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2014/07/18

■節子への挽歌2513:慰労会の是非

節子
最近の私の疲れを口実にして、私の慰労会をやろうという人たちがいます。
困ったものです。
そうしたことでますます疲れるわけですから。
何しろ私は下戸なのです。
先日もあるグループから誘われてしまい、断るきっかけを失してしまい、飲みに行きました。
私はビール一杯しか飲めなのですが、帰ろうと立ち上がる元気もなく最後までいてしまいました。
しかも、それは慰労会ではなく、単なる飲み会でした。
きちんと会費を取られました、
私の勘違いで、慰労ではなかったのです。

それはそうでしょう。
性格の悪い私に対して、そう簡単に慰労してやろうなどと言ってくれる人はいないでしょう。
ですから、慰労会をしてくれるという好意はありがたく受けなければいけません。

しかし、慰労会というとどうして飲み会になるのでしょうか。
最近、「脱法ハーブ」を服用して、自動車事故を起こしている事件が連日のように報道されていますが、私にとっては、「脱法ハーブ」もアルコール類も同じに思えます。
良いか悪いかではなく、認めるのなら両方を認め、禁止するなら両方を禁止するべきだというのが、私の長年の考えですが、賛成する人はまずいないでしょう。
しかし、お酒を飲んで酔った人と話すのは、どうも好きになれません。
酔ってマナーを失するくらいなら、飲むべきではないと思うのですが、思わない人のほうが多いようです。

節子は、私以上に下戸でした。
お酒を飲むとじんましんが全身に出るほどでした。
ですから、私たち夫婦の食卓にはワインもなければお酒もありませんでした。
まあ世間的に言えば、なんの面白みもない夫婦だったかもしれません。

下戸ですから、2人とも酒席が苦手でした。
会社時代は、サラリーマンとして、上司に付き合わされることもありましたが、たとえ相手が社長であっても、調子を合わせたり、お酌をするようなことはしたことがありません。
実につまらない部下だったわけです。
それだけでなく部下を飲みに連れて行くこともありませんでした。
実に面白くない上司でもあったわけです。
課長だったころ、私とは仕事ではつながりのない副社長が私を飲みに連れて行こうとわざわざ声をかけてくれたことがあります。
もちろん私一人ではなく、取り巻き連中のなかに、なぜか若い私を入れてくれたのです。
いささか心が動きましたが、食事ではなく派手な酒席であることが予想されたので、みんなの前で即座に断りました。
一瞬、場が凍ったような感じになりましたが、大人物の副社長は許してくれました。
しかし、その副社長からは可愛げのない奴だと思われたことでしょう。
2度と声をかけてはもらえませんでした。

酒席ではなく、食事だといわれて、他者から副社長でやってきた人とご一緒したことがあります。
もう1人、副社長の前の会社の腹心の部下も一緒でした。
ところがなぜか私と副社長とが論争になってしまい、挙句の果てに。その副社長から辞表を書けと言われたことがあります。
もちろん書きませんでしたが、あれもたぶんお酒を飲んだからおかしくなったのです。
私ではなく、相手が、です。たぶん。
その時同席したのは、今も活躍している有名な人ですが、彼に確認したら、どちらに問題があったのか教えてくれるかもしれません。
もっとも、彼も酒を飲んでいたでしょうから、まあ結局は「藪の中」です。
だから酒席は嫌いです。

長くなってきました。
何を書こうと思ったのでしょうか。
しらふでもこんな感じでふらふらしているのですから、酔った人を非難できるしかくはありませんね。
やはり疲れているのでしょうか。
慰労会を早くやるように言ったほうがいいかもしれませんね。
いやはや困ったものです。
でもまた会費制の慰労会なのでしょうか。
だとしたらお酒は最小にして、美味しい料理のところがいいのですが。

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