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2014/08/21

■0.1秒の差は私には理解できません

娘に付き合って、水泳のパンパシフィック選手権をテレビで見ていました。
最初の男子200メートル自由形では、萩野公介が0.1秒の差で銀メダルでした。
娘も含めて、テレビの解説者たちも、惜しい、残念だ、悔しいと乱発していました。
どうも私には、その感覚がわかりません。
0.1秒の差なんて、それは運であり測定誤差であり、人間の感覚からは違いとは言えまいと思うのです。
それで、1秒以内の差は無視して、2人とも金メダルにすればいいのにと娘に言いましたが、無視されてしまいました。

でも、0.1秒を争うなどと言うことは、私には馬鹿げたことで、そんなつまらないことを大仰にとりあげる世間の風潮はやはりおかしいなと思います。
0.1秒も差があるという人もいるかもしれませんが、もっと大らかに、楽しい競い合いにしてほしいものです。
スポーツの世界も、いまや工業化されてきているようにも思います。
最近のアスリートたちは私には理解できない人たちです。
あの人たちは本当に人間なのであろうかと、時々思うことがあります。
まあ失礼な話ではあるのですが。

0.1秒で思い出すのは、西部劇の「荒野の7人」です。
ジェームズ・コバーンがからんできたガンマンと、ナイフとガンで真剣勝負をするのです。
標的を別にした競い合いでは、決着がつかなかったので、お互いを標的にした勝負をするわけですが、結果はジェームズ・コバーンのナイフが相手の心臓に突き刺さり、ガンマンは死んでしまいます。
ジェームズ・コバーンにとって、どうでもいい競い合いでしょう。
わずかの差を競い合うスポーツを見ていると、あんまり関係なのですが、いつも思い出す場面です。

0.01秒単位までいまや測定されるようですが、それにどういう意味があるのでしょうか。
アスリートたちは、たぶんまだ人間なのでしょうから、人間らしい競い方をしてほしいものです。
機械が支配する世界から脱却して欲しいものです。

羽田空港への乗り入れ路線の改善で、都心から空港までの所要時間が数分短縮されるというニュースが流れています。
リニアモーターカーの報道もそうですが、どうしてみんなそんなに時間短縮信仰が強いのでしょうか。

この2つの話は、私には深くつながっているように思えます。

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