■節子への挽歌2497:脳が詰まってきているような気がします
節子
最近、かなり「脳力」が低下しているようです。
数年前に、めまいが止まらずに2年続けて脳のMRIとCTを撮ったのですが、その時、医師からは「歳相応に老化しています」と言われましたが、さらに老化し、脳の一部に梗塞現象や機能低下が広がっているのでしょう。
思考力や判断力、あるいは記憶力が低下するのは、私にとっては全く問題はないのですが、脳の疲労感が強まっているのは、少し困っています。
昨日は2つの、いささか「重いテーマ」の話し合いをする機会がありました。
直接、重いテーマで話し合ったわけではないのですが、カジュアルに生きている私としても、一応、真剣に考えますので、それなりに疲れます。
しかも、その一つは初対面の人との話し合いでした。
それでも話し合っている時はいいのですが、終わって一人になると疲れがどっと出てくるのです。
昨夜も帰宅後、いささか疲れてしまい、ぐたっとなっていました。
ぐたっとなりながら考えました。
昔はこんなことはなかった、と。
なぜこんなに疲れるのでしょうか。
これは「健全な老化」現象なのでしょうか。
そうではない、と気づきました。
節子がいないことが原因なのです。
昔は、どんなに疲れて帰ってきても、節子に必ず何があったかを話したものです。
節子はよほどの事がない限り、それをきちんと聞いてくれました。
話を聞いてもらう、それが疲労を回復させる最高の手段だったのです。
どんなに悩ましい問題や不安も、それをわかってくれている人がいると思えば、乗り越えられます。
信頼できる人に話すことによって、脳内に蓄積されたものが放出されるのです。
放出されないままに、私の脳には、たくさんのものが沈殿しているのかもしれません。
そう気づいたわけです。
さてこの沈殿物をどう処理するか。
これまた解決の難しい問題です。
まだ私の脳は、疲れきったままで、回復していません。
畑にでも行くのがいいかもしれません。
でも、身体もそれなりに疲れています。
困ったものです。
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コメント
こんばんは~
久しぶりにお邪魔させていただきました。
今夜の記事、胸に詰まりました。本当に安心して話を聞いてもらえるのは、夫婦だけですね。私もつくづく実感しております。
一人に慣れてきてはいても、ますます存在感は増しています。でも、ふとした日常で一人が快適だって思う時もあります。ただそれは…内観できるからです。大事な人と思えるのはある意味幸せですね。
きっと、佐藤様の奥様は静かに見ておられます。いつまでもお元気で日々をお暮らしください。。
私も一人、心の中を見つめながら生きております。
突然、申し訳ありません。
投稿: ライム | 2014/07/06 21:27