■「ずれた間抜けな人」
世の中にはちょっと「ずれた間抜けな人」がいますが、どうやら私もその一人です。
集団的自衛権反対の激しいデモが官邸周辺で行われていたのは2日前です。
にもかかわらず、閣議決定されてしまいました。
テレビのニュースでは、居ても立ってもいられずに参加したという母親やお年寄りが取材に答えていました。
私はそれを自宅のテレビでぬくぬくとみていました。
罪悪感を少し持ちました。
その前日から体調を崩していたなどというのは、たぶん理由にはならないでしょう。
昨日もやはり出られませんでした。
どこか体調に違和感があり、ダウンしていました。
そして夜になって気がつきました。
因果は逆ではないのか、と。
行くべきところに行っていないので体調不良になっているのではないか。
今日はとても蒸し暑く、朝から相変わらず身体が重かったのですが、官邸前に行くことにしました。
一種の厄落としの気分です。
もう人は集まってはいないだろうと思いましたが、やはり集まってはいませんでした。
警察官が多かったですが、道路をはさんだ官邸前の道路に、一人の女性がプラカードを胸に持って立っているだけでした。
声をかけようかと一瞬迷いましたが、何やら瞑想しているような雰囲気に押されて、声をかけずに、その前を通り過ぎてしまいました。
そして、自分が「ずれた間抜けな人」なのだとますます恥ずかしくなりました。
それにしても一昨日の雰囲気はどこにも残っていませんでした。
反対からやってきた子連れの若い夫婦が、たかだか2日前なのに嘘みたいだね」と話しながらすれ違っていきました。
この3人は一昨日のデモに参加したのだろうかと思いながら、ではどうして今日もまた来たのだろうかと思いました。
ますます自分が「間抜け」に思えてきました。
霞が関のビジネス街と官庁街を少し歩いてみることにしました。
不思議なほどに、全くいつもの通りです。
みんな忙しそうに歩いていました。
それが不思議だと思うことが、そもそも「ずれた間抜けな人」の証拠かもしれません。
この界隈は、以前はよく歩きました。
歩いていて知り合いに会ったことも少なくありませんでした。
しかし、今はもう私は完全に場違いな存在になってしまいました。
近くで働いているだろう知り合いに電話をして食事も誘おうかと思いましたが、それはやめました。
終わった人の誘いは迷惑なことでしょうから。
ましてや「ずれた間抜けな人」とは、人は付き合いたくないでしょう。
カフェでコーヒーを飲もうかとも思いましたが、なぜか気おくれしてしまいました。
こうやって、人は社会から去っていくのだろうなとなんだか奇妙に納得してしまいました。
暑かったせいか、やはりどっと疲れが出てしまいました。
厄払いに来たはずなのに、体調は回復していないようです。
もしかしたら、因果は逆ではなかったのかもしれません。
「ずれた間抜けな人」は、なかなか間を埋められないのです。
困ったものです。
でもまあ、なんとか湯島のオフィスに宿りつきました。
着いた途端に初めての人から電話がありました。
実にいいタイミングでした。
もしかしたら、間が埋まったのかもしれません。
やはり因果は逆だったのです。
いやそんなことはどうでもいいですね。
「ずれた間抜けな人」にも困ったものです。
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