■節子への挽歌2508:節子の実家での法事の思い出
節子
節子の生家から恒例のメロンが届きました。
滋賀県の高月町ですが、以前は節子のおじさんがメロンを栽培していて、それを送ってくれていたのですが、その叔父さんも亡くなってしまい、いまは多分どこからから購入して送ってくれているのです。
節子は高月のメロンが好きでしたので、お供えさせてもらいました。
滋賀県に住んでいる節子の親戚のみなさんも世代交代が進んでいます。
私の知っている人は、もうあまりいません。
節子の生家とのつきあいも、最近はあまりありません。
節子がいたころは、いろいろな法事にも呼んでもらえましたが、最近は先方の遠慮もあって、呼ばれることも少なくなりました。
それで、節子の生家にはしばらく行っていないのですが、そのおかげで、私の頭の中にある節子の実家での法事の雰囲気は、節子がいた頃のままなのです。
最初は慣れていなかったので、むしろ苦痛でしたが、一度慣れてしまうと、田舎の法事は心和むものでもあります。
特に、私がお酒を飲めないこともみんなに知れわたったおかげで、無理に飲まなくてもよくなってからは苦痛もなくなりました。
それに、節子が笑いながら、私に法事での手の抜き方を教えてくれたのです。
節子の実家での法事においては、節子は私の心強い先生でした。
その節子が、かなりいい加減であることを知ったのは、だいぶたってからです。
要するに田舎の法事は、とてもカジュアルなのです。
一見、厳かで儀礼主義的ですが、本当は一種のお祭なのです。
ですから、節子と一緒に参加する法事は、不謹慎ですが、とても楽しいものでした。
しかし、節子がいなくなってからは、楽しくはなくなりましたが。
それに、法事に行けば必ず節子が話題になり、私も節子のことをいろいろと思い出してしまいます。
それはそれなりに辛いことなのです。
だから法事に呼ばれないのは、私にとっては実はホッとしてもいるのです。
もしかしたら、来年当たり、節子の母の13回忌かもしれません。
これは行かないわけにはいきません.
節子のいない田舎の法事は、いささか不安がありますが。
メロンはまだ食べごろではないので、仏壇にあがったままです。
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