■節子への挽歌2492:「笑いがなくて生きているっていえるか」
節子
前の記事をアップした後、テレビを見たら、3年前に放映されたNHKテレビの「笑う沖縄 100年の物語」を再放送していました。
私がスイッチを入れた時にはもう残り時間が10分ほどのところでした。
しかし、印象に残る10分でした。
気がつくのが遅すぎました。
お笑い芸人のゴリさんが、終了後感想を述べていましたが、それにもとても心打たれました。
彼は、番組に出ていたある人の人間力を絶賛しながら、その人の発した言葉を紹介していました。
「笑いがなくて生きているっていえるか」だったような気もしますが、間違っている可能性のほうが大きいです。
その言葉は、普通は言えないような場所で語られたようでした。
ゴリさんが、あらゆる感情をこわされてしまった時には、もう笑うしかないのかもしれないというようなことを語っていました。
全体の状況が理解できていないまま、その言葉を聞いていましたが、それも含めて、今日の私にはとても心に響く言葉ばかりでした。
死に直面してもなお、節子は笑いを失いませんでした。
私たち家族も、笑いを大切にしました。
傍から見たら、おかしな家族だったのかもしれません。
そのことも思い出しましたが、それ以上に、最近の私の心境から抜け出ないといけないと思いました。
この数日、私はたぶん笑っていません。
だから心身がおかしくなっているのかもしれません。
明日は、必ず出かけようと思います。
テレビも、時には良いものです。
体調は相変わらず、あんまりよくありません。
| 固定リンク
「妻への挽歌13」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2600:恩送りと迷惑送り(2014.10.14)
- ■節子への挽歌2599:老いることや死んでいくことの意味(2014.10.13)
- ■節子への挽歌2598:「苦悩のない状態とは死んだ状態」(2014.10.12)
- ■節子への挽歌2597:不老不死(2014.10.11)
コメント