■節子への挽歌2507:不老不死の世界
節子
昨日、予定よりも少し早目に湯島のオフィスにいったのですが、オフィスの入り口に林さんが待っていました。
そういえば、2時にお会いする約束をしていたのです。
完全に失念していました。
20分も待たせてしまいました。
久しぶりに来てくれたのに、大変申し訳ないことをしました。
歳のせいで認知症気味になったわけではありません。
昔からこういうミスを時々やってしまうのです。
困ったものだ、などとすませられる問題ではありませんが、困ったものです。
それにしても林さんにはご迷惑をかけてしまいました。
林さんは、あるプロジェクトを立ち上げようとしています。
それで、それに関するネット探索をしていたら、なんと私が15年ほど前に書いた小論を見つけたのだそうです。
灯台下暗しと言うわけで、私のところに相談に来たわけです。
私も時々、昔書いたものやあるところで話した記録に偶然出会うことがあります。
まあこの10年はあまり活動していないのですが、昔は少しは活動もしていたようです。
久しぶりに読み直すと、感心することもあれば、恥ずかしくなることもあります。
ネットの世界に過去が残るということは、ある意味では不思議な感じです。
ネット世界というのが、もう一つの世界として成立しているのかもしれません。
そこでは時空間がたたみ込まれているのかもしれません。
この挽歌も、私がいなくなっても残るのでしょうか。
これまた不思議な気がします。
ネットには、さまざまな生きた足跡が蓄積していくのでしょうが、膨大な情報量になるでしょう。
その情報集積から、なにかが生まれるかもしれません。
不思議な世界です。
人のいのちは、記憶に関わっていると言われますが、このネット世界ではいのちの不老不死が実現しそうです。
この2日間、いろんなことに追われて、また挽歌をかけませんでしたが、ほぼすべて一段落したので、今日は3つほど挽歌を書くことにしました。
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