■たえず棒や石を持ち歩く人類の宿命
英国のテレビドラマ「シャーロック」人気のためか、昔放映されていたテレビドラマ「シャーロック・ホームズ」が再放映されています。
時々見ているのですが、いつも2つのことを思いながら見ています。
先ず、昔の「犯罪」は、なんともまあ「のどか」です。
もちろん、殺人も傷害も誘拐もあり、「のどか」という表現は適切ではありませんが、最近の「犯罪」に比べると、あまりの違いに驚かされます。
犯罪者にも、同情すべきことが多く、また犯罪者もとても「素直」です。
捜査のスピードも、ゆるやかであり、もう少し急いだら犯罪防止も犯人逮捕もできたのではないかと思うようなことも少なくありません。
最近のサスペンスドラマを見たものにとっては、のんびりしすぎて面白くないのです。
しかし、そうした違いは、さまざまなことを気づかせてくれます。
そこに興味を持って、私は退屈な、このドラマを時々見ています。
ところで、当時の紳士たちがみんなステッキを持ち歩いているのも興味深いです。
シャーロックもワトソンも、いつもステッキを持っています。
たぶんこれは「武器」なのだろうなと感じていました。
「のどかな犯罪」と「武器の携帯」。
この2つのことが、どうも私の頭の中でつながりませんでした。
最近、西田正規さんの「人類史のなかの定住革命」という本を読みました。
そこにこんな文章が出てきました。
人類の祖先が、中型類人壊とすべき大きさの動物であったことを考えれば、人類誕生の背景として、大型化してきたオナガザル類との社会的関係はなによりも重視されるべきである。人類は、たえず棒や石を持ち歩くことによって、大型化してきたオナガザル類との共存に成功し、生き残ることのできた中型類人猿の子孫である。人類は、最初から武器とともに誕生したわけです。
とても納得できました。
たえず棒や石を持ち歩くのは、人類の宿命だったのです。
言い換えれば、人類は、「攻撃する生物」だったのです。
棒や石という武器は、しかし、中型類人猿などの外部に対するものでした。
それがいつの間にか、仲間にも向けられるようになったわけです。
武装する権利は、多くの国の基本的人権になっているのかもしれません。
しかし、日本ではなぜか400年以上前に、刀狩りと言われる「武装解除」が行われ、武装する権利は否定され、平和憲法によって「武装しない権利」が保証されました。
これはまさに、武器とともに誕生した人類の宿命を克服する革命でした。
その輝かしい革命が、いま捻じ曲げられようとしています。
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