なくなると、そうした会話もしたくなくなるのかもしれません。

この数日、声を出すことの大切さを、改めて実感しています。
今日はこれから人に会いに行きますが、うまく話が出来たら、時評編も再開します。
出なかったら、もうしばらく休みません。
辺野古にしても原発にしても、声を出したい事が山積みですが。

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2014/07/28

■節子への挽歌2522:無言の夫婦

節子
ダウンしてしまいました。
喉をこじらせすぎてしまい、咳が出て、どうしようもありません。
それでまた、昨日は挽歌を書きそびれてしまいました。

日曜日は完全無言、今日もほぼ無言の1日でした。
今日は自宅への来客もあったのですが、私があんまり話さないので、早々と帰りました。
機嫌が悪かったわけではなく、話せなかったのですが、誤解されないといいのですが。

無言のままで、コミュニケーションすることはそう簡単なことではありません。
言葉は、積極的なコミュニケーションのためではなく、むしろ自らの身を守るための「安全保障の手段」として生まれた、と「人類史のなかの定住革命」という本で西田正規さんは書いています。
なるほど、と思いました。
言葉は人間関係の潤滑油なのです。
無言の人と一緒にいると、やはりどこかに不安が生じます。

唯一の例外が、もしかしたら夫婦かもしれません。
夫婦は無言でも、以心伝心するからです。
節子が、隣にいるだけで、心が癒され、気が励まされるというわけです。
喉をやられて声が出なくても、声を出す必要がないのです。
しかし、伴侶でもない相手には、たとえどんなに親しくとも、無言と言うわけには行きません。
私の勘違いかもしれませんが、親子もやはり無言にはなれません。
無言でも人生を共有できた節子のありがたさを、声が出ないこの数日、改めて思いました。

もっとも最近は別の意味で、無言の夫婦、会話が消えた夫婦が増えているといわれています。
私には、人生を無駄にしているように思えてなりません。

ところで、声は少しずつ回復してきています。
明日から活動再開です。
挽歌も、です。

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2014/07/26

■節子への挽歌2521:気管支炎

節子
喉の炎症はどんどん悪化しています。
理由は明確で、話してはいけないのに、しゃべってしまうからです。
しかし、わざわざ湯島に話に来てくれたのに、単なる聞き役に徹するわけにもいきません。
サロンでも、佐藤さんにはできるだけ話さないようにさせると心遣いしてもらっても、ついつい話してしまうのです。
困ったものです。
良くなるはずがありません。

それどころか、実は昨夜からいささか症状が変化しだしました。
気管支がどうも反応しだしたようで、時々、抑えようもなく気管支の筋肉?が震えるような、おかしい状況になり、意図しない音声が口から出てしまうのです。
それで昨夜はあんまり眠れませんでしたが、さらに今夜はきつそうです。
私の状況を見て、娘が気管支炎に入り口だというのです。

節子は気管支が弱く、時々重度な気管支炎を起こしていました。
入院したこともあります。
気管支炎になった節子は、見ていられないほど、辛そうでした。
しかし、手の施しようがないのです。
それを思い出してしまいました。
がまん強い節子は、私と違い、弱音は決して吐きませんでしたが、今の私とは比べものにならないほど、辛かったのだと思うと、愛おしさがつのります。
節子はいつも「がまんの人」でした。

しかし気管支が勝手に動くのは、嫌な気分です。
自分の身体は、決して自分のものではないということがよくわかります。
今日は眠れるといいのですが。

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2014/07/25

■節子への挽歌2520:Take it easy

節子
暑さが続いています。
もう梅雨明けし、本格的な夏になりました。
その酷暑のなかを、今日も湯島に初対面の2人がやってきてくれました。
お2人とも薬剤師です。
そのお一人は、お仕事をやめて、社会活動に取り組もうと考えています。
偶然にも私が端役を務めた2つの集まりで、私を知ってくれて、人を介して私のところに来てくれたのです。
専門職なので、まだ仕事を続けることもできたようですが、最近の薬剤師の世界への違和感から、もう自分は必要とされていないと考えるにいたり、すぱっとやめたようです。
その違和感は、薬剤師の世界に限ったものではなく、時代の風潮と言ってもいいかもしれません。
しかし、誠実に生きてきたが故に、違和感を強く感じたのでしょう。
その気持ちがよくわかります。

しかし、誠実に生きてきたのでしょう、残された人生をどう生きるかを真剣に考え、迷っていたそうです。
ところが、私のホームページに書いてある、私の信条を読んで、とても楽になったと言います。
それまでのその人の責任感の強い信条とは違っていたのです。
私の信条は、Take it easy。気楽に行こうよ、なのです。
それで気が楽になり、私のところにようやく来てくれることになったそうです。
実は、そのつながりがもう一つ理解しがたかったのですが、まあそういうことにこだわらないのが、Take it easy なのです。

刺激的なお話なので、ついつい話しすぎてしまい、また声が出なくなってきました。
困ったものです。

次の来客まで1時間ほどあったので、声を休めたらのどが少し楽になりました。
ところがそこに次のお客様が来ました。
久しぶりに石井さんです。
これがまた面白い話の相談で、ついついまた話し出してしまいました。
ところが1時間たったところで、今度は本当に声が出なくなりました。

そこで物理的の終わりました。
だんだん話す時間が短くなってきました。

30分休んでいたら、少し声が出そうになってきました。
そうしたら今度はサロンのお客様が来ました。
これまた久しぶりに柴崎さん。
この記事を書くことを理由に、今、彼がひとりで話しているのを聞きながら、パソコンを売っています。
それがまたまた面白い話題です。
やはり無理をしても話さなければいけません。
困ったものです。


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2014/07/24

■節子への挽歌2519:記憶の世界は事実とは違うようです

節子
また声が出なくなってしまいました。
それで今日こそ、電話にも出ず、自宅で声の療養です。

しかし、暑くて、朝早く起きてしまいました。
それで、久しぶりに白洲正子さんの「十一面観音巡礼」を読み出しました。
気が萎えた時やら、手持ち無沙汰の時に手に取る本なのです。

それを読んでいて、記憶の世界と客観的な世界の違いにまた気づきました。

私の記憶では、白洲さんの「十一面観音巡礼」を最初に読んだのは、芸術新潮の連載記事でした。
毎日、発酵日が待ち遠しいほどだった気がしますが、今朝、本に出ている年譜を見たら、芸術新潮での連載開始は1974年となっていました。
私の記憶には合いません。
1974年にも芸術新潮は愛読していましたが、私の記憶と整合しないことがあるのです。

というのは、私が最初に奈良の佐保路を歩いたきっかけは、法華寺の十一面観音に会いたかったからです。
そして、これは間違いないのですが、滋賀にいる時に節子と一緒に佐保路を歩き、法華寺の十一面観音について白州さんのエッセイからの受け売りの説明をしたのを覚えているのです。
1974年は、私は間違いなく東京に来ていましたし、2人で佐保路を歩いていることは絶対にないのです。
どうにも辻褄が合いません。
節子が残していった日記を読めば、たぶん事実がわかるのでしょうが、余計なことまで思い出しそうなので、やめました。

どうでもいい話かもしれないのですが、もしかしたら私の記憶の世界は私が編集した世界かもしれないという思いが生まれてきました。
これは私だけのことではありません。
友人知人が、私との共通の思い出話を語ってくれることがあります。
ところが、私の記憶とは全く違うことも少なくないのです。
私が行ったこともないところで、私の話を聞いたという人もいますし、私には記憶のない会話を再現してくる人もいます。
人の記憶は、かなり柔軟に変るのかもしれません。
とりわけ時間の前後関係が変わってしまうことは少なくありません。
今朝の私の戸惑いも、その一つです。

ところで、もう何回も読んだはずの「十一面観音巡礼」に最初に出てくる聖林寺の十一面観音の話です。
実はまだ会ったことがないのですが、急に興味を感じました。
白洲さんが書かれている、その生い立ちがその気にさせたのです。
きちんと写真を見ようと、愛読書の「かんのんみち」を探したのですが、なぜか見つかりません。
この本は絶対に手放さない本なのですが、どうしたことでしょうか。
しかし、その代わりに「奈良の仏像70」と言う写真集が出てきました。
もうすっかり忘れていた本ですが、そこに載っていました。
実にまじめな十一面観音像です。
同書の仮説によれば、天平文化の爛熟期の「美の権化」とあります。
しかしなぜか私にはまったく「美」が感じられません。
これまで見慣れてきた写真と、撮影者が違っているからかもしれません。
その意味でも、私の記憶は今朝、修正を余儀なくされました。

記憶とはやはり生きているものなのです。

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2014/07/23

■節子への挽歌2518:たくさんの人の友人になりたい

節子
今日は久しぶりに社会のど真ん中で、しかし流れに正面から対峙しながら、わが道を進んでいる方に会いました。
太田黒さんが引き合わせてくれました。

太田黒さんは、わが家まで献花に来てくれた人です。
そういう人の申し出には絶対に従うようにしています。
まあそこが私の弱点で、とんでもないトラブルにも巻き込まれてしまったわけですが、
その考えを変えるつもりはまったくありません。
恩には報いなければいけません。

太田黒さんは、時々、この挽歌も読んでくれているようです。
今日、お会いした方は牛窪さんの同級生でした。
節子は、牛窪さんには1度しか会ったことはありませんが、サントリーホールにベルリンフィルハーモニーの「運命」を節子と一緒に聴きに行った時に、偶然にロビーでお会いしました。
それからまもなくして牛窪さんの訃報を知りました。
とても残念だったのは、その時にも、牛窪さんからある件で一度会おうといわれていたことですが、その件が話し合えなかったのが、実に心残りでした。
大事な時に、大事な人を失う。
私も何回かそれを体験しています。
それがなければ、人生は変わっていたはずだと思うことが時々あります。

ところで、今日は普通の声が出ないまま、その方にお会いしました。
しかし、あまりに話が楽しく面白く、3時間も話し合ってしまいました。
おかげで少し良くなってきていた喉の調子は悪化し、声がまたでなくなってしまいました。
しかし、それにまさる話をお聞きできました。

私は社会から離脱を決意して、もう25年ですが、こういう人に会うとちょっとだけ残念な気がします。
ビジネスの世界のダイナミズムは、やはり人をわくわくさせます。
その世界は、しかし私には遠い世界になってしまいました。

太田黒さんは、私を元気づけるために、声をかけてくださったのです。
口では何も言わず、滅多に声をかけてくれませんが、どこかで支えてくれている人がいます。
友人とは誰のことなのだろうか、と時々思うことがあります。
私も、そういう意味で、たくさんの人の友人になりたいと、改めて思いました。

今日、いただいたお茶はとてもおしかったです。

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2014/07/22

■節子への挽歌2517:声が出なくなりました

節子
ますます声が出なくなってきました。
困ったものです。

私には3日間ルールと言うのがあります。
風邪を引いた場合、3日間は風邪菌たちに私の身体を提供しようというルールです。
ですから3日間は、彼らの思うように活躍してもらい、4日目にはお引取り願うというわけです。
ところが、風邪菌たちとのコミュニケーション能力が不十分のため、なかなかそううまく行きません。
しかも、今回は、3日目に当たる明日、1ヶ月前から決まっていた約束があるのです。
初対面の人なので、声が出ないでは済まされません。
いやはや困ったものです。
それで止むを得ず、お医者さんに行くことにしました。
ところが、喉が炎症を起こしているので、治るのに2~3日はかかるというのです。

それで、フェイスブックで、何か良い民間療法はないかと問いかけました。
長ネギを喉に巻くとか、天を仰いで呪文を唱えるとか、そういう類のものを想定していましたが、即効性のある妙案はなかなか寄せられません。
「響声破笛丸」という薬があるそうですが、薬だと面白みはありません。
「丹田百叩きの法則」というのもあるそうです。
今度会った時に伝授するといわれましたが、間に合いません。
ニンニクと生姜で汗を出せというのもありましたが、これは風邪の治療法でしょう。
みんな帯に短し襷に流し、です。

節子がいたら、私の今の尾を聞いて、大笑いするでしょう。
ほんとに節子は能天気な人でした。
でも笑われるのが一番の元気回復剤だったのかもしれません。
いずれにしろ、明日は声が出ると良いのですが。

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2014/07/21

■節子への挽歌2516:風邪は楽しくありません

節子
とうとう声が出なくなってきました。
今日の予定はすべてキャンセルし、自宅療養です。
電話を受けた人は驚いたでしょう。
普段とは全く違う声でしたから。
状況は昨日より悪く、思考力はますますありません。 
本を読む気にもなれませんし、テレビも見る気も起きません。
しれで、めずらしく2時間も寝てしまいました。
しかし、一向に良くなる気配はありません。
さてさて困ったものです。

栄養剤を飲んで、風邪薬も飲んで、のどの薬も飲んで、といろいろ飲んでみましたが効き目がありません。
それでお風呂に入って寝ることにしました。

独り住まいで風邪になると、どうしようもないでしょうね。
幸いに私の場合、娘が同居してくれていますが、私のように自立していない人間は、「もういいか」などと思ってしまいかねません。
娘は、明日は医者に朝一番で連れて行くと言っていますが、医者に見てもらって治るくらいなら楽なものです。
風邪くらいは根性で治さなければいけません。

しかし、お風呂はやめたほうがよかったかもしれません。
症状はさらに悪化している気もします。
節子がいる時には、風邪もまた楽しからずや、でしたが、今はそんな気にはなりません。
おかしなものです。

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■たえず棒や石を持ち歩く人類の宿命

英国のテレビドラマ「シャーロック」人気のためか、昔放映されていたテレビドラマ「シャーロック・ホームズ」が再放映されています。
時々見ているのですが、いつも2つのことを思いながら見ています。

先ず、昔の「犯罪」は、なんともまあ「のどか」です。
もちろん、殺人も傷害も誘拐もあり、「のどか」という表現は適切ではありませんが、最近の「犯罪」に比べると、あまりの違いに驚かされます。
犯罪者にも、同情すべきことが多く、また犯罪者もとても「素直」です。
捜査のスピードも、ゆるやかであり、もう少し急いだら犯罪防止も犯人逮捕もできたのではないかと思うようなことも少なくありません。
最近のサスペンスドラマを見たものにとっては、のんびりしすぎて面白くないのです。
しかし、そうした違いは、さまざまなことを気づかせてくれます。
そこに興味を持って、私は退屈な、このドラマを時々見ています。

ところで、当時の紳士たちがみんなステッキを持ち歩いているのも興味深いです。
シャーロックもワトソンも、いつもステッキを持っています。
たぶんこれは「武器」なのだろうなと感じていました。
「のどかな犯罪」と「武器の携帯」。
この2つのことが、どうも私の頭の中でつながりませんでした。

最近、西田正規さんの「人類史のなかの定住革命」という本を読みました。
そこにこんな文章が出てきました。

人類の祖先が、中型類人壊とすべき大きさの動物であったことを考えれば、人類誕生の背景として、大型化してきたオナガザル類との社会的関係はなによりも重視されるべきである。人類は、たえず棒や石を持ち歩くことによって、大型化してきたオナガザル類との共存に成功し、生き残ることのできた中型類人猿の子孫である。
人類は、最初から武器とともに誕生したわけです。
とても納得できました。
たえず棒や石を持ち歩くのは、人類の宿命だったのです。
言い換えれば、人類は、「攻撃する生物」だったのです。

棒や石という武器は、しかし、中型類人猿などの外部に対するものでした。
それがいつの間にか、仲間にも向けられるようになったわけです。
武装する権利は、多くの国の基本的人権になっているのかもしれません。
しかし、日本ではなぜか400年以上前に、刀狩りと言われる「武装解除」が行われ、武装する権利は否定され、平和憲法によって「武装しない権利」が保証されました。
これはまさに、武器とともに誕生した人類の宿命を克服する革命でした。

その輝かしい革命が、いま捻じ曲げられようとしています。

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2014/07/20

■節子への挽歌2515:風邪を引いたのに気づきませんでした

節子
風邪のようです。

今日は来客やLLPコモンズ手賀沼の総会やら近くの神社のお祭やらいろいろありましたが、帰宅したら、ドッと疲れが出てダウンしてしまいました。
どうやら風邪のようです。
なんとかホームページの最小限の更新は終えたのですが、かなり状況が厳しくなったので、ブログは書くのをやめて、もう寝ることにしました。
この数日の体調不良は、もしかしたら風邪の前兆だったのかもしれません。
にもかかわらず、時代風潮のせいにしたりしてしまっていました。

落語に、自分が死んだことを忘れてしまった男の話がありましたが、
風邪を引いたことに気づかずに時代を嘆いているとは困ったものです。
明日の集まりもキャンセルしなければいけません。
いろいろと用事があるので、風邪を引いている場合ではありません。
困ったものです。

ではおやすみなさい。

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2014/07/19

■節子への挽歌2514:無意味な時間をシェアできる人

節子
昨日はある人が、奥さんの手づくりの紫蘇ジュースと梅干を持ってきてくれました。
みんな実に親切です。
時には元気がなくなるのもいいことです。
しかし、そろそろ元気にならないといけません。

もっとも元気がないからと言って、うだうだしているわけでもありません。
それなりにいろいろとやっているのです。
ただ気分がすっきりしないということです。
紫蘇ジュースや梅干ではだめかもしれません。
しかし、わざわざ持ってきてくれる気持ちに出会えると元気をもらえます。
やはり元気になる一番の方法は、良い人に会うことです。

テレビのニュースを見ると、ともかく元気がなくなります。
それにしても、どうしてテレビは、悪い人ばかり報道したがるのでしょうか。
見ていると気が滅入るような人に関する報道が多すぎます。
そういう報道ばかり見ていると、私自身も影響を受けそうです。
テレビの人たちも、きっともう影響を受けていることでしょう。
仕事とはいえ、同情します。

人は、時間を共にする人から大きな影響を受けるものです。
節子がいなくなって7年。
私の性格は良くなったか悪くなったか。
最近、かなり悪くなってきているような気がします。
節子のせいでしょうか、それともテレビ報道のせいでしょうか。

私以上に単細胞だった、節子との無意味な時間がなつかしいです。
無意味な時間をシェアできる人がいることの大切さを、最近、痛感しています。

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■公開フォーラム認知症予防ゲーム「スリーA」- 韓国の実践から学ぶのお誘い

昨日に続いてもう一つのお誘いです。
今日は認知症予防ゲームの紹介のフォーラムです。
実践体験もあります。

「認知症予防」という概念が、行政や医療の世界で「認知」されたのはつい最近のことです。
それが認知される前から、しかし、生活者の世界では「認知症予防」が行われていました。
理論や証拠発見(エビデンス)よりも、常に現実は先行します。
認知される以前から「認知症予防」に取り組んでいたNPO法人認知症予防ネットの高林さんと韓国で実践されている佐々木さんによるフォーラムを開催します。
佐々木さんは韓国でスリーAゲームを実践しています。
そこで驚くべきことが発見されました。
スリーAゲームは、「予防」だけではなく、かなり重度な認知症にも効果があるのではないかと言うことです。
そのお話をお聞きすると共に、日々、ゲームの実践に打ち込んでいる法人認知症予防ネット代表の高林さんによる、最新のスリーAゲームの体験会を開催します。
8月5日という平日の午後ですが、ご関心のある方はご参加ください。
元気をもらえます、

詳しいご案内は、次にあります。
http://homepage2.nifty.com/CWS/3a2014.jpg

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2014/07/18

■「天然の森のようなソーシャルファーム構想」サロンへのお誘い

今日はサロンの案内です。

長年、作業療法士として精神医療に取り組んでいる桐木さんの夢は、「病気や障害があってもなくても、誰もが活き活きと自分らしく生きることのできるまちづくり」です。
そんな桐木さんの前に、その出発点になるかもしれない、自然の中にあって、あんまり活用されていなかった施設を使ってもいいという話が飛び込んできました。
そこで、長年の夢が実現できるかもしれないと、夢に向かっての第一歩として「天然の森のようなソーシャルファーム」構想を描きました。
まだ十分に練られているとはいえませんが、少しだけ夢の形が見え出しました。

そこで、今回、その構想を語っていただき、それを材料にして、「病気や障害があってもなくても、活き活きと自分らしく生きることのできるまちづくり」をテーマに話し合う、カフェサロンを開催することにしました。
そこからまた新しい「物語」や「活動」が生まれるかもしれません。
桐木さんは、実際のある場所を活かして、ご自分たちの夢を実現したいと考えています。
とりあえずは湯島でのサロンですが、そこでの話し合い次第では、その延長で、桐木さんがいま少しずつ活用しだしている施設での合宿サロンに発展するかもしれません。

みなさんのご参加をお待ちしています。

○日時:2014年7月26日(土曜日)午後1時半から3時半
○場所:湯島コムケアセンター
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○話題提供者:桐木純子さん
○テーマ:病気や障害があってもなくても自分らしく生きることのできるまちづくり
○会費:500円
○参加申込:comcare@nifty.com

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■節子への挽歌2513:慰労会の是非

節子
最近の私の疲れを口実にして、私の慰労会をやろうという人たちがいます。
困ったものです。
そうしたことでますます疲れるわけですから。
何しろ私は下戸なのです。
先日もあるグループから誘われてしまい、断るきっかけを失してしまい、飲みに行きました。
私はビール一杯しか飲めなのですが、帰ろうと立ち上がる元気もなく最後までいてしまいました。
しかも、それは慰労会ではなく、単なる飲み会でした。
きちんと会費を取られました、
私の勘違いで、慰労ではなかったのです。

それはそうでしょう。
性格の悪い私に対して、そう簡単に慰労してやろうなどと言ってくれる人はいないでしょう。
ですから、慰労会をしてくれるという好意はありがたく受けなければいけません。

しかし、慰労会というとどうして飲み会になるのでしょうか。
最近、「脱法ハーブ」を服用して、自動車事故を起こしている事件が連日のように報道されていますが、私にとっては、「脱法ハーブ」もアルコール類も同じに思えます。
良いか悪いかではなく、認めるのなら両方を認め、禁止するなら両方を禁止するべきだというのが、私の長年の考えですが、賛成する人はまずいないでしょう。
しかし、お酒を飲んで酔った人と話すのは、どうも好きになれません。
酔ってマナーを失するくらいなら、飲むべきではないと思うのですが、思わない人のほうが多いようです。

節子は、私以上に下戸でした。
お酒を飲むとじんましんが全身に出るほどでした。
ですから、私たち夫婦の食卓にはワインもなければお酒もありませんでした。
まあ世間的に言えば、なんの面白みもない夫婦だったかもしれません。

下戸ですから、2人とも酒席が苦手でした。
会社時代は、サラリーマンとして、上司に付き合わされることもありましたが、たとえ相手が社長であっても、調子を合わせたり、お酌をするようなことはしたことがありません。
実につまらない部下だったわけです。
それだけでなく部下を飲みに連れて行くこともありませんでした。
実に面白くない上司でもあったわけです。
課長だったころ、私とは仕事ではつながりのない副社長が私を飲みに連れて行こうとわざわざ声をかけてくれたことがあります。
もちろん私一人ではなく、取り巻き連中のなかに、なぜか若い私を入れてくれたのです。
いささか心が動きましたが、食事ではなく派手な酒席であることが予想されたので、みんなの前で即座に断りました。
一瞬、場が凍ったような感じになりましたが、大人物の副社長は許してくれました。
しかし、その副社長からは可愛げのない奴だと思われたことでしょう。
2度と声をかけてはもらえませんでした。

酒席ではなく、食事だといわれて、他者から副社長でやってきた人とご一緒したことがあります。
もう1人、副社長の前の会社の腹心の部下も一緒でした。
ところがなぜか私と副社長とが論争になってしまい、挙句の果てに。その副社長から辞表を書けと言われたことがあります。
もちろん書きませんでしたが、あれもたぶんお酒を飲んだからおかしくなったのです。
私ではなく、相手が、です。たぶん。
その時同席したのは、今も活躍している有名な人ですが、彼に確認したら、どちらに問題があったのか教えてくれるかもしれません。
もっとも、彼も酒を飲んでいたでしょうから、まあ結局は「藪の中」です。
だから酒席は嫌いです。

長くなってきました。
何を書こうと思ったのでしょうか。
しらふでもこんな感じでふらふらしているのですから、酔った人を非難できるしかくはありませんね。
やはり疲れているのでしょうか。
慰労会を早くやるように言ったほうがいいかもしれませんね。
いやはや困ったものです。
でもまた会費制の慰労会なのでしょうか。
だとしたらお酒は最小にして、美味しい料理のところがいいのですが。

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2014/07/17

■節子への挽歌2512:思い出などは不要ですね

節子ようやくナンバーが追いつきました。
今日は節子が逝ってしまってから2512日目です。
私以外の人にはまったく無意味な数字ですが。

数字に限りませんが、その人にとってだけ意味のあるものは少なくありません。
もしかしたら、そういうものがどれだけあるかが、人の関係性の深さを表すことなのかもしれません。
節子は、病気になってから、私との思い出づくりを意識していました。
「思い出」ということにあまり関心のない私は、そうした節子の思いにきちんと対応していなかったような気がしています。

このブログでも何回か書いていますが、私は過去にはあまり関心がありません。
未来にも、あまり関心がありません。
私の関心は、主に現在に向いています。
現在からは、それに続く過去や未来が見えるからです。
現在から切り離して過去や未来を考えることが不得手なのです。
そのくせ、節子が元気だったころは、よく写真を撮りました。
海外旅行の時には毎回ビデオ撮影をしていました。
いつか節子と一緒に見ようという思いがあったのでしょうか。
あるいは、過去に関心がないからこそ、記録を残しておこうと思ったのでしょうか。
自分でもわかりません。

節子が病気になってから、私の現在志向は一層強まりました。
節子の影響を受けたこともありましたが、節子の病気の現実を医師に告げられてから、それまで以上に、時間が「今」しか意味を持たなくなったのです。

節子を思い出させる物は、今もわが家にはたくさんあります。
節子が創っていった「思い出」を思い出させる物もたくさんあります。
しかし、実はそんなものがなくても、節子が今もここにいるように感じられます。
今にして思えば、「思い出」などは、ことさら創る必要などないのです。
一番の思い出は、何もない日常の暮らしなのです。
節子と暮らしたわが家や地域、それらがすべて節子とともにあるのです。
いささか大仰な言い方になりますが、世界のどこにいても、節子とつながっている気がしていますから、特別の思い出のモノやコトはいらないのです。
節子がいなくなった当初は、節子の遺品が捨てられませんでした。
しかし、今はそんな遺品はあまり意味を持たなくなってきました。

相変わらず、訳のわからないことを着てしまいました。
今日もまた、少し疲れ気味です。
川内原発が再稼動しそうなので、気持ちは一気に奈落の底です。

原子力規制委員会の田中委員長の思い出は、一体何なのでしょうか。

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2014/07/16

■節子への挽歌2511:意味のない世界で生きること

節子
一昨日、Yさんという方からメールが来ました。
まったく知らない方です。

書き出しはこうです。

V.E.フランクルについて探していると、
「節子への挽歌」にたどりつき、節子様への想いを拝見致しました。
体中から力が抜けて、悲しみと涙があふれました。

先月21日、私のパートナーは交通事故で突然いなくなりました。
享年56歳でした。
世界が崩壊し、いったい何がおこったのか、
ただただおびえて、葬儀を終えました。

すでに3週間たちましたが、やはり彼のすがたを追っている毎日です。
私にとって今この世界は意味がなく、魂はすでに彼とともにあるようです。

無断引用なので、引用はこれくらいにしますが、
私もこのメールを読んで、「体中から力が抜けて、悲しみと涙があふれました」。
これに続く文章も含めて、あまりにも通ずることが多かったからです。
不思議なことに、同じ体験をした人には、どこか共振するところがあるのかもしれません。
実は挽歌が2日ほど書けなかったのは、このメールでいろんなことがフラッシュバックしてしまったからです。
今もって、時々起こる現象です。

「世界が崩壊し、いったい何がおこったのか、ただただおびえて・・・・」。
まったくそうでした。
崩壊したはずなのに、崩壊していない世界を呪いたくなったことさえありました。
地球のすべてが爆発して消えてくれれば、どんなにいいだろう、そんな悪魔的な思いも浮かびました。
「意味のない世界」で生きることは、何かをごまかさなくてはできません。
私がほぼ自分を見つめなおせるようになったのは、昨年の秋ですから、6年はかかったことになります。
長くて短い6年でした。

しかし、今でも時々、意識が戻ることがあります。
無性に節子を抱きたくなる事があります。
無性に節子と話したくなる事があります。
無性に節子が恋しくなることがあります。
そんな時は、ただただしずみこんでいます。
助けが欲しくても、誰も助けてはくれませんから。

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■「先生」という呼び方

昨日もある人からメールが来ました。
ある人の紹介で私に会いたいというのです。
その宛先に、「佐藤修先生」と書かれていました。
正直、ムッとしました。
まあ「先生」と呼ばれることに、私はとても強い反感があるためです。
これは私の偏見でしょうが、先生でもない私に対して、気安く「先生」と呼ぶ人の人間観を疑いたくなるのです。
その人と会うことにはしましたが、その返信に「先生」ではなく「さん」にしてくださいと書きました。
またメールが来ました。
佐藤先生、早速返信いただき、ありがとうございました、と書いてありました。
この方は、私のメールを読んでいるのでしょうか。
哀しくなりました。

昨日、あるッ地方都市の職員の方から電話がありました。
一度お会いした方ですが、あいかわらず「佐藤先生」と呼びかけてきました。
発言を遮断して、「先生ではなく佐藤さんです」とつい言ってしまいました。
幸いに彼はその後、佐藤さんというようにしてくれたので、コミュニケーションが成り立ちました。

あるプロジェクトで、私はコーディネーター役をしていますが、そこでも事務局の人たちが「佐藤先生」と言う事が今でもあるため、受講者も最初は「佐藤先生」と呼びます。
最初に私はあなたたちの先生ではないので、佐藤さんと読んでくださいと明言するのですが、なかなかすぐには変わりません。

「先生」にはさまざまな意味がありますから(なかには馬鹿にしたニュアンスもありますし)、、私のように目くじらを立てることもないかもしれません。
それにみんな私を馬鹿にして「佐藤先生」と読んでいるのかもしれません(そうであれば素直に受け容れられます)。
しかし、人の呼び方はとても大事なのです。
その人との関係性や距離を象徴しているからです。

大企業の経営幹部のグループ活動に長年参加していますが、最近増えてきたのが、まずはメンバーの呼び方をみんなで決めるという風潮です。
私にはまったく馴染めませんが、なかには「・・・ちゃん」と呼び合おうというルールを作ることがあります。
私には信じられないことですが、私に対しても「さとチャン」と呼ぼうと勝手に決められました。
もちろん私はそう呼ばれても返事はしませんが。
しかし私には信じられない話です。
幼馴染であれば、そう呼ばれても抵抗はありませんが、親しくもない人からそんな呼ばれ方はされたくありません。
それに「さんづけで呼び合おう」というのであればともかく(しかしそんな事はわざわざ決めることもない当然のことでしょうが)、ニックネームで呼び合おうというルールをつくれば親密なコミュニケーションができるという発想の貧しさが気になります。
コミュニケーションは「技術」ではないのです。

この記事を関係者が読んだら気分を害するでしょう。
ほんとは一番読ませたいのですが、読んでほしくない気もします。
そこが私の中途半端なところです。
困ったものです。

でも、人の呼び方は、気をつけたいと思います。
先生と安直に呼ぶのではなく、その人との本当の関係性をしっかりと考えることが誠実な生き方です。
その結果、先生と呼ぶことにしたのであれば、それはそれでいいでしょう。
しかし、そう呼ぶのであれば、それなりの関係性を志向しなければなりません。

いずれにしろ、人の尊厳は、名前に象徴されていることだけは忘れてはいけないと思います。

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■節子への挽歌2510:さわやかな朝ほど寂しさが募ります

節子
今日も気持ちのいい朝です。
最近はいささか「生活」に負けていますが、さわやかな朝には元気がもらえます。
今朝の青空のように、自分の心も清々しく晴れわたらさなければいけません。
心さえ澄んでいれば、「生活」などには負けません。
生活に負けるとは、心が澄んでいないことの証かもしれません。
問題のすべては、自分が起点なのですから。

前にパスカルの言葉に言及しましたが、私自身、気をまぎらわすために、無理やりいろんなテーマや問題を引き寄せているような気がします。
しかも、素直に取り組めばよいものを、なぜか「問題」を引き起こすように、無意識に動いている自分に時々気づくのです。
たまたまその矛先が向いてしまった人には大変申し訳ないと思います。
考えてみると、以前は、その役割を節子が一手に引き受けていたのかもしれません。
そう思うと、心が痛みますが、そうした役割を果たせることの幸せを、私自身もなくしているさびしさも感じます。
節子の問題を全身で引き受けていたのは、私でしたから。
傷つけ合いながら、支え合う。
そういう伴侶がいなくなってしまったことが、時にはやりきれなくなります。
それに、こんなに気持ちのいい朝を、一緒に喜び合う節子もいない。

皮肉なことに、さわやかな朝ほど寂しさが募ります。
元気なはずが、またちょっと気持ちが沈みそうです。
やはり最近は生きることへの疲れがたまっているようです。
どうしたらよいのか、わからないのが困ったものなのですが。

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2014/07/15

■節子への挽歌2509:人間である生き方

節子
生命誌館館長の中村桂子さんが書いた「科学者が人間であること」を読みました。
1点を除き、その内容には心から共感しました。
と言うよりも、私が考え行動していることとほとんどすべて重なっていました。
多くの人に読んでほしくて、最近は会う人ごとに勧めていますが、あまり読んでもらえそうもありません。

中村さんのことは、以前、節子に話したことがあります。
もう30年以上前のことだと思いますが、私が東レにいた頃です。
中村さんは当時三菱化成関係の研究所にいたはずです。
ある会で、中村さんの講演を聴く機会がありました。
もう内容は覚えていませんが、「ライフ」に関するお話が私の心に響きました。
それでどうやったのかわかりませんが、中村さんのところに会いに行きました。
そこですごく感動した話がありました。
中村さんが、帰宅したら子どもの靴下の破れた穴を繕うのですよ、と話してくれたのです。
他のことは何も覚えていませんが、その話には感激し、帰宅するなり節子に話したことを覚えています。

今回、中村さんの本を読んで、そのことを思い出しました。
中村さんは、その頃から「人間」だったのです。

私が会社を辞めた時にも、挨拶状を中村さんに出しました。
それで電話をもらった記憶がありますが、以来、お付き合いは途絶えています。
何しろ私はどんどん社会から離脱してきていましたから。
しかし、今回、この本を読んで反省しました。
社会から離脱せずとも、「人間」であり続ける事ができたのだと思い直したのです。
私はただ、楽な道を選んだだけだったのかもしれません。
中村さんは心から尊敬できる人です。
しつこいですが、一点だけ気になることはありますが。

節子もまた「人間」でした。
だから私は好きでした。
節子が靴下を繕っている姿は見たことはありませんが、そういう生活感がありました。
帰宅すると、素朴な生活の雰囲気を、私はいつも味わえていたのです。

25年間の会社勤めの後、私は会社を辞めて、節子と一緒に生活起点の生き方を始めました。
お金は一挙に減りましたが、生活は一挙に増えました。
世界が変わりました。
すべては節子が一緒に支えてくれたおかげです。

その生き方が間違っていなかったことを、中村さんの本で改めて確信できました。
今ここに、節子がいないのがとても残念ですが、私ももっと「人間」であり続けようと思います。
いつかまた中村さんにお会いできるでしょうか。

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■節子への挽歌2508:節子の実家での法事の思い出

節子
節子の生家から恒例のメロンが届きました。
滋賀県の高月町ですが、以前は節子のおじさんがメロンを栽培していて、それを送ってくれていたのですが、その叔父さんも亡くなってしまい、いまは多分どこからから購入して送ってくれているのです。
節子は高月のメロンが好きでしたので、お供えさせてもらいました。

滋賀県に住んでいる節子の親戚のみなさんも世代交代が進んでいます。
私の知っている人は、もうあまりいません。
節子の生家とのつきあいも、最近はあまりありません。
節子がいたころは、いろいろな法事にも呼んでもらえましたが、最近は先方の遠慮もあって、呼ばれることも少なくなりました。
それで、節子の生家にはしばらく行っていないのですが、そのおかげで、私の頭の中にある節子の実家での法事の雰囲気は、節子がいた頃のままなのです。
最初は慣れていなかったので、むしろ苦痛でしたが、一度慣れてしまうと、田舎の法事は心和むものでもあります。
特に、私がお酒を飲めないこともみんなに知れわたったおかげで、無理に飲まなくてもよくなってからは苦痛もなくなりました。
それに、節子が笑いながら、私に法事での手の抜き方を教えてくれたのです。
節子の実家での法事においては、節子は私の心強い先生でした。
その節子が、かなりいい加減であることを知ったのは、だいぶたってからです。
要するに田舎の法事は、とてもカジュアルなのです。
一見、厳かで儀礼主義的ですが、本当は一種のお祭なのです。
ですから、節子と一緒に参加する法事は、不謹慎ですが、とても楽しいものでした。
しかし、節子がいなくなってからは、楽しくはなくなりましたが。

それに、法事に行けば必ず節子が話題になり、私も節子のことをいろいろと思い出してしまいます。
それはそれなりに辛いことなのです。
だから法事に呼ばれないのは、私にとっては実はホッとしてもいるのです。

もしかしたら、来年当たり、節子の母の13回忌かもしれません。
これは行かないわけにはいきません.
節子のいない田舎の法事は、いささか不安がありますが。

メロンはまだ食べごろではないので、仏壇にあがったままです。

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■節子への挽歌2507:不老不死の世界

節子
昨日、予定よりも少し早目に湯島のオフィスにいったのですが、オフィスの入り口に林さんが待っていました。
そういえば、2時にお会いする約束をしていたのです。
完全に失念していました。
20分も待たせてしまいました。
久しぶりに来てくれたのに、大変申し訳ないことをしました。

歳のせいで認知症気味になったわけではありません。
昔からこういうミスを時々やってしまうのです。
困ったものだ、などとすませられる問題ではありませんが、困ったものです。
それにしても林さんにはご迷惑をかけてしまいました。

林さんは、あるプロジェクトを立ち上げようとしています。
それで、それに関するネット探索をしていたら、なんと私が15年ほど前に書いた小論を見つけたのだそうです。
灯台下暗しと言うわけで、私のところに相談に来たわけです。

私も時々、昔書いたものやあるところで話した記録に偶然出会うことがあります。
まあこの10年はあまり活動していないのですが、昔は少しは活動もしていたようです。
久しぶりに読み直すと、感心することもあれば、恥ずかしくなることもあります。
ネットの世界に過去が残るということは、ある意味では不思議な感じです。
ネット世界というのが、もう一つの世界として成立しているのかもしれません。
そこでは時空間がたたみ込まれているのかもしれません。

この挽歌も、私がいなくなっても残るのでしょうか。
これまた不思議な気がします。
ネットには、さまざまな生きた足跡が蓄積していくのでしょうが、膨大な情報量になるでしょう。
その情報集積から、なにかが生まれるかもしれません。
不思議な世界です。

人のいのちは、記憶に関わっていると言われますが、このネット世界ではいのちの不老不死が実現しそうです。

この2日間、いろんなことに追われて、また挽歌をかけませんでしたが、ほぼすべて一段落したので、今日は3つほど挽歌を書くことにしました。

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2014/07/13

■節子への挽歌2506:クワガタとカミキリムシ

節子
わが家の住人が増えました。ただし、定着してくれるかどうかはわかりませんが。

ジュンがわが家に来る途中でクワガタを見つけました。
途中で子どもたちに会ったらあげるつもりだったようですが、今日は誰も外で遊んでいませんでした。
それで私がもらうことにしました。
物置から虫かごを出してきて、そこに2、3日、仮住まいしてもらい、その後、庭のどこかに放そうという計画です。
前にもこの計画は何回も試みましたが、いつも放した途端にどこかに行ってしまいます。
虫にも一宿一飯の仁義があるだろうと私は確信しているのですが、最近の昆虫の世界も荒れているようで、いつも期待を裏切られます。
逃げられているのは、池のカニだけではないのです。

その虫かごに餌や草木を入れようと探していたら、あまりにもタイミングよく、カミキリムシが飛んできました。
いささか太り気味でしたが、性格の良さそうなカミキリムシです。
これはやはりほってはおけません。
明日は彼らの餌を買ってきて、2.3日面倒を見て、しばらくしたら庭に放すことにします。

そういえば、先日、池を見たら、アメンボらしきものが泳いでいました。
わが家の庭も、少しずつ復活しています。
たぶん、ですが。

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2014/07/12

■節子への挽歌2505:赤後寺の千日会

節子
滋賀の高月町にいる節子の同級生だった雨森さんからメールが来ました。
赤後寺の千日会が先週無事終わったそうです。
前にも書いたことがありますが、赤後寺には千手観音像と聖観音像が安置されていますが、いずれも重要文化財です。
この周辺にはたくさんの観音様がいますが、ご住職のいない無住寺も多く、集落の人たちに守られてきているのです。
集落の人たちと観音様の関係が、いつも羨ましく思っています。
赤後寺のすぐ近くには賤ヶ岳がありますが、戦国時代はこのあたりは戦いも多かったため、戦火から守るために、土中や川の中に隠されてきたことがわかるような仏像も少なくありません。
赤後寺の観音様もその傷跡が残っています。
節子がいた時に2回ほど、私もお参りさせてもらいました。
最初に拝観した時には、その痛々しさに驚きました。
その時は、お寺の世話役をされていたのが、節子の叔父に当たる人でしたが、いまでも観音様を守っているのは集落のみなさんなのです。
雨森さんは、最近ずっとそのお役目を引き受けているお一人のようです。
幸せな人です。

赤後寺の千日会法要は有名な行事で、その法要へのお参りは千日分の参拝と同じ功徳があるとされているそうです。
ちなみに、そのどちらかの観音様は、災い転じて利となす「転利(コロリ)観音」といわれ、3回参拝すれば極楽往生できるともいわれているのだそうです。
節子は少なくとも3回以上はお参りしていますので極楽往生していますが、私はまだ2回なので、一度またお参りに行かねばいけません。

雨森さんからのメールによれば、大型台風が心配されていましたが、今年の千日会にも敦賀の姉夫婦はお参りに行ったそうです。
雨森さんはこう書いてきてくれました。

同級生の藤田君と境内で、「今年は節ちゃんの姉さん来られるかなあ、天気も悪いし、歳も我々より上やし」、なんて会話していたら、すぐ「今年も、お参りさせて頂きました」とお見えになりました。
地元の者とお姉さんと同級生の人とも暫く立ち話に花が咲きました。
「佐藤さんがお寄りになって、さわ蟹取りも、取れなかったでしょう」なんて話もしました。
妻への挽歌は読ませて頂いているのです。
雨森さんは今も挽歌を読んでくれているのです。
ありがたいことです。

発病後、節子が少し元気になった2年ほどの間、帰郷するたびに、雨森さんご夫妻と何回か食事をしました。
節子は病気になった後、私にいろんな友人を引き合わせました。
私も素直に同行しました。
節子がいつもとても幸せそうだったからです。
幸せそうな節子の隣にいることは、私にも大きな幸せでした。

雨森さんも、節子のおかげでいただいたご縁ですが、そこからさらに広がったご縁もあります。
雨森さんのメールを読みながら、ついついちょっと感傷的になってしまいました。

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■節子への挽歌2504:嫌な時代

節子
あなたがいなくなってから、嫌なことがどんどん進んでいます。
といっても、私の生活に関連したことではありません。
日本という社会、日本という地域が、です。
まあこんなことは時評編のテーマですが、少しばかり節子にも関わることなので、今日は少し「怒り」を書きたい気になりました。
節子なら、私の気持ちをわかってくれるでしょうから。

節子はNHKのテレビ番組「クローズアップ現代」のキャスターの国谷裕子さんが好きでした。
いつも、すごい人だと感心していました。
「クローズアップ現代」をそれほど見ていたわけではありませんが、なぜか節子は国谷さんに感動していました。
あまりに褒めるので、私もいつの間にか好きになりました。
たしかに他の番組のキャスターとは違います。

7月3日に同番組は集団的自衛権をとりあげました。
いまやどんどん政府の広報機関に向けているNHKの流れの中で、国谷さんは持ちこたえられるだろうかと思いながら見ていました。
国谷さんは健在でした。
少し安心しました。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3525.html#marugotocheck

ところがその後、国谷さんの代わりのアナウンサーがキャスターをやっているのに気づきました。
たまたま私が見た時だけがそうだったのかもしれません。
しかし少し嫌な予感がしました。
それと、これも気のせいか、番組が放送されない日も増えてきているような気がします。

今朝読んだネット記事に、週刊「フライデー」7月25日で7月3日の「クローズアップ現代」の顛末が書かれていることを知りました。
その記事が正しいのかどうか、私にはわかりませんが、それによれば、放映後、政府やNHKのトップからの圧力が凄かったというのです。
そして、国谷さんは控え室に戻ると人目もはばからずに涙を流したそうです。

NHKの9時のニュースは、いまや見るに耐えないほど、権力に寄生してきています。
私には、嫌な時代になってきました。
節子は、こうした時代の気分を浴びなくてよかったです。

節子
此岸はどんどん荒れてきています。
彼岸はそうでなければいいのですが。

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2014/07/11

■節子への挽歌2503:「なんとなく退屈だ」

節子
哲学者のハイデッガーは退屈を3つに分けて考えているそうです。
ハイデッガーは、著書も生き方も、私には歯が立たない難解なものですが、その退屈論にはちょっと興味を引かれます。
ハイデッガーは、最も深い退屈は「なんとなく退屈だ」というような退屈だというのです。
難しい議論は私にはあまり消化できていませんが、「なんとなく退屈だ」という気分はとてもよくわかります。

節子はよく知っていますが、私はどんなに忙しくても退屈することが少なくありませんでした。
他者から見たらそれなりに楽しんでいそうなイベントの最中にも、あるいは時間破産して何かに追われている時にも、結構退屈なことが少なくありません。
さらにいえば、大好きな遺跡を見に行っても、突然に隣の節子に、「この遺跡を見て何の意味があるのかなあ」とついつい発言してしまうことがあるのです。
その度に、あまり好きでもないのに付き合わされている節子は呆れるのですが、なぜか突然、退屈になる。
風光明媚な観光地に行って、そんなことを言おうものなら、節子は呆れるのではなく怒り出すのですが、一度ならず言ってしまったことがあります。
自分でもよくわかりませんが、ふとそう思うわけです。
友人知人と議論が盛り上がっている、まさにその時に、突然退屈を感じ、話せなくなることもあるのです。
体験して不快に感じた人もいるかもしれません。

自分が好きな行動をしている時でさえそうですから、お付き合い的な集まり、とりわけ結婚式や何かのお祝いなどは、もう死ぬほど退屈です。
隣の人と話していると楽しいですし、美味しい食事もうれしいのですが、どうもどこかから「なんとなく退屈だ」という声が聞こえてくるのです。
ちなみにお葬式で退屈したことはこれまで一度もありません。

ハイデッガーの退屈論を紹介している本を読んでいたら、まさにいつも私が感じていることが、文字通り書かれているのです。
驚くというよりも、奇妙な気になって、一気に読んでしまいましたが、読み終えた後、やはりどこかで「なんとなく退屈だ」と思う気持ちがあるのです。
困ったものです。

ところで、いささか言いよどみますが、「3万年付き合っても退屈しないよ」と節子に言ったことがあります。
それも一度ならず、でしたが、節子は冗談だと笑い流していました。
私が飽きっぽいこともよく知っているからです。
しかし、実はその気分は素直な私の実感でした。
私の数少ない信条の一つは、「嘘をつかない」ことです。

さて〈退屈〉とは何なのでしょうか。
節子がいなくなってから、私には「退屈でない」時は一度もありません。
しかし逆に、ふと「これって何の意味があるんだろうか」と思うこともなくなりました。
これを考えていくと、ハイデッガーよりも深遠な退屈論が書けるかもしれませんが、まとめる能力がありません。

ちなみに、人は忙しい時ほど退屈になるものです。
今日も退屈な1日でした。

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2014/07/10

■節子への挽歌2502:「生きることはまわりにバラを植えることである」

節子
最近、本を読むことが多くなりました。
だれでもそうでしょうが、自分の考えに合うような本を探すためか、共感できる文章によく出会います。
そのためだろうと思いますが、私自身の生き方への確信が強まっています。
昨日から読み出した本は、「暇と退屈の倫理学」という本です。
改めて自分の生き方や考え方が整理されるうれしさを感じながら読んでいますが、やわらかい本にもかかわらずなかなか進みません。
いろいろと自分自身の生き方を振り返りながら読んでいるせいかもしれません。

その本の序章に、ウィリアム・モリスの言葉が紹介されていました。

わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。
生きることはバラで飾られねばならない。
ちなみに、湯島のオフィスの玄関には真紅のバラの造花が飾られています。
節子が湯島に通っていた時には、できるだけ生花にしていましたが、あまり通えなくなってからは、造花にしていました。
節子が最後に飾った造花が真紅のバラでした。
節子は、真紅のバラが好きだったのです。
もう7年以上経ちますが、今もそのまま、飾っています。
モリスの言葉とは無関係ですが、私はその造花をすぐに思い出しました。
湯島に行くたびに、そのバラを見ているからです。

私の人生は、バラで飾られていたでしょうか。
私も節子も、パンよりもバラを求めていたことは間違いありませんが、バラにはあまり飾られていなかったかもしれません。
モリスの言葉にならえば、バラを植えていたと言ったほうが、私の感覚には合います。
「生きることはまわりにバラを植えることである」というわけです。
そして、節子がもし今も元気だったら、私たちの周りにはバラが咲き出していたかもしれません。
そんな気がしてなりません。

いま節子の位牌の前には、庭のバラの花が供えられています。
その多くは、節子が植えておいたバラです。

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■若者たちの気晴らしはどこに向かうのか

イラクの過激派ISISがイスラム国家の樹立を宣言したというような情報がなされていますが、テレビのニュースによれば、ISISにアメリカの若者たちが参加しているようです。
スペイン戦争を思い出します。

皮肉屋のパスカルはこう書いているそうです。

人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。
部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。
そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。
人が一番辛いのは、何もやることがないことです、
とりわけ若者はそうでしょう。

スピノザの研究者の國分功一郎さんは「大義のために死ぬのをうらやましいと思えるのは、暇と退屈に悩まされている人間だ」とある本に書いていました。
昨今のアメリカのように、大義が失われている社会では、そう思う若者が出てきてもおかしくはありません。

1960年代は若者たちが大きく動いた時代でした。
しかし、その体験を踏まえてか、若者たちのエネルギーを管理する仕組みが進化しました。
若者たち自身もまた、生き方を学んだのかもしれません。

アメリカに劣らず、日本はもっと平和で大義を問う状況は少ないように思います。
私のような高齢者からすれば、大義を質すべき課題は少なくありませんが、若者たちにはそれはまり魅力的ではないようです。
大義を質す場合も、それがわくわくするようなものでなければ、向かう気にはなれないでしょう。
部屋に閉じこもっているほうが快適かもしれません。
それに部屋自体も、いまや世界に通じていますから。

日本の若者たちは、集団的自衛権にも自発的なISISへの参加にもあまり関心がないようですが、どういう世界に住みたいと思っているのでしょうか。
私はやはり、「集団的自衛権の世界」ではなく「自発的なISISへの参加の世界」に住みたいと思いますが。

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2014/07/09

■節子への挽歌2501:未来は見えないほうがいい

節子
とても強い台風が西日本に近づいているようで、テレビでは盛んに警戒情報をながしています。
今日の首都圏はとても良い天気で、テレビを見なければ、数日後に首都圏にも強い台風が来ることなど思いもしないでしょう。

「ペイチェック」という映画がありました。
ある人が、未来を見ることができる装置を開発するのですが、人類は未来を知ることで、不幸を予防できるどころか、知ってしまった未来に向けて、逆に突き進んでいくことを知り、その装置を壊すという物語です。
未来を知ることは、決して良いことではありません。
私はそう思っています。

大地震の予知や警戒に関しても盛んに報道されますが、私にはあまり関心はありません。
自然の猛威には抗うつもりもありません。
未来を知って、生きやすくなるのであればともかく、そうはならないでしょうから。

闘病中の節子にとって、大切なのは未来ではなくその時々でした。
私は、しかし、その節子の真剣な生き方とは少しずれてしまっていました。
節子に、病気が治ったらとか、元気になったらとか、そんな条件付の会話をしていたような気がします。
今から考えれば、私にとって都合の良い未来を見たがっていただけです。
それは、節子の気持ちを逆なでしていたかもしれません。
節子にとっては、そういう未来ではなく、いまそのものを私と分かち合えたかったはずです。
私は自分勝手に、明るい未来をイメージすることが、節子を元気にすると思い続けていたのです。
節子は、その私の考えには賛成しましたが、それは節子にとってはその時の私との関係が大事だったからです。
思いは共有できていたように見えて、実は全く別だあったのかもしれません。
そういうことに気づいたのも、節子が逝ってしまい、この挽歌を書いているおかげです。

人の未来は、おそらく決まっていないのです。
決まっていなければ見えるはずもない。
いや見えるとしたら、それは今をあいまいにする、一種の麻薬かもしれません。
未来ではなく、現実を誠実に見ることが、未来を見ることなのでしょう。

彼岸に行ったら、節子に謝らなければ行けないことが毎日増え続けています。
困ったものです。

最近は天気予報の精度が急速に高まっているようです。
それが本当に良いことなのかどうか。
私には迷うところです。

先が見える人生は、私の好みではありません。
節子はどうだったでしょうか。
7年前の今頃、節子はもしかしたら未来が見えてしまったのかもしれません。
しかし、私にはそれを伝えませんでした。
この季節になると、毎年、そんな気がしてきます。

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2014/07/08

■「脱法ハーブ」という概念が理解できない

脱法ハーブを服用して、交通事故を起こす人の報道が多いです。
服用すると意識がもうろうとしてしまう「脱法ハーブ」が販売されているようです。
以前から気になっていましたが、私には「脱法ハーブ」という概念が理解できません。
それで娘にも友人にも訊いたのですが、私が理解できる回答はまだ得られていません。
「脱法ハーブ」って、いったいどういうものなのでしょうか。

言葉の意味として、法律による規制の対象にならないことが「脱法」という意味のようですが、そうであれば、ほとんどのハーブが「脱法ハーブ」でしょう。
毎日私が飲んでいる緑茶も、その一つと言ってもいいでしょう。
でも緑茶やアップルティは「脱法ハーブ」とは言わないでしょう。

ということは、「脱法ハーブ」の「脱法」とは「法が規制するのと同じ効果をもたらすにもかかわらず、法規制の対象にはできない」ということなのでしょうか。
ここで忘れられているのは、ハーブに関する法規制の目的です。
法には必ず立法の目的があります。
その目的を達成するために、法はつくられます。
にもかかわらず、法ができると、それが基準になって考えるようになります。
つまり、本末転倒した状況を生み出しかねません。
脱法ハーブの問題は、そうしたことを明らかにしてくれます。

いわゆる「脱法ハーブ」が問題なのは、成分が法の規制の対象になっているかどうかではなく、それを服用すると問題が発生するということです。
法律の条文に明記されていなければ許されるわけではありません。
意識障害を起こすようなハーブは日常生活のなかでは服用すべきではないのです。
違法とは法律条文に違反することではなく、法律の趣旨や精神に反することです。
ですから、そもそも「脱法」という発想そのものが「違法」なのです。
「脱法ハーブ」などという言葉を使ってはいけないのです。
大学で、リーガルマインドの大切さを学んだ法学部生としてはそう思います。

問題の解決は極めて簡単です。
ハーブの規制を成分で規制するのではなく、効果で規制すればいいのです。
たとえば、「・・・のような成分によって引き起こされるような状況を引き起こすもの」と法文をあいまいにすればいいだけです。
あとはリーガルマインドを持った司法関係者がきちんと対応をすればいいのです。

少なくとも、「脱法ハーブ」などという言葉は、マスコミには使ttうぉしくはありません。
「脱法ハーブ」は、「適法」と考えるマスコミに大きな違和感があります。
私が、「脱法ハーブ」という概念が理解できないことがわかってもらえたでしょうか。
前にも書いたように、言葉には敏感でありたいです

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■節子への挽歌2500:空の青さは元気をくれます

節子
昨日とは違い、とても空が青い朝です。
昨夜は少し早目に寝たので、すっきりと目覚められました。
私は自然環境に大きく影響を受けるタイプなのですが、青空が一番元気づけられます。

青空といえば、思い出すのが2つあります。
エジプトのルクソールの青空と長野の千畳敷カールの青空です。
いずれも節子と一緒でした。

25年間の会社生活を辞めて、生き方を変えることにしたのが、今から25年前です。
家族みんなでエジプトに旅行に行きました。
わが家にとっては、初めての海外家族旅行でした。
ルクソールでは、ナイル川に面したホテルに泊まりました。
青空がきれいでした。

25年間の会社生活でも青空はたくさん見ていたはずですが、なぜか空の青さが心に残りました。
旅行中、節子と空が青いねと何回も話したことを思い出します。
以来、青空を見るのが好きになり、元気が出るようになりました。
それまでは、どちらかといえば、空の雲が好きだったのです。

千畳敷カールは、節子の病気が一時回復した時に一緒に行きました。
節子は元気で、一緒に千畳敷カールの散策を楽しみました。
あの時の空は、ルクソールの空よりも深い青さでした。
今でもはっきりと覚えています。

湯島のオフィスに行く途中に、実盛坂という急な階段があります。
その前で、必ず私の目は空を見上げます。
そして、いつも、エジプトと千畳敷の空を思い出します。

会社時代のことはあまり覚えていませんが、会社を辞めてからは空を見上げることが多くなりました。
最近はさらに多くなっています。
いつも節子が隣にいるような気がするからです。
ただし、今日のように、澄み切って広がる青空の時ですが。

今日は湯島に出かけようと思います。

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2014/07/07

■自殺は個人の問題か社会の問題か

一昨日、「自殺に追い込まれる状況をどうしたらなくしていけるか」連続ラウンドミーティング「企業で働く人編」パート2を開催しました。
と言っても、私は事務局役を少し手伝っただけで、主催者はパート1に参加してくれた大企業の現役の経営管理職の任にある人たちです。
その経緯は、案内させてもらった時に書きましたが、私としては大感激の集まりでした。
当事者たちがその気にならなければ、問題は見えてきませんし、解決にも向かいません。

そこでの議論はオフレコなので報告はできませんが、参加した人からのメールを少し引用させてもらいながら、少しだけ雰囲気を紹介させてもらいます。

参加者からの感想の一部です。

自殺が、個人の問題か、社会の問題か。
これは、企業が自殺対策を考えるうえで、最初の大きな壁と思われます。
○○さんが途中で、「・・ということを認めると、自殺は個人の問題だと認める事になってしまい、それは避けたいんですよ・・」とおっしゃっていましたが、そのあたりから本音を出し合い、考えを深め合えればと思いました。
少なくとも、その話し合いの入り口までは到達したということです。
ちなみに、参加者は14人、ほぼ半数は大企業の関係者ですが、この集まりに参加するまでは「自殺」の話など自分とは無縁と思っていた人も少なくないはずです。

この集まりのタイトル「自殺に追い込まれる状況をどうしたらなくしていけるか」からわかってもらえると思いますが、私の認識は、自殺は個人の問題ではなく社会の問題として捉えないと実態が見えてこないということです。
しかし、自殺とは個人の問題ではないかと思っている人も少なくないでしょう。
自殺を防止するための仕組みづくりや活動が広がっていますが、問題をどう捉えるかで、対策は変わってきます。
自殺は、個人の問題ではなく、社会の問題、つまり今の社会を形成している私たちみんなの問題と捉えることが、大切ではないかと思います。

今回の集まりではまだ、そうした議論は入り口に到達しただけですが、引き続き話し合いたいというメールも届いています。
それにしても、自殺に関する集まりに、休日にもかかわらず、参加してくれたことにも感激しています。

先のメールの送り手は、最後にこう書いていました。

日本の企業は、日本社会の大きな位置を占めています。
企業にできることは決して少なくないと思います。
この会が立ち消えにならず、小さく育っていかれることを願っています。

ぜひともパート3を開催したいと思っています。
一緒に取り組もうという方がいたら、ぜひご連絡ください。

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■節子への挽歌2499:どうして「やる気」が起きないのか

節子
今日は七夕ですが、残念ながら雨になりました。
あまり意味もないのですが、七夕までにこの挽歌のナンバーと節子を見送った後の日数とを合わせようと思っていたのですが、追いつきませんでした。
今日は節子がいなくなってから2502日目です。
3つずれてしまっています。

節子がいなくなってから、もう2500日も経ったのだと思うと、これまた不思議な気がします。
つい最近まで節子と一緒に暮らしていたような気がするからです。
しかし、その一方で、まだ2500日なのかという思いもあります。
節子と会わなくなってから、なが~い時間が経ってしまったような気もするのです。
時間の長さと言うのは、不思議なものです。

もし時間に密度があるのであれば、節子がいなくなってからの私の生きる時間の密度はかなり希薄になっています。
気がつくと無為に過ごしていることも少なくありませんし、第一、「いつまでに何かをしなくては」という思いはほとんどなくなりました。
節子がいた頃は、どんなに大変なことも、それでも明日には日が昇るのだからと頑張りましたが、いまは逆で、もう節子はいないのだからと、あんまり意味のない理屈づけで、無理をしないようになってしまっています。
節子の存在は、いつも私には大きな支えでした。
世界中の人からほめられるよりも、節子に認めてもらいたいという気分がありました。
そういう意識もあって、社会からはどんどん脱落してきているのですが、肝心要の節子がいなくなってしまうと、がんばる支えがなくなってしまい、実に生きにくくなってしまったのです。
そういう意味での「自立」は、私にはどうも無理のようです。
節子に依存した生活が長すぎました。

節子がいないままの人生は、あとどのくらいつづくのでしょうか。
もうしばらくはつづきそうです。
節子がいなくても、何とか生きつづけることができることにも気づきました。
それに、私が生きつづけることは、節子が現世とのつながりを維持しつづけ、節子もまた生きつづけることにもなりますから、もう少しつづくのも悪いことではありません。

やることが今日も山積みでしたが、あんまり進みませんでした。
節子はよく知っていますが、私は「やる気」が起きないと何もできないのです。
しかし、今日はあまりに怠惰でしたので、夜になって罪悪感に襲われています。
困ったものです。

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■節子への挽歌2498:挽歌を読んでくれている方からのメール

節子
昨日の記事にコメントが届きました。
4年ほど前に最初のコメントをもらった、お会いしたことのないライムさんという方からのコメントでした。

今夜の記事、胸に詰まりました。
本当に安心して話を聞いてもらえるのは、夫婦だけですね。
私もつくづく実感しております。
こういうコメントをもらうと、不思議なことに少し落ち着きます。
自分だけのことではないのだと思うからかもしれません。

挽歌を書いている時は、節子と会話しています。
以前は、会話しだすとすぐに書くことが浮かんできましたが、最近はそうでもありません。
時には節子とのしばらくの会話(もちろん声には出ませんが)だけで挽歌を書くこともなく、終わることもあります。
無言のままに、一緒にボーっとしている時さえあるのです。
それだけ「静かな関係」になってきたのかもしれません。
時には無性に会いたくなることもありますが。

ライムさんからのコメントは、2年ぶりでした。
人の「縁」に意味を感じている私としては、一度、メールやコメントをもらった方のことは時々思い出します。
なかにはわが家まで突然来てくださった方もいますが、その後、音信がなくなると、それなりに気になります。
ですから、久しぶりにコメントやメールが来ると、少しだけホッとします。
先日も、しばらく連絡のなかった方からメールをもらいました。
ホッとしました。

しかし、私の知らない人がどこかで時々、この挽歌を読んでくれていると思うと、実に不思議な気がします。
その人たちとも、ささやかにでしょうが、世界をシェアしているような気がします。
そして、そういう人たちに支えながら私は生きているような気もします。
みんな節子を介してつながった人たちなのですから。

夫婦とはちょっと違うとはいえ、そういう人たちに私は話を聞いてもらっている。
それを幸せだと思わないわけにはいきません。

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2014/07/06

■社会の埒外で生きられるか

今日、関川夏央さんの「二葉亭四迷の明治41年」という、ちょっと古い本を読みました。
この本は、明治20~30年代の文壇で活動した青年たちの話です。
そこにこんな文章が出てきます。

明治20年頃「官」たるの道を余儀なく、また意図してはずれ、そして政客でも学者でもなく実業家でもないなにものか、一般に社会の埒外にあるものと見られた文人あるいは言語による表現者となろうとした一群の青年たちが出現した。
それがたとえば夏目漱石であり、二葉亭四迷なのですが、彼らの生き様は見事に無頼漢的です。
社会から少し外れたところから、社会を見、社会に働きかけていた様子がよくわかります。
そしてその人たちが大きな役割を果たしたことも感じられます。

現在はどうでしょうか。
「官」たるの道を余儀なく、また意図してはずれ、そして政客でも学者でもなく実業家でもないなにものか、一般に社会の埒外にあるものと見られた存在になろうとした一群の青年たちは、いるのでしょうか。
いるとしたら、彼らはどこに向かうのでしょうか。
そして、社会は彼らの存在をどう見るのでしょうか。

いや、そもそも、今の日本では、「社会の埒外」に生きることが許されるのでしょうか。
昨日、お会いした人のお兄さんは、どうやらそうした「生き方」を選んでいるようです。
しかし、いろいろと生きづらいのではないかと思います。
今の時代、社会の埒外と言うことそのものが、存在を許されないのかもしれません。
そうしたなかで、埒外を生きつづけていることを支えているのはなんでしょうか。
私のように、中途半端な生き方をしている者にとっては、感心するしかありません。

人がすべて国家の管理対象になってから、日本では150年程が経過しています。
そして義務教育で個性は抑えられ、型にはめられてきました。
それは社会を平和にし効率化するためには効果的でした。
したがってそこに住む私たち一人ひとりにとっても、生きやすさを与えてくれたと思います。
もちろんそういう生き方を望まない人もいるでしょう。

「社会の埒外」の世界というと、あまり良いイメージは持たれないかもしれませんが(たとえばオメラスの地下室)、「社会の埒外」の世界の存在はとても大事なのではないかと思います。
埒外の存在しない社会は、やはり埒内の人にとっても、生きづらいのではないかと思います。

そろそろ社会からはじき出されそうな年齢になったせいか、そんなことを時々思うようになりました。

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■節子への挽歌2497:脳が詰まってきているような気がします

節子
最近、かなり「脳力」が低下しているようです。
数年前に、めまいが止まらずに2年続けて脳のMRIとCTを撮ったのですが、その時、医師からは「歳相応に老化しています」と言われましたが、さらに老化し、脳の一部に梗塞現象や機能低下が広がっているのでしょう。
思考力や判断力、あるいは記憶力が低下するのは、私にとっては全く問題はないのですが、脳の疲労感が強まっているのは、少し困っています。

昨日は2つの、いささか「重いテーマ」の話し合いをする機会がありました。
直接、重いテーマで話し合ったわけではないのですが、カジュアルに生きている私としても、一応、真剣に考えますので、それなりに疲れます。
しかも、その一つは初対面の人との話し合いでした。
それでも話し合っている時はいいのですが、終わって一人になると疲れがどっと出てくるのです。
昨夜も帰宅後、いささか疲れてしまい、ぐたっとなっていました。

ぐたっとなりながら考えました。
昔はこんなことはなかった、と。
なぜこんなに疲れるのでしょうか。
これは「健全な老化」現象なのでしょうか。
そうではない、と気づきました。
節子がいないことが原因なのです。

昔は、どんなに疲れて帰ってきても、節子に必ず何があったかを話したものです。
節子はよほどの事がない限り、それをきちんと聞いてくれました。
話を聞いてもらう、それが疲労を回復させる最高の手段だったのです。
どんなに悩ましい問題や不安も、それをわかってくれている人がいると思えば、乗り越えられます。
信頼できる人に話すことによって、脳内に蓄積されたものが放出されるのです。
放出されないままに、私の脳には、たくさんのものが沈殿しているのかもしれません。
そう気づいたわけです。

さてこの沈殿物をどう処理するか。
これまた解決の難しい問題です。
まだ私の脳は、疲れきったままで、回復していません。
畑にでも行くのがいいかもしれません。
でも、身体もそれなりに疲れています。
困ったものです。

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2014/07/05

■節子への挽歌2496:雨で元気になる野草が羨ましくもあります

節子
今日も雨です。
雨だとどうも元気が出ないのが、私の悪い性格です。
しかし、庭の花木も畑の私にとっての天敵の草も、みんな元気になるでしょう。
同じものが、人によっては元気のもとになり、元気を削ぐ原因にもなる。
私のように、「雑多な生き方」をしていると、それがよくわかります。

「雑多な生き方」とは、表現が不遜ですが、「枠を決めない生き方」というような感じで使いました。
先日会った友人から、私が懲りずに重荷を背負い込んだことに関して、「なんで引き受けてしまうのですか」と問われましたが、別に引き受けたわけではなく、ただ断らなかっただけなのです。
信条に反することは断りますが、それ以外は断る理由がないからです。
それが「枠を決めない生き方」であり、その結果が「雑多な生き方」です。

薬も、ある場合は人を元気にし、ある場合は人を害します。
同じ人にとっても、同じものが薬にもなり毒にもなる。
そうであればこそ、自分を生きる面白さと価値がある。
苦も楽も、結局同じことなのに気づけます。
そして、小賢しい知識や狭い考えで、断ったり引き受けたりするのではなく、断らないのが良いということになるわけです.
なにやらこれこぞが小賢しい気もしますが、私にはそれが「素直な生き方」なのです。

何でこんなことを書き出したのでしょうか。
最初に戻りましょう。
節子と結婚したのは、私にはプラスマイナス両面があったはずですが、私はすべてプラスと考えました。
節子も同じです。
であれば、節子との別れもまた、同じことです。
とまあ、こんなことを書こうと思って、書き出したのですが、そういう発想そのものがかなり小賢しいような気がしてきました。
せめて雨に当たって元気になる草のように、最近やけに降ってくる問題も、そこから元気をもらうように発想を変えないといけません。
雨で元気になる野草に学ばねばいけません。

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2014/07/04

■節子への挽歌2495:ルーティンワーク

節子
わが家の2階には、エアコンが一つもありません。
私の仕事場も2階なので、エアコンはありません。
ですから冬は寒いし、夏は暑いのです。
そこで今年は、仕事場の窓に朝顔を植えることにしました。
プランターに4本の宿根の朝顔を植えました。
湯島のオフィスに行く途中に、毎年、見事に花を咲かす朝顔のように、たくさん花を付けてくれるといいのですが、その花を見るのはたぶん私だけです。
朝顔には申し訳ないことをしましたが、せいぜいよく見るようにしないといけません。
そんなわけで、毎朝の日課が一つ増えました。
朝顔への水やりです。

最近、少しずつですが、家事のルーティンが身につきだしました。
ルーティンという発想は、昔の私には耐え難いものでしたが、いまは反対です。
ルーティンワークの大切さが、少しだけわかるようになってきました。
文化の基本はルーティンなのだということもわかってきました。
少しは成長しているわけです。

節子は今日も昨日のように平安だった、明日もまた今日のようでありますようにと、祈っていました。
私は、どちらかといえば、明日は今日と違いますようにと思うタイプでした。
昨日のような今日は、退屈で無意味だと思うほうでした。
未来は見えないほうがいいと、いつも思っていました。
一度の人生ならば、できるだけさまざまな世界と触れ合いたかったのです。

そのくせ、自分の世界はかなり限定的でした。
とりわけ、世間的な流行の世界には、どうしても心身が動きませんでした。
臆病といってもいいほどです。
節子は逆に、新しい世界への気楽さがありました。
わが家に新しい文化を持ち込んだのは、ほとんどが節子でした。
そうした私と節子との組み合わせが、私たちの世界のバランスをダイナミックに安定させてくれていたように思います。
節子のおかげで、私の世界はかなり広がったといってもいいでしょう。

人の生活は、さまざまなルーティンに支えられています。
節子がいなくなって、改めてそのことを実感します。
家事のほとんどすべてがルーティンなのです。
頭ではわかっていたそのことを、最近は心身でも少し対応できるようになりました。
しかし、節子がつくってくれていたわが家のルーティンも、だいぶ消えてしまいました。
私が壊してきたのかもしれません。
生き方を少し変えなければいけません。

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■オメラスとヘイルシャムの話その10:10羽のニワトリ

先月、オメラスとヘイルシャムに関するシリーズ記事を書きましたが、それを思わせる「10羽のニワトリ」の話を知りました。
私が大学を卒業した年に、茨城県の千代田村に、脳性麻痺者自身の共同体「マハラバ村コロニー」をつくった大仏空さんの生涯を記録した「脳性マヒ者と生きる」のなかで、大仏さんが仲間に語っている話です

10羽のニワトリがいる。9羽の調和をよりよく保つためにはどれか1羽を犠牲にしなければならない。その1羽が餌でもとろうものなら他の9羽が一斉に寄ってたかっていじめる。むろんたまごなど産めるわけがない。そんなニワトリでも「つぶして」しまうわけにはいかなかった。その1羽をつぶしてしまえば他の9羽は円満にいくかというとそうはいかない。9羽のうちからまた新たなスケープゴートが生まれるからだ。
20対80の法則というのがあります。
たとえば、アリの集団では2割がとても勤勉だそうですが、その働き者の2割のアリだけで集団をつくると、8割のアリが怠け者になるのだそうです。
逆に怠け者の8割のアリだけの集団にすると、その2割が勤勉になるのだそうです。

生命体の集団には、そうした構造があるようですが、それは個体と全体とが完全には切り離されてはいないということを示唆しています。
10羽のニワトリの話も、そうした構造の一つと考えられます。
1羽を犠牲にしても、また次の1羽が出てしまう。
そして最後には、「誰もいなくなってしまう」わけです。

こうした問題を解くのは難しいように思えます。
事実、オメラスを壊さずに、地下室の少年を救うことはできません。
しかし、実はそう思うところにこそ、大きな落し穴があります。
それは、構造を規定する軸が「一つ」だということです。
価値軸を多様におけば、構造はダイナミックに動き出します。
地下室が高層ビルの最上階になるかもしれません。
金銭軸での大富豪が、友人軸での最貧困者になるかもしれません。
犠牲になる1羽のニワトリが、実は状況主義的に変動するかもしれません。
つまり問題は、現実を固定しようとする私たちの発想にあるのです。
地下室は一つではなく、犠牲になるニワトリも特定される1羽ではないのです。

しかし、そうしたダイナミックな社会に生きるには、かなり大きなエネルギーが必要です。
だから多くの人は、特定の1羽を決めてしまうのでしょう。
学校という仕組みが、子どもたちにそれを教え込んでいるとしたら、恐ろしい話です。
そろそろ学校制度は根本から見直されるべき時期に来ています。
しかし、どうもその反対の動きがいよいよまた強まりそうです。

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2014/07/03

■節子への挽歌2494:コミュニティ、家庭、そして夫婦

節子
今日は国会議事堂から霞が関まで歩いてきました。
一昨日は官邸前で集団的自衛権反対の集会が行われていたのですが、今日はいつもの通りの様子でした。
夕方になれば、また人が集まってくるのかもしれませんが、夕方には予定があったので昼間に行ってみました。
肝心の反対活動が展開されていた時には、私は一度も行かなかったのですが、ずっと気になっていたので、もう終わってしまった後だったのですが、罪滅ぼしに歩いてきたわけです。
もう何も痕跡はありませんでしたが、一応、私としては気分的に落ち着きました。
節子に話したら、相変わらず無駄な動きが多いねと笑われそうですが。

それにしても今日は暑いです。
来客が2組あるので、湯島のオフィスに来ていますが、その合間に、明後日お会いする予定の増田レアさんのお父さんである、大仏空さんの生涯を紹介している本を読みました。
「脳性マヒ者と生きる 大仏空の生涯」という本です。
もう25年ほど前に出た本なので入手できず、図書館に頼んで探してもらい、ようやく昨日借りることができたのです。
そこに衝撃的な問題提起がありました。
家庭とコミュニティは両立するかどうか。
そして介護疲れで被介護者を殺めることの意味への問い直しです。
いずれも最近、私が気になってきているテーマなのですが、これほど明確に問題提起されるとたじろいでしまいます。

家族とコミュニティに関しては、それと類似の問題があります。
夫婦と家族の関係です。
夫婦は家族の一要素と捉えられがちですが、必ずしもそうではありません。

大仏さんは、茨城に脳性マヒ者のコロニー「マハラバ村」をつくり、そこで脳性マヒ者たちが家庭をつくりました。
ところが、その家庭がコロニーのまとまりに必ずしも支援的でなかったと、この本の著者は語っています。
コミュニティの基本は家族・家庭であると思っていた私には衝撃的な問題提起ですが、考えてみれば当然すぎるほど当然の話です。
そして、同じ問題が夫婦と家族にもあることを、改めて意識しないわけにはいきません。
この問題は、節子がいなくなった後、ずっと考えてきたことです。

以前、書いたことがありますが、私たちにとっては親子よりも夫婦軸が強かった気がします。
娘たちにはとても申し訳ないことをしたと今頃になって強く反省しています。
愛しすぎる夫婦は決して家族にとっては望ましいものとは限りません。
それは親子関係が強すぎる家族にも当てはまるかもしれません。

ちょっと刺激の強すぎる本を読んでしまいました。
もっと元気な時に読むべきでした。

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■「ずれた間抜けな人」

世の中にはちょっと「ずれた間抜けな人」がいますが、どうやら私もその一人です。

集団的自衛権反対の激しいデモが官邸周辺で行われていたのは2日前です。
にもかかわらず、閣議決定されてしまいました。
テレビのニュースでは、居ても立ってもいられずに参加したという母親やお年寄りが取材に答えていました。
私はそれを自宅のテレビでぬくぬくとみていました。
罪悪感を少し持ちました。
その前日から体調を崩していたなどというのは、たぶん理由にはならないでしょう。

昨日もやはり出られませんでした。
どこか体調に違和感があり、ダウンしていました。
そして夜になって気がつきました。
因果は逆ではないのか、と。
行くべきところに行っていないので体調不良になっているのではないか。

今日はとても蒸し暑く、朝から相変わらず身体が重かったのですが、官邸前に行くことにしました。
一種の厄落としの気分です。
もう人は集まってはいないだろうと思いましたが、やはり集まってはいませんでした。
警察官が多かったですが、道路をはさんだ官邸前の道路に、一人の女性がプラカードを胸に持って立っているだけでした。
声をかけようかと一瞬迷いましたが、何やら瞑想しているような雰囲気に押されて、声をかけずに、その前を通り過ぎてしまいました。
そして、自分が「ずれた間抜けな人」なのだとますます恥ずかしくなりました。

それにしても一昨日の雰囲気はどこにも残っていませんでした。
反対からやってきた子連れの若い夫婦が、たかだか2日前なのに嘘みたいだね」と話しながらすれ違っていきました。
この3人は一昨日のデモに参加したのだろうかと思いながら、ではどうして今日もまた来たのだろうかと思いました。
ますます自分が「間抜け」に思えてきました。

霞が関のビジネス街と官庁街を少し歩いてみることにしました。
不思議なほどに、全くいつもの通りです。
みんな忙しそうに歩いていました。
それが不思議だと思うことが、そもそも「ずれた間抜けな人」の証拠かもしれません。

この界隈は、以前はよく歩きました。
歩いていて知り合いに会ったことも少なくありませんでした。
しかし、今はもう私は完全に場違いな存在になってしまいました。
近くで働いているだろう知り合いに電話をして食事も誘おうかと思いましたが、それはやめました。
終わった人の誘いは迷惑なことでしょうから。
ましてや「ずれた間抜けな人」とは、人は付き合いたくないでしょう。
カフェでコーヒーを飲もうかとも思いましたが、なぜか気おくれしてしまいました。
こうやって、人は社会から去っていくのだろうなとなんだか奇妙に納得してしまいました。

暑かったせいか、やはりどっと疲れが出てしまいました。
厄払いに来たはずなのに、体調は回復していないようです。
もしかしたら、因果は逆ではなかったのかもしれません。
「ずれた間抜けな人」は、なかなか間を埋められないのです。
困ったものです。

でもまあ、なんとか湯島のオフィスに宿りつきました。
着いた途端に初めての人から電話がありました。
実にいいタイミングでした。
もしかしたら、間が埋まったのかもしれません。
やはり因果は逆だったのです。
いやそんなことはどうでもいいですね。
「ずれた間抜けな人」にも困ったものです。

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■節子への挽歌2493:節子の縁

節子
節子のお兄さんからメールが来ました。
といっても、あなたにはお兄さんはいませんでしたね。
この「節子」は、あなたのことではありません。
この挽歌の読者のお1人の妹さんです。

以前、時々、この挽歌のコメントにも投稿してくださった人です。
愛する節子を喪ったことが契機で、この挽歌に出会ってくれました。
最初にメールをもらった時には、宮沢賢治の「永訣の朝」を思い出しました。
私が節子に会う前からとても好きな詩のひとつでした。

その人からのメールのことを書こうというわけではありません。
今日は「節子の縁」の話です。
この挽歌を読んでメールをくださった、少なくとも3人の方は、その愛する人の名前が「節子」なのです。
「節子への挽歌」でネットを調べるとこの挽歌に出会うわけです。
ですから、節子という名前からのご縁と言ってもいいでしょう。

名前は不思議なものです。
愛した人の名前が「節子」だったためか、「節子」という名前には好感を持ってしまいます。
いまでは、「節子」という名前は、私には特別の意味を持ってしまっています。

私と同姓同名の「佐藤修」さんと何回か会ったことがあります。
ある時は、佐藤修さんと食事を一緒にしたこともあります。
なんだかとても奇妙な気分でした。
前にも書きましたが、大学受験の時の隣の人も「佐藤修」さんでした。
一時期、私は「佐藤修の会」をつくろうと思っていたこともあります。
今はそういう元気はもう全くなくなってしまいましたが。

節子のご縁は大事にしなければいけません。
私と一緒で、「節子」に先立たれた人はみんな苦労しているようです。
しかし、そういう人とのメールも、とても奇妙な気分です。
「節子」という文字を見ると、どうしても私の場合は、あなたを思い出すからです。
あなたではない節子さんって、一体どんな人でしょうか。

彼岸に行ったら、会えるかもしれませんね。

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2014/07/02

■国は民のもの

最近私が観ているテレビドラマに、「テジョヨン」という韓国歴史ドラマがあります。
私が、韓国の歴史ドラマを観るようになったのは、韓国の人たちの歴史観、特に日本との関係に関心があったからです。
ですから、日本とのつながりがある、百済や新羅、高句麗などを舞台にしたものです。
ドラマとしてはあんまり面白くはないのですが、並行して韓国の歴史の本も何冊か読みました。
韓国の学校の歴史教科書も、小学校から高校までのものを読んでみました。
私の持っていたイメージとはかなり違っていました。

「テジョヨン」は、高句麗の滅亡から渤海の起こりまでをテーマにした全134話の大作です。
最初は、シナリオがお粗末だし、演技も中学校の学芸会のようだと思いながらも、それなりに有名な歴史上の人物が出てきますので、歴史を学ぶつもりで観ていました。
ところが最近、次回を見るのが楽しみになってきました。
主役のテジョヨンが、苦労を重ねながら、実にまともになったからです。
何がまともかといえば、人を信ずるようになったのです。
それに、信義を破ることがありません。
テジョヨンの息子のコムは、生まれながらにして、人を疑わず、信義を重んずる若者です。
嘘は言わず、真実をごまかすこともなく、弁解はせず、他者を利用せず、もちろんパフォーマンスなどすることなく、正々堂々と生きています。
観ていて、実に元気が出ます。

もう一つ、2人に共通したことがあります。
2人とも、政治とは「民」を守ることだと考えているのです。
国が滅んでも、そこに民がいれば、国は滅びないという考えです。
国があって民がいるのではなく、民がいて国があるのです。
もちろん「国民」などと言って、民に戦いを強要することはありません。
ただ、民がテジョヨンやコムのために立ち上がることはありますが。
もちろん戦いにおいては、自らが先陣を切ります。
民を逃がすために、自分が残って、敵を防ぎます。
その、民への誠実な姿勢を知った、敵の将軍がテジョヨンを生かす場面もあります。
戦いとは無縁のところに自分を置いて、国民に人を殺せと命ずるようなことはしません。

敢えて蛇足をつけ加えれば、2人とも、まずは相手を信じます。
だから相手もまた2人を信じてついてくる。
単細胞な敵は、だからみんなテジョヨンの味方になります。
そこには力による抑止論ではなく、まずは信頼して一歩を踏み出すオスグッドの精神があります。
ただし、小賢しく小欲に毒されている権力者たちは、力依存の抑止戦略から抜け出せず、結局は自らを滅ぼしていきます。

いささかドラマにほれ込みすぎですね。
しかしコムを演じている役者は実にいいです。
役者の名前も知りませんが、私が役者に惚れたのは初めての体験です。

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■節子への挽歌2492:「笑いがなくて生きているっていえるか」

節子
前の記事をアップした後、テレビを見たら、3年前に放映されたNHKテレビの「笑う沖縄 100年の物語」を再放送していました。
私がスイッチを入れた時にはもう残り時間が10分ほどのところでした。
しかし、印象に残る10分でした。
気がつくのが遅すぎました。

お笑い芸人のゴリさんが、終了後感想を述べていましたが、それにもとても心打たれました。
彼は、番組に出ていたある人の人間力を絶賛しながら、その人の発した言葉を紹介していました。
「笑いがなくて生きているっていえるか」だったような気もしますが、間違っている可能性のほうが大きいです。
その言葉は、普通は言えないような場所で語られたようでした。
ゴリさんが、あらゆる感情をこわされてしまった時には、もう笑うしかないのかもしれないというようなことを語っていました。
全体の状況が理解できていないまま、その言葉を聞いていましたが、それも含めて、今日の私にはとても心に響く言葉ばかりでした。

死に直面してもなお、節子は笑いを失いませんでした。
私たち家族も、笑いを大切にしました。
傍から見たら、おかしな家族だったのかもしれません。
そのことも思い出しましたが、それ以上に、最近の私の心境から抜け出ないといけないと思いました。

この数日、私はたぶん笑っていません。
だから心身がおかしくなっているのかもしれません。
明日は、必ず出かけようと思います。

テレビも、時には良いものです。
体調は相変わらず、あんまりよくありません。

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■節子への挽歌2491:「徘徊」気分がわかりました

節子
今日は調子がよければ、国会前に行ってみようと思っていましたが、やはりやめました。
どことなく違和感と疲労感があります。
もう1日だけ休もうと思います。
昨日、無理をして畑に行ったのが逆効果でした。
畑に行くくらいなら、国会前に行くべきでした。
そうしたら気が晴れていたかもしれません。

節子がいなくなって、こういう時の時間の過ごし方の難しさに気づきました。
一人で休息をとるということは、それなりに難しいことです。
一人でいると退屈なので、どうしても何かしたくなります。
と言っても、本を読む気力はありませんし、テレビも観ているとなにやらむなしくなります。
節子が相手をしてくれれば、何気ない話で気を紛らわせますが、一人で話すわけにもいきません。
それでついついパソコンに向かったりしますが、メールなどを見てしまうと、また気の重くなる話が舞い込んできかねません。
気があふれている時は、どんなバッドニュースも取り組む課題に転換できますが、気が萎えている時には気持ちがどんよりしてしまいます。
外界との関係はシャットダウンしなければいけません。
だからと言って、寝る気にはなりません。
私の性癖として、明るい時にはなかなか眠る気にはなれません。
節子もそうでしたが。

さて困ったものです。
もしかしたら、こういう状況のなかで、高齢者は「徘徊」に出かけるのかもしれません。
不幸にもまだ私は、その域に達していませんが、そういえば、ちょっとどこかに出かけたい気分になりますね。

人生を一人で過ごすのは、やはり強い精神力が必要です。
私にはあまり向いていないようです。

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2014/07/01

■節子への挽歌2490:今日もデモに行きませんでした

節子とうとう集団的自衛権の行使容認が閣議で決定されました。
にもかかわらず、私はデモにも参加せずに、自宅にいました。
少しだけ迷ったのですが、体調もあまりよくないのを口実に国会にも行かずに、ただテレビを見ていました。
もし節子がいたら、一緒にいっただろうなと思いながら。

前に挽歌で書きましたが、節子が発病する2年前、テロ対策特別措置法制定反対する市民中心のデモに、節子と一緒に参加しました
寒い夜でしたが、みんな興奮していたので、熱気であふれていました。
節子には新鮮な体験だったようで、その後も、ピースウォークなどにも一緒に行きました。
私の話よりも、新聞やテレビの報道のほうを信じがちだった節子も、そうした現場を体験することで私への信頼感も高めてくれました。
もし節子が元気だったら、デモへの参加も続けたでしょうが、節子のがんが発見されてからは、そうした活動もほとんどやめてしまいました。
世界の未来も大切ですが、当時の私には節子のほうが大事でした。
それでも時々、節子に押されて、そういう集まりにも参加しましたが、持続できませんでした。

節子がいなくなってからは、ますます参加しなくなりました。
頭では参加しようと時々思うのですが、同時に、気が起きないのです。
ちょっと無理して参加しても、なにやらすぐに帰りたくなるのです。
これは実は、デモに限りません。
美術展も映画も観光もそうなのです。
一人で行く気にはなれないのです。

それではまずいなとは思うのですが、素直に生きることを大事にしていますので、仕方がありません。
節子がいなくなって、私の行動力は激減しています。
歳のせいもあるでしょうが、それだけではありません。
どんなにがんばっても、やはり心に大きな穴があいているようです。

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■「戦わない権利」と「戦わない義務」

集団的自衛権が閣議で合意されました。
私自身は、これで営々と積み重ねてきた平和への新しい挑戦が崩れ去ったと、とても残念に思います。
しかし、私が絶対に正しいとは限りません。
多くの人たちは、発言はともかく、本心ではむしろ喜んでいるのかもしれません。
そんな気がしてなりません。

平和のために「武装する権利」や「戦う権利」を認めている国が、現在は圧倒的に多いでしょう。
アメリカは、そのわかりやすい国の一つです。

日本では「豊臣秀吉の刀狩りを嚆矢とする政策によって、日本の民衆からは「武装する権利」が奪われたと理解されている。だがそれは、民衆に対して「戦わない権利」を保障するものでもあった」と歴史学者の牧原さんは言っています。
兵農分離制は住民たちに「兵士に取られない権利」を認めていたというわけです。
これは日本に限りません。
古代ギリシアも、あるいは最近私がよく観ている韓国の歴史ドラマにも明確に示されています。

皮肉なことに、大正時代の自由民権運動は、そうした民衆たちを「国民」に仕上げることに荷担しました。
「国民」とは、国家に対して権利と義務を持つ存在です。
国家と無縁には暮らすことが許されません。
そして徴兵制が導入されました。
国の戦いに参加できることは、国民の権利だったわけです。
国の戦いに参加することに喜びを感ずる人間を育てるのが、学校教育の大きな目的でした。
そういう流れを再び反転させたのが、憲法9条でした。
国民であっても戦争に行かなくてもいい。
これは、まさに人類の壮大な実験だったと、私は思います。
しかし、やはりどこかに無理があったようです。

「戦わない権利」と「戦わない義務」。
「戦わない権利」はもはや失われそうですが、「戦わない義務」であれば、個人の信条として守ることができるかもしれません。

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■節子への挽歌2489:精神的疲労

節子
風邪は入り口で止まりそうです。
いやもしかしたら、風邪ではなかったのかもしれません。
精神的疲労からのダウンかもしれません。
今日はまだ何となく気だるく、頭の後が重いのですが、大丈夫でしょう。
手のしびれが気になりますが、まぁ、いまに始まったことではありません。
ただし、湯島に行くのはやめました。
昨日、書いた「二葉亭四迷の明治41年」も、半分で眠くなってしまい、読了できませんでしたので、それも読もうと思います。

ところで、精神的疲労というのはどこから生まれてくるのでしょうか。
人と付き合うことから生ずるのでしょうか。
自然と付き合っていると、精神的疲労は生まれないのでしょうか。
そうとも言えません。
梅雨の季節に、畑で草と付き合っていると、それなりの疲労感は生まれるのです。
いくら刈っても、それ以上の速さで成長してくるのですから、自分のやっていることが徒労に終わりかねないのです。
しかし、人との付き合いと違って、その草に癒されることもあります。
それに、成長する若草を見ていると、それだけでも気持ちがさわやかになります。
成長して大きくなったセイタカアワダチソウを見るとムッとしますが、芽を出したばかりだと抜く気にもなれません。
そして結局は裏切られてしまうのですが。

という風に考えていくと、あることに気づきます。
精神的疲労は、他の精神との軋轢によって生まれるのではないかと、いうことです。
つまり自然との間ではあまり精神的疲労が生まれないのは、自然の精神を私たちが理解できていないからです。
それに対して、人との付き合いにおいては、相手の精神が理解できると思ってしまうから、そこに軋轢が生じてしまうわけです。
なるほど、とても納得できる考えです。

このテーマは、古典的SFの「ソラリスの陽のもとに」で扱われています。
いわゆる自然が精神を持って、人間にもわかるように働きかけだしたらどうなるか。
「小さな」精神しか持てない人間は、精神的疲労どころか、精神的破綻に瀕していきます。
小説を読んだ方、あるいは映画を観た方にはわかってもらえると思いますが。

次々と書きたいことが浮かんできてしまいます。
これもまた、精神的疲労(高揚)のせいでしょうか。
ソラリスは「彼岸」に通ずると考えると、この7年の私のいろんなことがこれまでとは違う意味で納得できます。
何となく、そうした事は意識していましたが、改めてかアンが得ると大テーマです。

最近、人との付き合いに疲れてきていること、その解消法は皮肉なことに人との付き合いにしかないこと。それができないのは節子と関係あること。そういうことを書こうと思っていたのに、なぜかソラリスの話になってしまいました。
やはり精神的に疲れているのかもしれません。
困ったものです。

今日は久しぶりに畑に行ってみようと思います。
先日植えた、必要周りが健気に頑張っていると思いますので。
明日は、たぶん精神は正常化しているでしょう。

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