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2014/07/16

■節子への挽歌2511:意味のない世界で生きること

節子
一昨日、Yさんという方からメールが来ました。
まったく知らない方です。

書き出しはこうです。

V.E.フランクルについて探していると、
「節子への挽歌」にたどりつき、節子様への想いを拝見致しました。
体中から力が抜けて、悲しみと涙があふれました。

先月21日、私のパートナーは交通事故で突然いなくなりました。
享年56歳でした。
世界が崩壊し、いったい何がおこったのか、
ただただおびえて、葬儀を終えました。

すでに3週間たちましたが、やはり彼のすがたを追っている毎日です。
私にとって今この世界は意味がなく、魂はすでに彼とともにあるようです。

無断引用なので、引用はこれくらいにしますが、
私もこのメールを読んで、「体中から力が抜けて、悲しみと涙があふれました」。
これに続く文章も含めて、あまりにも通ずることが多かったからです。
不思議なことに、同じ体験をした人には、どこか共振するところがあるのかもしれません。
実は挽歌が2日ほど書けなかったのは、このメールでいろんなことがフラッシュバックしてしまったからです。
今もって、時々起こる現象です。

「世界が崩壊し、いったい何がおこったのか、ただただおびえて・・・・」。
まったくそうでした。
崩壊したはずなのに、崩壊していない世界を呪いたくなったことさえありました。
地球のすべてが爆発して消えてくれれば、どんなにいいだろう、そんな悪魔的な思いも浮かびました。
「意味のない世界」で生きることは、何かをごまかさなくてはできません。
私がほぼ自分を見つめなおせるようになったのは、昨年の秋ですから、6年はかかったことになります。
長くて短い6年でした。

しかし、今でも時々、意識が戻ることがあります。
無性に節子を抱きたくなる事があります。
無性に節子と話したくなる事があります。
無性に節子が恋しくなることがあります。
そんな時は、ただただしずみこんでいます。
助けが欲しくても、誰も助けてはくれませんから。

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