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2014/07/29

■声を出すことの大切さ

喉に炎症を起こし、先週の月曜日に声が出なくなりました。
キャンセルできる用事はキャンセルしたのですが、自分で主催している集まりとか遠くからの来客とか、急ぎの相談はなかなか断りがたく、無理して声を出していたら、気管支にまで来てしまい、悲惨な週末から週明けを過ごしていました。
今日はようやく声が戻ってきました。

そんなわけで、この数日、極力、声を出さない生活をしていたのですが、話せないことはけっこう辛いものです。
声が出なければ、書けばいいという考えもありますが、自分が体験したことから言えば、声が出ない時には書く気にもなりません。
今回の体験で、話すことと書くことはつながっていることを知りました。
もう一つ、意外だったのは、声が出ないのであれば、静かに本でも読もうと思ったのですが、これがまただめでした。
テレビもあまり見る気になりません。
喉をやられたのは、風邪のせいかもしれませんから、書いたり読んだりする気にならないのかもしれません。
しかし熱はなく、身体のしんどさはないのです。
いささかこじつけですが、声が出ないとコミュニケーション志向が弱るのではまいかと思いつきました。
つまり身を隠したいという気分です。

声や言葉は、他者との関係性の潤滑油です。
私たちは、読んでいる時も書いている時も、頭の中で会話しています。
声が出なくなると、そうした会話もしたくなくなるのかもしれません。

この数日、声を出すことの大切さを、改めて実感しています。
今日はこれから人に会いに行きますが、うまく話が出来たら、時評編も再開します。
出なかったら、もうしばらく休みません。
辺野古にしても原発にしても、声を出したい事が山積みですが。

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