■節子への挽歌2490:今日もデモに行きませんでした
節子とうとう集団的自衛権の行使容認が閣議で決定されました。
にもかかわらず、私はデモにも参加せずに、自宅にいました。
少しだけ迷ったのですが、体調もあまりよくないのを口実に国会にも行かずに、ただテレビを見ていました。
もし節子がいたら、一緒にいっただろうなと思いながら。
前に挽歌で書きましたが、節子が発病する2年前、テロ対策特別措置法制定反対する市民中心のデモに、節子と一緒に参加しました。
寒い夜でしたが、みんな興奮していたので、熱気であふれていました。
節子には新鮮な体験だったようで、その後も、ピースウォークなどにも一緒に行きました。
私の話よりも、新聞やテレビの報道のほうを信じがちだった節子も、そうした現場を体験することで私への信頼感も高めてくれました。
もし節子が元気だったら、デモへの参加も続けたでしょうが、節子のがんが発見されてからは、そうした活動もほとんどやめてしまいました。
世界の未来も大切ですが、当時の私には節子のほうが大事でした。
それでも時々、節子に押されて、そういう集まりにも参加しましたが、持続できませんでした。
節子がいなくなってからは、ますます参加しなくなりました。
頭では参加しようと時々思うのですが、同時に、気が起きないのです。
ちょっと無理して参加しても、なにやらすぐに帰りたくなるのです。
これは実は、デモに限りません。
美術展も映画も観光もそうなのです。
一人で行く気にはなれないのです。
それではまずいなとは思うのですが、素直に生きることを大事にしていますので、仕方がありません。
節子がいなくなって、私の行動力は激減しています。
歳のせいもあるでしょうが、それだけではありません。
どんなにがんばっても、やはり心に大きな穴があいているようです。
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