■競争を強いられる働き方と競争とは縁のない働き方
最近知り合った三尾さんは、東日本大震災後、気仙沼大島で1年程活動されていましたが、その時感じたことをある機関誌に連載していました。
それを読ませてもらったのですが、そこに「ボランティア」について言及している、こんな文章があります。
ちょっと長いのですが、とても共感できるので引用させてもらいます。
今.私は被災地で会社からも社会からも競争を強いられこることなく働いている。三尾さんは、被災地でさまざまなボランティア活動に触れてきたようですが、ボランティア活動と言っても実にさまざまであることを実感されたそうです。
組織の中で自分の地位保全のために競争心を奮い立たせる必要もなく、社会的なプレスティージに悩まされることもない。
しかし物心が付いた頃には競争社会にガッチリと組み込まれて、「自分もいつつか神経衰弱かうつ病になるのだろうか」と心配したものだ。
被災地のボランティア活動は上記の様な「競争」とは縁のない働き方なのではないだろうか。
そして、ある活動に出会ったことから、私との縁も生まれました。
そして、三尾さんは今、自らの生き方についていろいろとお考えのようです。
勝手に三尾さんのことを紹介してしまいましたが、三尾さんは「ふたつの働き方」を体験したわけです。
競争を強いられる働き方と競争とは縁のない働き方。
三尾さんにとっては、被災地を元気にしていくための大島での活動は、おそらくとても新鮮だったことでしょう。
そしてたぶん、働くとはこういうことなのだと実感されたのではないかと思います。
競争と縁のない働き方は、ボランティア活動に限ったものではないのです。
引用した文章に続けて、三尾さんはもっと本質的な指摘をされています、
続けて引用します。I
LO憲章となったベルサイユ条約の国際労働条項に大変興味深い一節があるという。とても多くのことに気づかされます。
そこには「多くの人々に不正義と困苦と貧困をもたらす労働の条件が存在し、それによって引き起こされる競争がしばしば世界の平和と調和を危くする」と書いてあるそうだ。
約百年前の理想主義的時代背景で生まれた文言である。
この文言はボランティア活動の動機を説明するために書かれたモノではないのだが、正義が行われないことに対する「怒り」、困難と苦しみに対する「同情」、他人の貧困に対する「慈善」、そしてあなたの不安は私の平和を脅かすかも知れないという「自己利益」は、ボランティア活動の動機そのモノのように思える。
ぜひ多くの人に読んでもらいたくて、長々と引用させてもらいました。
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