■節子への挽歌2501:未来は見えないほうがいい
節子
とても強い台風が西日本に近づいているようで、テレビでは盛んに警戒情報をながしています。
今日の首都圏はとても良い天気で、テレビを見なければ、数日後に首都圏にも強い台風が来ることなど思いもしないでしょう。
「ペイチェック」という映画がありました。
ある人が、未来を見ることができる装置を開発するのですが、人類は未来を知ることで、不幸を予防できるどころか、知ってしまった未来に向けて、逆に突き進んでいくことを知り、その装置を壊すという物語です。
未来を知ることは、決して良いことではありません。
私はそう思っています。
大地震の予知や警戒に関しても盛んに報道されますが、私にはあまり関心はありません。
自然の猛威には抗うつもりもありません。
未来を知って、生きやすくなるのであればともかく、そうはならないでしょうから。
闘病中の節子にとって、大切なのは未来ではなくその時々でした。
私は、しかし、その節子の真剣な生き方とは少しずれてしまっていました。
節子に、病気が治ったらとか、元気になったらとか、そんな条件付の会話をしていたような気がします。
今から考えれば、私にとって都合の良い未来を見たがっていただけです。
それは、節子の気持ちを逆なでしていたかもしれません。
節子にとっては、そういう未来ではなく、いまそのものを私と分かち合えたかったはずです。
私は自分勝手に、明るい未来をイメージすることが、節子を元気にすると思い続けていたのです。
節子は、その私の考えには賛成しましたが、それは節子にとってはその時の私との関係が大事だったからです。
思いは共有できていたように見えて、実は全く別だあったのかもしれません。
そういうことに気づいたのも、節子が逝ってしまい、この挽歌を書いているおかげです。
人の未来は、おそらく決まっていないのです。
決まっていなければ見えるはずもない。
いや見えるとしたら、それは今をあいまいにする、一種の麻薬かもしれません。
未来ではなく、現実を誠実に見ることが、未来を見ることなのでしょう。
彼岸に行ったら、節子に謝らなければ行けないことが毎日増え続けています。
困ったものです。
最近は天気予報の精度が急速に高まっているようです。
それが本当に良いことなのかどうか。
私には迷うところです。
先が見える人生は、私の好みではありません。
節子はどうだったでしょうか。
7年前の今頃、節子はもしかしたら未来が見えてしまったのかもしれません。
しかし、私にはそれを伝えませんでした。
この季節になると、毎年、そんな気がしてきます。
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