■節子への挽歌2511:意味のない世界で生きること
節子
一昨日、Yさんという方からメールが来ました。
まったく知らない方です。
書き出しはこうです。
V.E.フランクルについて探していると、無断引用なので、引用はこれくらいにしますが、
「節子への挽歌」にたどりつき、節子様への想いを拝見致しました。
体中から力が抜けて、悲しみと涙があふれました。先月21日、私のパートナーは交通事故で突然いなくなりました。
享年56歳でした。
世界が崩壊し、いったい何がおこったのか、
ただただおびえて、葬儀を終えました。すでに3週間たちましたが、やはり彼のすがたを追っている毎日です。
私にとって今この世界は意味がなく、魂はすでに彼とともにあるようです。
私もこのメールを読んで、「体中から力が抜けて、悲しみと涙があふれました」。
これに続く文章も含めて、あまりにも通ずることが多かったからです。
不思議なことに、同じ体験をした人には、どこか共振するところがあるのかもしれません。
実は挽歌が2日ほど書けなかったのは、このメールでいろんなことがフラッシュバックしてしまったからです。
今もって、時々起こる現象です。
「世界が崩壊し、いったい何がおこったのか、ただただおびえて・・・・」。
まったくそうでした。
崩壊したはずなのに、崩壊していない世界を呪いたくなったことさえありました。
地球のすべてが爆発して消えてくれれば、どんなにいいだろう、そんな悪魔的な思いも浮かびました。
「意味のない世界」で生きることは、何かをごまかさなくてはできません。
私がほぼ自分を見つめなおせるようになったのは、昨年の秋ですから、6年はかかったことになります。
長くて短い6年でした。
しかし、今でも時々、意識が戻ることがあります。
無性に節子を抱きたくなる事があります。
無性に節子と話したくなる事があります。
無性に節子が恋しくなることがあります。
そんな時は、ただただしずみこんでいます。
助けが欲しくても、誰も助けてはくれませんから。
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