■節子への挽歌2512:思い出などは不要ですね
節子ようやくナンバーが追いつきました。
今日は節子が逝ってしまってから2512日目です。
私以外の人にはまったく無意味な数字ですが。
数字に限りませんが、その人にとってだけ意味のあるものは少なくありません。
もしかしたら、そういうものがどれだけあるかが、人の関係性の深さを表すことなのかもしれません。
節子は、病気になってから、私との思い出づくりを意識していました。
「思い出」ということにあまり関心のない私は、そうした節子の思いにきちんと対応していなかったような気がしています。
このブログでも何回か書いていますが、私は過去にはあまり関心がありません。
未来にも、あまり関心がありません。
私の関心は、主に現在に向いています。
現在からは、それに続く過去や未来が見えるからです。
現在から切り離して過去や未来を考えることが不得手なのです。
そのくせ、節子が元気だったころは、よく写真を撮りました。
海外旅行の時には毎回ビデオ撮影をしていました。
いつか節子と一緒に見ようという思いがあったのでしょうか。
あるいは、過去に関心がないからこそ、記録を残しておこうと思ったのでしょうか。
自分でもわかりません。
節子が病気になってから、私の現在志向は一層強まりました。
節子の影響を受けたこともありましたが、節子の病気の現実を医師に告げられてから、それまで以上に、時間が「今」しか意味を持たなくなったのです。
節子を思い出させる物は、今もわが家にはたくさんあります。
節子が創っていった「思い出」を思い出させる物もたくさんあります。
しかし、実はそんなものがなくても、節子が今もここにいるように感じられます。
今にして思えば、「思い出」などは、ことさら創る必要などないのです。
一番の思い出は、何もない日常の暮らしなのです。
節子と暮らしたわが家や地域、それらがすべて節子とともにあるのです。
いささか大仰な言い方になりますが、世界のどこにいても、節子とつながっている気がしていますから、特別の思い出のモノやコトはいらないのです。
節子がいなくなった当初は、節子の遺品が捨てられませんでした。
しかし、今はそんな遺品はあまり意味を持たなくなってきました。
相変わらず、訳のわからないことを着てしまいました。
今日もまた、少し疲れ気味です。
川内原発が再稼動しそうなので、気持ちは一気に奈落の底です。
原子力規制委員会の田中委員長の思い出は、一体何なのでしょうか。
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