« ■節子への挽歌2496:雨で元気になる野草が羨ましくもあります | トップページ | ■社会の埒外で生きられるか »

2014/07/06

■節子への挽歌2497:脳が詰まってきているような気がします

節子
最近、かなり「脳力」が低下しているようです。
数年前に、めまいが止まらずに2年続けて脳のMRIとCTを撮ったのですが、その時、医師からは「歳相応に老化しています」と言われましたが、さらに老化し、脳の一部に梗塞現象や機能低下が広がっているのでしょう。
思考力や判断力、あるいは記憶力が低下するのは、私にとっては全く問題はないのですが、脳の疲労感が強まっているのは、少し困っています。

昨日は2つの、いささか「重いテーマ」の話し合いをする機会がありました。
直接、重いテーマで話し合ったわけではないのですが、カジュアルに生きている私としても、一応、真剣に考えますので、それなりに疲れます。
しかも、その一つは初対面の人との話し合いでした。
それでも話し合っている時はいいのですが、終わって一人になると疲れがどっと出てくるのです。
昨夜も帰宅後、いささか疲れてしまい、ぐたっとなっていました。

ぐたっとなりながら考えました。
昔はこんなことはなかった、と。
なぜこんなに疲れるのでしょうか。
これは「健全な老化」現象なのでしょうか。
そうではない、と気づきました。
節子がいないことが原因なのです。

昔は、どんなに疲れて帰ってきても、節子に必ず何があったかを話したものです。
節子はよほどの事がない限り、それをきちんと聞いてくれました。
話を聞いてもらう、それが疲労を回復させる最高の手段だったのです。
どんなに悩ましい問題や不安も、それをわかってくれている人がいると思えば、乗り越えられます。
信頼できる人に話すことによって、脳内に蓄積されたものが放出されるのです。
放出されないままに、私の脳には、たくさんのものが沈殿しているのかもしれません。
そう気づいたわけです。

さてこの沈殿物をどう処理するか。
これまた解決の難しい問題です。
まだ私の脳は、疲れきったままで、回復していません。
畑にでも行くのがいいかもしれません。
でも、身体もそれなりに疲れています。
困ったものです。

|

« ■節子への挽歌2496:雨で元気になる野草が羨ましくもあります | トップページ | ■社会の埒外で生きられるか »

妻への挽歌13」カテゴリの記事

コメント

こんばんは~

久しぶりにお邪魔させていただきました。

今夜の記事、胸に詰まりました。本当に安心して話を聞いてもらえるのは、夫婦だけですね。私もつくづく実感しております。

一人に慣れてきてはいても、ますます存在感は増しています。でも、ふとした日常で一人が快適だって思う時もあります。ただそれは…内観できるからです。大事な人と思えるのはある意味幸せですね。

きっと、佐藤様の奥様は静かに見ておられます。いつまでもお元気で日々をお暮らしください。。

私も一人、心の中を見つめながら生きております。
突然、申し訳ありません。

投稿: ライム | 2014/07/06 21:27

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌2497:脳が詰まってきているような気がします:

« ■節子への挽歌2496:雨で元気になる野草が羨ましくもあります | トップページ | ■社会の埒外で生きられるか »