■集団的自衛権と佐世保の同級生殺害事件
社会のすがたは、そこで暮らしている私たち一人ひとりの生き方によって、決まってきます。
同時に、社会のすがたはまた、そこで暮らしている私たち一人ひとりの生き方に大きな影響を与えます。
最近では、そのつながりが見えにくくなってきていますが、つながりの深さはむしろ増しているかもしれません。
たとえば、佐世保で起こった同級生殺害事件は、自分とは無縁の世界の出来事だと思いたいですが、大切なのは自分の生き方との繋がりを考えることだろうと思います。
同じ社会に住んでいるのであれば、無縁であるはずがありません、
社会が壊れだし、変質してきていることを、最近強く感じます。
壊れた社会には平和な暮らしはありません。
「積極的平和」のためには集団的自衛権が必要だという議論があります。
「積極的平和」は、そもそもがヨハン・ガルトゥングの「構造的暴力」に始まった議論ではないかと思っていましたが、現在の安倍政権にとってはむしろ「構造的暴力」政策を隠蔽するための手段のような気がします。
政治の常套手段の一つは、外部に敵を作ることです。
それによって、内部の「構造的暴力」を覆い隠すことができるからです。
とりわけ、「国民化」された大衆は「与えられた敵」を素直に受け容れます。
電力不足だと言われれば原発を受け容れ、中国が脅威だと言われれば憲法9条を投げ出します。
マスコミと結託すれば、「敵」を作り出すことなどは、簡単な話です。
最近は気象さえも、それに利用されていると私には感じられます。
しかし、その一方で、じわじわと進んでいる社会の変質や格差の拡大、人権の軽視への感度は落ちていきます。
いじめの問題は、学校の世界の話だと思い込んでいます。
要は、自分とは問題ないと。
しかし、ニーメラーが後悔したように、すべての問題は自分につながってきます。
中国や韓国から戦争を仕掛けられることよりも、私は、私自身の暮らしの足元である日本の社会が、壊れてきていることにこそ、脅威を感じます。
子どもたちの世界に何が起こっているのか。
若者たちは幸せなのか。
それは、実はすべて、私自身の世界に起こっていることとつながっています。
危険ドラッグとようやく呼び名が変わりましたが、「脱法ハーブ」などと危険物さえもが商品にされてしまう社会には、脅威を感じます。
中国の脅威よりも、私にはそちらのほうがよほど恐ろしいです。
平和とは何でしょうか。
たしかにガザやウクライナやシリアは平和ではないでしょう。
では日本は平和なのか。
集団的自衛権で平和を議論するのもいいでしょう。
しかし、他国との関係だけに「平和」があるわけではありません。
生活という点でいえば、むしろ国の内部の「平和」こそが大切です。
微力とはいえ、個人の生き方が社会のあり方につながっていきます。
平和に生きたければ、まずは自分の生き方を問い直すことからはじめなければいけない。
改めて、そう思い、そう行動しようと思います。
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