« ■節子への挽歌2510:さわやかな朝ほど寂しさが募ります | トップページ | ■節子への挽歌2511:意味のない世界で生きること »

2014/07/16

■「先生」という呼び方

昨日もある人からメールが来ました。
ある人の紹介で私に会いたいというのです。
その宛先に、「佐藤修先生」と書かれていました。
正直、ムッとしました。
まあ「先生」と呼ばれることに、私はとても強い反感があるためです。
これは私の偏見でしょうが、先生でもない私に対して、気安く「先生」と呼ぶ人の人間観を疑いたくなるのです。
その人と会うことにはしましたが、その返信に「先生」ではなく「さん」にしてくださいと書きました。
またメールが来ました。
佐藤先生、早速返信いただき、ありがとうございました、と書いてありました。
この方は、私のメールを読んでいるのでしょうか。
哀しくなりました。

昨日、あるッ地方都市の職員の方から電話がありました。
一度お会いした方ですが、あいかわらず「佐藤先生」と呼びかけてきました。
発言を遮断して、「先生ではなく佐藤さんです」とつい言ってしまいました。
幸いに彼はその後、佐藤さんというようにしてくれたので、コミュニケーションが成り立ちました。

あるプロジェクトで、私はコーディネーター役をしていますが、そこでも事務局の人たちが「佐藤先生」と言う事が今でもあるため、受講者も最初は「佐藤先生」と呼びます。
最初に私はあなたたちの先生ではないので、佐藤さんと読んでくださいと明言するのですが、なかなかすぐには変わりません。

「先生」にはさまざまな意味がありますから(なかには馬鹿にしたニュアンスもありますし)、、私のように目くじらを立てることもないかもしれません。
それにみんな私を馬鹿にして「佐藤先生」と読んでいるのかもしれません(そうであれば素直に受け容れられます)。
しかし、人の呼び方はとても大事なのです。
その人との関係性や距離を象徴しているからです。

大企業の経営幹部のグループ活動に長年参加していますが、最近増えてきたのが、まずはメンバーの呼び方をみんなで決めるという風潮です。
私にはまったく馴染めませんが、なかには「・・・ちゃん」と呼び合おうというルールを作ることがあります。
私には信じられないことですが、私に対しても「さとチャン」と呼ぼうと勝手に決められました。
もちろん私はそう呼ばれても返事はしませんが。
しかし私には信じられない話です。
幼馴染であれば、そう呼ばれても抵抗はありませんが、親しくもない人からそんな呼ばれ方はされたくありません。
それに「さんづけで呼び合おう」というのであればともかく(しかしそんな事はわざわざ決めることもない当然のことでしょうが)、ニックネームで呼び合おうというルールをつくれば親密なコミュニケーションができるという発想の貧しさが気になります。
コミュニケーションは「技術」ではないのです。

この記事を関係者が読んだら気分を害するでしょう。
ほんとは一番読ませたいのですが、読んでほしくない気もします。
そこが私の中途半端なところです。
困ったものです。

でも、人の呼び方は、気をつけたいと思います。
先生と安直に呼ぶのではなく、その人との本当の関係性をしっかりと考えることが誠実な生き方です。
その結果、先生と呼ぶことにしたのであれば、それはそれでいいでしょう。
しかし、そう呼ぶのであれば、それなりの関係性を志向しなければなりません。

いずれにしろ、人の尊厳は、名前に象徴されていることだけは忘れてはいけないと思います。

|

« ■節子への挽歌2510:さわやかな朝ほど寂しさが募ります | トップページ | ■節子への挽歌2511:意味のない世界で生きること »

生き方の話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/59992662

この記事へのトラックバック一覧です: ■「先生」という呼び方:

« ■節子への挽歌2510:さわやかな朝ほど寂しさが募ります | トップページ | ■節子への挽歌2511:意味のない世界で生きること »