■節子への挽歌2519:記憶の世界は事実とは違うようです
節子
また声が出なくなってしまいました。
それで今日こそ、電話にも出ず、自宅で声の療養です。
しかし、暑くて、朝早く起きてしまいました。
それで、久しぶりに白洲正子さんの「十一面観音巡礼」を読み出しました。
気が萎えた時やら、手持ち無沙汰の時に手に取る本なのです。
それを読んでいて、記憶の世界と客観的な世界の違いにまた気づきました。
私の記憶では、白洲さんの「十一面観音巡礼」を最初に読んだのは、芸術新潮の連載記事でした。
毎日、発酵日が待ち遠しいほどだった気がしますが、今朝、本に出ている年譜を見たら、芸術新潮での連載開始は1974年となっていました。
私の記憶には合いません。
1974年にも芸術新潮は愛読していましたが、私の記憶と整合しないことがあるのです。
というのは、私が最初に奈良の佐保路を歩いたきっかけは、法華寺の十一面観音に会いたかったからです。
そして、これは間違いないのですが、滋賀にいる時に節子と一緒に佐保路を歩き、法華寺の十一面観音について白州さんのエッセイからの受け売りの説明をしたのを覚えているのです。
1974年は、私は間違いなく東京に来ていましたし、2人で佐保路を歩いていることは絶対にないのです。
どうにも辻褄が合いません。
節子が残していった日記を読めば、たぶん事実がわかるのでしょうが、余計なことまで思い出しそうなので、やめました。
どうでもいい話かもしれないのですが、もしかしたら私の記憶の世界は私が編集した世界かもしれないという思いが生まれてきました。
これは私だけのことではありません。
友人知人が、私との共通の思い出話を語ってくれることがあります。
ところが、私の記憶とは全く違うことも少なくないのです。
私が行ったこともないところで、私の話を聞いたという人もいますし、私には記憶のない会話を再現してくる人もいます。
人の記憶は、かなり柔軟に変るのかもしれません。
とりわけ時間の前後関係が変わってしまうことは少なくありません。
今朝の私の戸惑いも、その一つです。
ところで、もう何回も読んだはずの「十一面観音巡礼」に最初に出てくる聖林寺の十一面観音の話です。
実はまだ会ったことがないのですが、急に興味を感じました。
白洲さんが書かれている、その生い立ちがその気にさせたのです。
きちんと写真を見ようと、愛読書の「かんのんみち」を探したのですが、なぜか見つかりません。
この本は絶対に手放さない本なのですが、どうしたことでしょうか。
しかし、その代わりに「奈良の仏像70」と言う写真集が出てきました。
もうすっかり忘れていた本ですが、そこに載っていました。
実にまじめな十一面観音像です。
同書の仮説によれば、天平文化の爛熟期の「美の権化」とあります。
しかしなぜか私にはまったく「美」が感じられません。
これまで見慣れてきた写真と、撮影者が違っているからかもしれません。
その意味でも、私の記憶は今朝、修正を余儀なくされました。
記憶とはやはり生きているものなのです。
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