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2014年8月

2014/08/31

■節子への挽歌2557:「ほどほどに」

節子
今年もまた、滋賀の節子の友人たちから胡蝶蘭が届きました。
そんな季節です。

私は、電話がどうも苦手なのですが、手紙はもっと苦手なので、いつものように、電話でお礼を言うことにしました。
2人とも元気そうでしたが、まあそれぞれいろいろとあるようです。
相手からも元気ですかと訊かれたので、歳に見合って「ほどほどに」元気ですと応えました。
70前後にもなれば、若い頃と同じ意味で「元気」であるのは、むしろ「病気」かもしれません。
私は最近、この「ほどほどに」という言葉が気にいっています。

元気ですか?
ほどほどに。
忙しいですか?
ほどほどに。
美味しいですか?
ほどほどに。
面白ですか?
ほどほどに。

実にいい言葉です。
もっと早くから、この「ほどほど人生」を守っていたら節子にも苦労をかけなかったかもしれません。
節子への愛も「ほどほど」だったら、私もこんなに苦労はしなかったかもしれません。
いや、むしろ「ほどほど」の愛だったので、こんなに苦労しているのかもしれませんが

まあ、いまもきっと私は「ほどほどの人生」を過ごしているのでしょう。
なにしろ私自身が「ほどほどの人」なのですから。

「ほどほど」
実にいい言葉です。
内容がないのが、実にいい。
はい。

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■節子への挽歌2556:いじけた生き方

節子
節子がいた頃にはまだ広がっていなかったフェイスブックというSNSがあります。
私は、しばらく入院しなければいけなくなったのを契機に、これに登録したのですが、おかげで病院にいてもネットで世界とつながっているような気分でした。
この仕組みでは、その気になれば、友だち関係にある人たちを通して、世界の動きにかなりランダムに触れることができます。
それも、しっかりと情報が入ってくるというよりも、何となく見聞できるという感じです。
メールやラインと違って、几帳面に対応する必要はなく、気が向いたらページを開いて、誰かの記事を読んだり、自分で書き込んで呼びかけたりすることができます。
10日間、放っておいてもだれからもとがめられることはありません。たぶん。

一番のメリットは、自分の生活を相対化できることです。
ともすると、人は狭い世界に埋没し、考え方や知識が偏りがちですが、そうしたことを防いでくれます。
だから、私も時々ですが、ほかの人のページをランダムに見るようにしています。
読むというよりも、まさに見る感覚なのですが。

ところで、そうやって他の人の生活を垣間見ていると、私の生活はかなり特殊なのではないかという思いが強まってきます。
まあ、それを意図して、25年前に生き方を変えたのですから、当然のことなのですが。
しかし、みんな陽気に楽しく人生を楽しんでいるのに、私はそういう生き方から大きく外れていることを改めて思い知らされると、時に寂しくもなります。
自分が、社会からはみ出していることや性格的な偏狭性やコンプレックス、あるいは生き方の間違いなどが、なんとなく体感的にわかるのです。
少なくとも、いまの私は、少し、いや、かなり、いじけていることは間違いありません。
だからといって、生き方を変えようとは思いませんが、自分の相対的な位置づけがわかると、他者への配慮は少しだけできるようになります。たぶん。

それにしても、みんな「幸せ」そうで、うらやましい。
最近はフェイスブックで、他者の生き方を見ながら、落ち込むことも少なくありません。
世界が見えることは、必ずしも良いことではないのかもしれません。

早いもので、8月も終わります。
8月は、私にとっては、特別の月になっています。

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2014/08/30

■節子への挽歌2555:縁に従う生き方

節子
オープンサロンに、久しぶりに武田さんがやってきました。
武田さんとはもう35年ほどのお付き合いですが、不思議な関係です。
お互いに議論好きのために、時々、もう湯島には来ないぞと関係が「悪化」することもありますが、時間が経つとまたやってきます。
私自身は、自分の好き嫌いで人と付き合ってはおらず、ただ自然に生きているだけなので、来る人とは会い、来ない人とは会わないだけの話です。
それに、一度出来た縁は大事にしていますので、仮に不快なことがあっても、それが付き合いを止めることにはなりません。
しかし、なぜか時々、突然連絡が来なくなり、湯島に来なくなる人もいます。
心当たりがない場合も多く、気にはなりますが、まあそれもまた自然の成り行きに任せます。
しかし、一度出来た縁は、大事にしようがしまいが、なくなるはずもありません。
10年ぶりに、連絡があって、湯島に来る人もいます。
人の縁とは不思議なものです。
それが実感できると、「縁に従う生き方」を素直に受け入れられます。

人の縁は、人生を豊かにも貧しくもしてくれます。
人生には、豊かさも貧しさも必要ですが、豊かさを求めて、「縁を活かす」生き方は私には向いていません。
偉そうにいえば、カントの「人を手段」にしてはいけないという定言に共感しているからです。
私自身はたくさんの縁に恵まれすぎるほど恵まれていますので、それだけで十分なのです。
それに、縁がもたらす貧しさや不幸も、人生を豊かにしてくれることは間違いありません。
むかし友人から、付き合う人をもう少し選べよと忠告されたことがあります。
一昨日、そう忠告してくれた友人と共通の友人に8年ぶりに会ったのですが、その友人の名前が出ました。
それで思い出したのですが、彼とも8年以上会っていないことに気づきました。
でも彼は私の大事な友人です。
多分いつか会えるでしょう。

節子と会わなくなってからまだ7年しか経っていません。
そう考えると、7年などよくあることだなという気もします。
まあそのうち、また会えるでしょう。
縁が出来ているのですから。
一度生まれた縁は、消えることはないでしょう。

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2014/08/29

■節子への挽歌2554:PPKという言葉が嫌いです

節子
昨日はちょっと疲れて帰宅し、また挽歌を書きませんでした。
この頃は疲れるとパソコンに向かうのもおっくうです。
挽歌も書かずに寝てしまいました。
なかなか習慣化できません。
それに今年の夏の暑さは、かなりこたえました。
こうやってだんだん人は彼岸への近づいていくのでしょう。
最近、その感覚がわかるようになってきました。

世の中にはPPK、ピンピンコロリと、突然に死んでしまうことを望む人もいますし、それをお祈りするお寺まであるようです。
私は、このPPKという言葉が大嫌いです。
とても不謹慎な言葉ではないかと思っているのです。
死を、そんな風に語るべきではないでしょう。
やはり死は、時に悲しみながら、時に迷惑を周囲に与えながら、時に戸惑いながら、時に心乱しながら、ゆっくりと迎えるのがいいように思います。
それに、ピンピンコロリという語感も不快感があります。
生や死をあっけらかんと語るのはいいですが、もっと真摯に向き合いたいというのが、私の思いです。

しかし、今のような生き方をしていると、そうなりますよ、と久しぶりに会った佐々木さんから言われました。
ともかくもっと元気をつけなくてはいけないと、また韓国の紅参精丸という丸薬をもらいました。
きちんと飲むようにと念を押されました。
私の心身の健康は、みなさんのさまざまな支えで維持されているのです。

声が出るのかという電話もありましたが、多分もう大丈夫でしょう。
もっとも話し続けていると昨日のようにまたおかしくなるのですが。

人間の心身は機械ではないので、加齢とともにさまざまな機能不全が起こります。
それにしたがって、素直に生きたいと思っていますが、どうもみなさんはいろいろと心配してくれます。
でもまあ好意を無にしてはいきません。
そうした支えで、もう少し年甲斐もなく元気に過ごさなければいけません。
しかし、PPKだけは避けたいと思います。
せめていつ旅立つかは、自分で決めたいと思っています。

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2014/08/27

■節子への挽歌2553:遺された人への思い

節子
大雨による土砂災害で広島では70人を超える人が亡くなりました。
中東では毎日のように戦いの中で多数の死者が出ています。
毎日、たくさんの人が死んでいる。
そしてたくさんの人が遺されている。
私たちは死者に対して哀悼の意を持ちますが、もしかしたら遺された人にこそ思いをいたさなければいけないのかもしれません。
辛いのは死者よりも遺されたものかもしれません。
最近、つくづくそう思います。

死者を悼む儀式は、遺されたもののためにあることはいうまでもありません。
遺されたものを思いやることこそが、死者への最高の哀悼になることもいうまでもありません。
そこでは、死者と遺されたものは一体となっている。
もし遺されるもののいない死というものがあるとしたら、それは哀しいことなのだろうか、と時に思うことがあります。
死が哀しいのは、遺されるものがいるからです。

それは当然のことです。
自分の死は、自分では体験しようもありません。
だから、自分の死を悲しむことはできない。
死は、遺されたものにしか起こりえないことなのです。
そう思うと、死とはいったいなんなのだろうかという思いがまた起こってきます。
節子にとって、死とはいったいなんだったのだろうか、と。
いや、そもそも節子は死んだのだろうか、と。

臨死体験の話を読むと、死は「至福の体験」でもあるようです。
他者の死は悲しみをもたらしますが、自らの死は至福をもたらす。
それは、ある意味での生の体験かもしれません。
だとしたら、その先にあるのはいったいなんなのか。

死の報道は、心を重くします。
しかし、死は新しい生に通じているのだとしたら、少し心が軽くなる。
そうでもしなければ、心身がもちません。
どうしてマスコミは、毎日毎日、こうもたくさんの死を報道するのでしょうか。
それも、あまりに生々しい物語とともに。
死者や遺された人を悼んでいるようですが、私にはとてもついていけません。
私の心が歪んでいるのでしょうか。

多くの遺された人の悲しみに、私自身の悲しみも乗せて、思いを馳せたいと思います。
思い切り悲しむのがいい。
遺された者の悲しみがわかるのは、自分だけですから。

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■「新しい国家」Islamic stateと「新しい戦争」

イスラム国とは一体何なのだろうかという疑問がなくなりせん。
あんまりきちんと報道をフォローしていないからかもしれませんが、何でまた彼らは「ステート」を名乗ったのでしょうか。
英語では、Islamic state と書かれていますので、イスラム国と訳すしかないのかもしれません。
アルカイダは、アルカイダ・ステートとは言いませんでした。
ISISは、最初からステートを名乗っています。
そこには、欧米からも多くの参加者があると報道されています。
にもかかわらず「ステート」。
そこが私にはどうもよくわかりません。
現在、活動を展開しているのは、シリアとイラクのようですから、国境をまたがっての建国。つまり国境の引き直しなのでしょうか。
最初は、国境を越えた集団が現れて、国家と対峙しだしたと思っていたのですが、やはり彼らが目指すのは国家なのでしょうか。
それでは権力争奪戦でしかありません。

昨日の朝日新聞の夕刊に、政治学者の藤原帰一さんが「新しい戦争の懸念」と題して小論を書かれていました。
「新しい戦争」と言う表現に魅かれて読みましたが、「新しさ」がよくわかりません。
9.11の後、新しい戦争が始まったと私も思いました。
それまでの戦争は国家間の武力衝突でした。
しかし、9.11以後に始まったのは、国家と非国家的な存在との武力衝突でした。
しかし、非国家的存在はつかみどころがないために、仮想的として国家が想定されてしまい、話がややこしくなってしまったのではないかと、私の乏しい知識で理解していました。
そう考えれば、アメリカを中心とした国家の行動は、適切とは言えないように思いました。
事実、あまり成功はしていないように思います。
そうした時に出てきた「イスラム国」。
なんだか時代が逆戻りしているようで、私の頭は混乱しています。

地理的な平面地図で世界を見慣れている私たちは、どうしても領域国家単位で物事を考えがちです。
しかし、そのなかで生活している人たちの立場は多様です。
日本に住んでいるムスリムは10万人程度で、そのうち、日本人は1万人足らずだそうです。
しかし、欧米にはもっと多くのムスリムがいることでしょう。
地理的な捉え方ではなく、人間の視点で世界をみれば、違った世界地図が出来るでしょう。
Islamic state という表現は、どうも理解し難いのです。

しかし、これは「新しい国家」かもしれません。
イスラム国は、残虐だといわれています。
人質を処刑する映像を流したりしていることが衝撃を与えています。
しかし、考えようによっては、暴力を正当化する仕組みを構築し、独占している国家への批判かもしれません。
密室で処刑するのと公開の場で処刑するのとでは、常識的な意味での残虐性は後者が強いかもしれませんが、それも私たちの思い込みでしかありません。
暴力の管理の枠組みや仕組みを変えたと考えれば、時代逆行とはいえません。
もしかしたら、「新しい国家」の現われのひとつかもしれません。

まあそれはともかく、「新しい戦争」が始まりだしているという思いは日毎に強くなっています。
集団的自衛権などの議論は20世紀的な議論のように思います。
そしていまこそ、日本国憲法第9条が大きな意味を持ち始めていると思います。

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2014/08/26

■節子への挽歌2552:「カミハテ商店」

節子
時評編に書きましたが、映画「カミハテ商店」を見ました。
東尋坊の茂さんが、ある意味でのモデルになっている映画です。
主人公の千代は子どもの頃、父親が自殺した60歳の女性です。
父が自殺した断崖絶壁がある、世界の果てのようなさびしい村で、商店を開き、毎日、10個のコッペパンを焼いて、障害のある若者が届けてくれる牛乳と一緒に売っているお店をやっています。
映画の内容に関しては、時評編に少し書きましたので、それを読んでください。

千代を演じているのは、高橋恵子さんです。
千代の人生に何があったかは、ほとんど語られていませんが、それがどんなものだったかは伝わってきます。
彼女の歩き方、他者への反応、言葉にはならない絶望感、生きることへのやりきれなさ。
ともかく観ていて辛くなるほどの映画なのですが、不思議なことにどこかにあったかさがあるのです。
最近は消えてしまったけれど、私が子どもの頃にたくさんあったような、あたたかさです。

ところで、映画の中の千代の歩き方を見ていて、もしかしたら私もあんなふうに人生を歩いている時があると思いました。
心身が重くなって、歩けなくことがある。
前に進めなくなって、人が嫌いになって、気が失せてしまう。
千代役の高橋恵子さんの演技は、恐ろしいほどに心に入ってきます。
その重い足取りは、彼女の店でパンを買って、崖から飛び降りた人たちの人生を背負ってしまっているからだろうかと最初は思いましたが、そうではないでしょう。
千代が背負っているのは、父親の死であり、その死を受け止めなければいけなかった母親の死なのです。
つまり、かけがえのない人との、不条理な別れです。
私の場合、背負っているのは節子一人です。

千代は映画の最後に、たぶん心身を軽くするきっかけに出会います。
映画には予兆しか描かれていませんが、千代は生きはじめるのです。
歩き方は変わるでしょう。
実は誰にもきっかけはたくさんあるのでしょう。
私にも、あるはずです。

実にさまざまなことを考えさせられた映画です。

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■人は偶然や不思議な出会いによって変わってゆく

DVDで映画「カミハテ商店」を観ました。
「死にたい人は…、死ねばいい…」という映画解説のコピーがどうしても頭から去らなかったからです。

東尋坊で見回り活動をしている茂幸雄さんからこの映画のことを前にお聞きしていました。
監督の山本起也さんは、この映画の脚本作りに先立ち東尋坊に茂さんを訪ねています。
この映画の主人公は、自殺しようとする人を止めない生き方をしてきた人です。
茂さんとは正反対の立場なのですが、実は茂さんと深くつながっているなと、観ていて感じました。
山本さんが茂さんの話から大きな影響を受けていることはまちがいありません。
登場人物に語らせる言葉も、時に茂さんの話を思い出させます。

具体的な設定は見事に茂さんの場合の対極です。
まず主人公の千代は女性で、自死遺族です。
商店は雑貨屋さんですが、ここは自殺しようとする人が勝手に立ち寄る場所になっています。
茂さんたちが運営しているもち屋さんは、自殺を思いとどまって再出発する場所です。
茂さんは陽気で話好きですが、千代は笑いも言葉も少ない人です。

その映画を紹介しているパンフレットから、映画の紹介を引用させてもらいます。

とある日本の最果て、海に突き出た断崖絶壁がある。そこは隠れ自殺の名所。近くに一軒の古びた商店があり、初老の女がパンと牛乳を売っている。終点でバスを降りた自殺者は、なぜか店に立ち寄り、パンと牛乳を買い求める。しかし、女は決して自殺者をひきとめようとはしない。それどころか、翌朝崖に行くと女は残された靴を拾ってくるのであった。
この行為の意味は、映画が始まる最初に短く暗示されています。
私が、この映画を観たくなったのは、監督の次の言葉です。
取材や調査を行えば行うほど、これこれしかじかだから自殺します、というような理由づけは遺された人を納得させるためにあるような気がしたのです。
死にたい人の気持ちは「わからない」ままでいいのだ。
むしろ生きることについての映画を作りたいと考えました。
何かをあきらめたり絶望している人間が、理屈では説明できない偶然や不思議な出会いによって変わってゆく。
そんな話を作りたかったのです。
そういう映画になっていると思います。
自殺の問題だけが語られている映画ではありません。
さまざまなテーマがつながっています。
ですから観た人はさまざまな視点から自らの人生を考えさせられるでしょう。

最初から最後まで実に重い映画ですが、最後のシーンは、もしかしたら「救い」です。
登場人物みんながつながって、きっとそれぞれが変わっていくことでしょう。
死を決意したことから始まる生もあるのです。
いや、山本さんが言うように、死とは生きるための拠り所なのかもしれません。

茂さんは、「死にたい人などいない」といつも断言します。
冒頭のコピー「死にたい人は…、死ねばいい…」は、「死にたくなければ生きればいい」ということでしょう。

生きたくないのに生きてきただろう千代は、たぶん笑いを取り戻すだろうというのが、映画を見終わった私の感想です。
一人で観ると辛いかもしれないのですが、多くの人たちに観てほしいと思いました。

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2014/08/25

■節子への挽歌2551:不思議な空間

節子
相変わらず喉の調子がよくありませんが、今日は湯島に発声のプロが2人やってきました。
声育士の菅原さんと声みがき術の牧野さんです。
菅原さんは節子も何回か会ったことがありますが、NPO法人感声アイモの事務局長です(たぶん)。
牧野さんは、私もつい最近知り合ったのですが、本業はボーカリストです。
ロイヤルナイツのメンバーだったので、たぶん私も節子もテレビでは何回か見ているはずです。

私の声を治しに来たのではありません。
共通点があるので、お2人をお引き合わせしたのです。
ところが、話がどんどん広がり、気がついたら、なんとホツマツタエや東日流外三郡誌などの話になってしまっていました。
その話題になるとやはり口を出したくなり、私もまた喉を使ってしまいました。
最後に久しぶりに菅原さんの発声の手ほどきがありましたが、その時はもう手遅れでした。
困ったものです。

2時間も話したのですが、2人はどうも話し足りなかったようで、私と別れた後、喫茶店で続きをやるといっていました。
湯島は初めてだった牧野さんは、帰り際に、不思議な空間と時間でしたと言いました。
どういう意味でしょうか。

牧野さんが「不思議な空間」と表現してくれましたが、実は同じような言葉を過去にも2回ほど受けています。
言葉は違っても、同じような感想を聞いたこともあります。
その「不思議な空間」に、私は25年間通い、そこで「不思議な時間」を過ごしてきたわけです。
ですから、私自身が「不思議な存在」になってしまっているとしても不思議ではありません。

最近、私の生き方や考え方は、どうも非常識のようで、ほとんどの人に理解されていないことを感じています。
フェイスブックでもそうですが、私の書き込みへのコメントは読み違いが多いですし、湯島での会話もあんまり正確に伝わっていないようです。
人は「不思議な存在」は理解しませんから、不思議とは思いませんが、牧野さんにはやはり不思議だったのでしょう。
不思議であることがわかる人とは、つきあいやすいです。

人が分かりあうというのは、難しいことです。いや不可能かもしれません。
世間の人たちと考えをシェアできないのは仕方がないのかもしれません。
しかし、正直、ちょっと寂しい気もします。
だから人は伴侶を求めるのかもしれません。

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2014/08/24

■節子への挽歌2550:7回目の施餓鬼

節子
7回目の施餓鬼です。
施餓鬼は毎年、太陽がじりじりするような暑い日です。
この日は檀家の人たちがみんな集まり、お寺が人で埋まるほどになります。
今年は、さぼって、本堂での行事が終わる頃にお寺に行きました。
本堂の外にも設営された椅子はもちろん満席で、参道の石段や墓場に行く通路も人であふれていました。
幸いに今年は例年よりも涼しいのが救いでした。

お墓の掃除をしたりして少し待っていると本堂の行事が終わりました。
本堂の行事に参加していた兄が卒塔婆を持って出てきたので、2人でお墓に行って、お参りをしました。
お墓の前で般若心経をあげ、久しぶりに兄と駅の近くのカフェで珈琲を飲みました。
兄と私は、生き方も考え方も大きく違っているので、会えば論争になります。
しかし決して仲が悪いわけではありません。
ただあまりに考え方や生き方が違うのです。
母親の遺言は、兄弟仲良くやってねと言うものでした。
最近では、そうした母親の心配がわかるようになりましたが、論争は相変わらずです。
それがまた「瑣末な話」での論争なのです。
節子も、あまりにどうでもいい問題で論争になるのを見ていて、呆れていましたが、まあ論争などと言うのはそんなものでしょう。
夫婦喧嘩は、さらに「どうでもいいこと」が原因なのですし。

施餓鬼から戻ると節子の位牌の前に軽井沢のお菓子が供えてありました。
お隣さんからのお土産だそうです。
わが家は施餓鬼といっても自宅の仏壇に食べ物を特別に供える棚はつくりません。
ただお寺の施餓鬼会に出て、卒塔婆をお墓に立ててくるだけです。
しかし、今年は、運よく、節子が好きそうなクッキーが供えられて節子は喜んでいるでしょう。
しかも節子が好きな軽井沢のお土産です。

娘たちが小さい時には、軽井沢の奥や周辺にはキャンプに何回か行きましたが、軽井沢銀座にはついに一緒には行けませんでした。
節子は友人たちと行ったことがありますが、私があんまり軽井沢は好きでないのです。
だから節子は私を誘うことはありませんでした。
私が好きなのは、ただ山があり森があり、川があり、サワガニがいそうなところです。
人が多い避暑地や観光地は、どうしても好きになれません。
今から思えば、節子にはきっと大きな不満だったことでしょう。

施餓鬼も終わりました。
後は節子の8回目の命日です。
今年は何もせずに、家族でつつましやかな会食でもしようと思います。
いつもはだれかに任せるのですが、娘のユカから、いつも他人任せの生き方をそろそろ止めて、今年は自分で仕切ったらと厳しく言われました。
なんともまあつめたい娘です。
節子、次の日曜日、会食したいので場所を決めといて、といえる人生が懐かしいです。

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■ちょっとハードなカフェサロン第3回のご案内

以前、このブログでも書きましたが、湯島で「ちょっとハードなカフェサロン」を始めました。
2回目は、マハラバ村に関連したサロンを予定していましたが、参加者が多くなってしまい、実際には話し合いのサロンにはなりませんでしたが、たくさんの刺激をもらいました。
3回目からまた、本来の話し合いをベースにしたサロンに戻ります。

9月は、小児外科医の松永正訓さんに、話題提供者になってもらう予定です。
松永さんは、長年、小児がんに取り組まれている方ですが、昨年は重度心身障害児を育てる家族を題材にした「運命の子 トリソミー」が小学館ノンフィクション大賞を受賞しました。
松永さんの作品を読ませてもらって、松永さんの「障害者」(人間)論や「生命倫理」観を聞きたくなりました。
松永さんは、「障害児」や「小児がん」を引き受けることになった家族とのつながりを通して、「人間」や「生命」の意味を問い質し、人間の関係性(社会)とは何かを、とても生き生きと問題提起していきます。
松永さんの誠実な、しかも強靭な問いかける勇気には、感動しました。
それで今回は、障害児の受容というテーマから入り、松永さん自身の人間観や社会観を話してもらい、できれば障害者の意味や生命倫理、医療や福祉のあり方などにまで話を広げられればと思います。

話し合いを中心にするサロンなので人数が限られるため、あまり広範囲には呼びかけられないのですが、松永さんのことやその著書を多くの人に知ってもらいたいという思いもあって、紹介することにしました。
それに限られたメンバーだけだと、話が広がりません。
今回も2~3人の枠内で、参加者を広げることにしました。
ご関心を持っていただけた方はぜひご連絡ください。

書籍「運命の子 トリソミー」は、私のサイトに少しだけ紹介しています。
http://homepage2.nifty.com/CWS/books.htm#140817
また松永さんのブログもあります。
http://wallaby-clinic.asablo.jp/blog/

○日時:2014年9月13日(土曜日)午後3時半~5時半
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○問題提起者:松永正訓さん(小児科医師 「運命の子 トリソミー」著者)
○会費:500円。

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2014/08/23

■節子への挽歌2549:発心

節子
録画していた「古寺名刹」の神護寺を観ました。
京都の高尾にある、紅葉の美しいお寺です。
私の好きなお寺の一つです。
節子とも2回ほど参拝したと思います。
最後に行った時も、たしか紅葉の季節だったように覚えています。
しかし、最近の私の記憶はいささか自信がありません。

番組の最後に、神護寺の谷内貫主が、お寺を単に癒しの場ではなく、発心の場にしてほしいというような話をしていました。
不正確かもしれませんが、私にはそう聞こえました。
そして、癒しとは発心なのだと思ったのです。

この1か月、心身ともにすっきりせずに、だらだらしています。
何もしていないわけではなく、外部から見たらそれなりに動いてはいるのですが、自分では気が入らない、とても居心地の悪い状況です。
しかも、歳をとるということはこんなことなのかと、奇妙に覚ったような気持ちが時々起こってくるのです。

神護寺貫主の言葉が、心身に響きました。
いま必要なのは「発心」、つまり何かをやろうと心を起こすことだ、と。
それにはやはり「場所」が必要なのです。
それを忘れていました。

たまたま明日は、施餓鬼でお寺に行きますが、施餓鬼で混雑している宝蔵寺は発心の場にはならないでしょう。
さてどこがいいでしょうか。
神護寺から不動明王が移ってきている成田山新勝寺がいいかもしれません。
場所の力を借りないと、動けなくなることもあるのです。

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2014/08/22

■節子への挽歌2548:サルスベリが満開です

節子
前の家から持ってきたサルスベリがよく咲いています。
これは転居時に植木などの移植を頼んでいた植木屋さんがあんまり価値がないと残していたのを、どうやら節子が娘たちと一緒に抜いて別に運んできたようです。
ジュンから聞いた話です。

わが家の家事は節子任せでした。
そのせいで、私の評判はたいへん悪いのです。
同世代に比べると、かなり理解があったほうではないかという自覚があったのですが、それは私の独りよがりで、現実は家事も育児も妻任せで、そのくせ理屈だけは言っていたようです。
しかもその「理屈」がそれこそ「独りよがり」のものだったようです。
具体的な事例を出して、娘から指摘されると、反論のしようもありません。
間違いなくそうだったのでしょう。
父親としては、反省させられることばかりです。

サルスベリは、毎年、たくさんの花を咲かせます。
もしかしたら一番元気かもしれません。
カルミヤも元気がありませんし、アセビはなくなってしまいました。
梅は持ってこなかったのでしょうか、姿がありません。
昔はたくさん梅がなって、梅干も節子がつくっていました。
ツバキやサザンカもあんまり元気がよくありません。
今年の春は、節子が買ってきた河津桜は花をつけませんでした。
ツツジも、節子がいなくなってから枯らしてしまいました。
いや枯らしたのではなく、枯れたのかもしれません。
そうした中で、元気なのがサルスベリ。
花木への愛情も大事にしなければいけません。

花木への接し方を見れば、節子への接し方もわかるかもしれません。
自分の記憶に残っていることと、現実とは違っているのかもしれません。
最近、娘と話していて、そんなことを思い知らされることが時々あります。
困ったものです。

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■「瑣末さ」のずれの拡大

この数日、「瑣末なこと」を少し意識して、ブログを書いてきました。
瑣末なことは、「たかが」という存在ですが、同時に「されど」なのです。
それは、価値観によって変わります。
価値観が違えば、「瑣末なこと」が「重大なこと」になり、その逆も起こります。

以前、私の友人から議論を吹っかけられて、よく「そんな問題は瑣末なことだ」と一刀両断していたことがあります。
例えば憲法条文解釈の話なのですが、私には全く興味のない話なので、ついついそういってしまうことが多かったのです。
しかし、その人にとっては、それは決して瑣末ではなく重要なことだったのです。
そのせいか、最近はその人は私に議論してこなくなりました。

そもそも相手の論点を「瑣末なこと」と言うのは傲慢です。
そうは思いますが、そんな瑣末なことよりも大事なことを議論しようという自分の思いが先行しがちです。
私が大事なことと思っていることは、相手にとっては瑣末なことかもしれないという思いには至っていないわけです。
これを、「ドングリに背比べ」というのでしょうか。

最近、いろいろな問題に関わって感ずるのは、人によって「瑣末さ」の対象がまったく違っていることです。
私にはとても大切なことで、いろいろと考えに考えて相手に伝えると、いとも簡単にそんなことはどうでもいいというような返答が返ってくることも少なくありません。
逆の場合もあります。
それが多分、他者と付き合う煩わしさかもしれません。
時にやりきれない気分になります。

何が本当に重要なことなのか。
それは、その人の生き方に大きく影響されます。
社会が多様になってくると、生き方もまた多様になってきます。
「瑣末さ」のずれは、ますます広がり深くなっていくでしょう。
生きづらい社会になってきました。
「瑣末さ」のずれを、創発的な方向で良いものに変えていく仕組みが育つといいのですが。

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2014/08/21

■0.1秒の差は私には理解できません

娘に付き合って、水泳のパンパシフィック選手権をテレビで見ていました。
最初の男子200メートル自由形では、萩野公介が0.1秒の差で銀メダルでした。
娘も含めて、テレビの解説者たちも、惜しい、残念だ、悔しいと乱発していました。
どうも私には、その感覚がわかりません。
0.1秒の差なんて、それは運であり測定誤差であり、人間の感覚からは違いとは言えまいと思うのです。
それで、1秒以内の差は無視して、2人とも金メダルにすればいいのにと娘に言いましたが、無視されてしまいました。

でも、0.1秒を争うなどと言うことは、私には馬鹿げたことで、そんなつまらないことを大仰にとりあげる世間の風潮はやはりおかしいなと思います。
0.1秒も差があるという人もいるかもしれませんが、もっと大らかに、楽しい競い合いにしてほしいものです。
スポーツの世界も、いまや工業化されてきているようにも思います。
最近のアスリートたちは私には理解できない人たちです。
あの人たちは本当に人間なのであろうかと、時々思うことがあります。
まあ失礼な話ではあるのですが。

0.1秒で思い出すのは、西部劇の「荒野の7人」です。
ジェームズ・コバーンがからんできたガンマンと、ナイフとガンで真剣勝負をするのです。
標的を別にした競い合いでは、決着がつかなかったので、お互いを標的にした勝負をするわけですが、結果はジェームズ・コバーンのナイフが相手の心臓に突き刺さり、ガンマンは死んでしまいます。
ジェームズ・コバーンにとって、どうでもいい競い合いでしょう。
わずかの差を競い合うスポーツを見ていると、あんまり関係なのですが、いつも思い出す場面です。

0.01秒単位までいまや測定されるようですが、それにどういう意味があるのでしょうか。
アスリートたちは、たぶんまだ人間なのでしょうから、人間らしい競い方をしてほしいものです。
機械が支配する世界から脱却して欲しいものです。

羽田空港への乗り入れ路線の改善で、都心から空港までの所要時間が数分短縮されるというニュースが流れています。
リニアモーターカーの報道もそうですが、どうしてみんなそんなに時間短縮信仰が強いのでしょうか。

この2つの話は、私には深くつながっているように思えます。

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■節子への挽歌2547:携帯電話もパソコンも買い替えました

節子
相変わらず暑いです。
今日は午前から午後にかけて、我孫子で用事が重なったのですが、街中を歩くだけで体力を消耗するような暑さでした。
夕方になって、ようやく少し風が和らいできました。

久しぶりに畑に行こうかとも思いますが、またおかしくなってもいけません。
迷いながら、パソコンに向かいました。
今朝、時評編に書いたのですが、携帯電話をやめようかと思っています。
それでいまもほとんど携帯電話の電源を切っているのですが、娘から電話したのにつながらなかったと早速に怒られました。
いささか勝手なのですが、携帯電話は発信専用にしようと思っていたのですが、あんまり評判はよくありません。
まあそれはそうでしょう。
でも発信専用が私には一番好都合ですから、しばらくはそれでやってみようと思います。
いつまでもつかはわかりませんが。

壊れたと思われたパソコンが直ったこともどこかに書きました。
このまま使おうと思ったのですが、ほとんど使わない携帯電話を買い替えるのであれば、毎日使うパソコンこそ買い替えるべきだと思いなおしました。
それに最近は、メールが時々消去したり、読み取れないデータがあったりして不便も生じているのです。
多分私が購入する最後のパソコンになるでしょうから、少しコストをかけてもいいのですが、そういうところへのこだわりがまったくないため、相変わらず低価格のデルのパソコンになってしまいました。
パソコンもたぶん15台目くらいですが、最近は味も素っ気もないデルばかりです。
問題は今使っているソフトがそのまま使えるかどうかです。

私はほとんどお金を使わないのですが、久しぶりの買い物でした。
もっとも最近はすべてカードとか引き落としなので、お金を使った気にはなりません。
節子がいなくなっても、その点は変わらないので、ありがたいのですが、そういうお金は一体誰が払っているのでしょうか。
いい加減だったとはいえ、管理してくれる節子がいなくなりましたから、カードが使えなくならないように注意しなければいけません。
しかし、やはりお金を直接払わないので、携帯電話もパソコンも神様の贈り物のような気がしてなりません。
だからこそ大事に使おうという気になるのですが。

パソコンはまだ届いていないので、今日は古いパソコンでの入力です。

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■森の神様へも祈りましょう

先日、今の私たちの生き方に対して神様が怒るという話を書きました。
昨日の広島などの土石流事故の報道を見ていて、複雑な思いを持ちました。
被害のあった地域の、空からの風景を見て、やはりどこかにおかしさを感じました。
こんなことを言うと、被害にあった人たちを非難するように思われるかもしれませんが、そうではありません。
私自身をふくめて、いろいろと考えさせられたのです。

わが家も、かつては手賀沼の斜面林と言われるところを造成した土地に建てています。
ですから斜面の途中に建っています。
今回被害にあったところと違い、斜面の上は昔からの宅地ですので、土石流事故の心配はないでしょう。
しかし、自然を壊したという点では同じです。
一番の被害者は、ここに住んでいたモグラかもしれません。
庭に花木を植えても、モグラに荒らされてしまいます。
いささか腹立たしいですが、モグラにとっては、わが家こそ腹立たしい存在でしょう。

もうひとつ神様に迷惑を与えたことがあるかもしれません。
それは風です。
わが家のあたりは昔は、風の道に当たっていたようです。
手賀沼から吹き上げる風です。
たしかに風当たりが強く、庭の花はいつも大変です。
ちょっと風の強い日は恐ろしいほど風が走ります。
もっとも、わが家の隣に家が建ったので、風のあたりは一部に限られていますが。

ここが風の道だと知ったのは、転居してきた頃に近くに長年住んでいた人がやってきて教えてくれたのです。
地元の人との付き合いは大切です。
誰だったか覚えていないのですが、たしかに風当たりは凄いです。
風にとっては、わが家は迷惑な存在なのです。
ちなみに、それを聞いて、その風の道に木造の仏様を置かせてもらっています。
ただ置いただけで、放置しっぱなしでスノで、今日から朝の水遣りの時にお礼を言うことにしました。

こうやって私たちは自然を変えてきています。
もちろんそれが悪いわけではありませんが、それを常に意識しておくことは大切です。
単なる土石流事故として捉えるのではなく、魚付け林の知恵のように、私たちの生活を守ってくれている森の神様にも祈りをささげなければいかないように思いました。
そういう意識がなければ、こうした「事故」は、これからも続きそうです。

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■誰の人生も透けて見える時代

トーマス・フリードマンは、世界的なベストセラーになった「フラット化する世界」のなかで、「誰の人生でも、レントゲン撮影のように透けて見える」時代になってきたと書いています。
そのため、いまや昔のような個人が書く「経歴書」は不要になったと書いています。

確かに今ではネット検索すると、さまざまな情報を見つけられます。
今はまだ、社会的な活動をしている人が中心かもしれませんが、多くの人がフェイスブックやツイッターを通して、ネットの世界にデータが蓄積されだしていますので、そのうち、誰ものデータがネット検索で出てくるかもしれません。
友人関係も調べられるでしょうし、食事の好みさえわかるでしょう。
しかもそこには、本人さえ知らないデータが含まれていたり、事実ではないデータが含まれているかもしれません。
そうなると、生きている生身の本人とネット世界で構成された本人との、どちらが本当の本人かわからなくなってくるおそれもあります。
自分は一体誰なのかを、ネット検索するような時代が来るかもしれません。

そうした認識から、未来社会に関する、さまざまな映画が制作されています。
そこでは、自分さえ知らない自分の未来を、膨大なデータをベースにして、コンピュータが予測してくれるような話も少なくありません。

不気味といえば不気味ですが、生きやすいといえば生きやすい。
すでにそうした生き方を志向している人たちも、少なからず出てきているような気もします。

人類は、科学技術を発達させてきたが、人間そのものは歴史時代になってからはそう変わっていないと言われますが、そんなことはないような気がします。
私が生まれた70年ほど前と比べても、今の人類は果たして同じ生物かと思うほど、私には異質に見えます。
そして、この数年、さらに「変態」が進んでいる。
そんな気がしてなりません。

誰の人生も透けて見えるようになれば、おそらくこれまで積み上げてきた人類の文化は異質なものに変わっていくでしょう。
その予兆を感じます。

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■携帯電話の一般使用を止めることにしました

先日、携帯電話が故障したことを書きました。
喉の不調で声が出なくなったのに合わせたように、携帯電話が故障したのです。
声を使わないように、天が配慮してくれたようにしか思えません。
結局、修理はやめて新しいものを購入したのですが、これを契機に携帯電話の使用を極めて緊急時のみに限定することにしました。
つまり基本的には携帯電話を携帯せずに、携帯する時には電源を切っておくことにしたのです。
ですから、私に携帯電話をかけてもほとんどつながらないと思いますし、私から電話することは緊急時以外はありませんので、ご容赦ください。

もっともこれまでもそういう使い方で、友人たちはほとんど私には電話してこなかったですし、コールバックしなくても何の問題も起こりませんでしたが、どうもそうはいかなくなってきたのです。
それで止める決意をしました。

問題は、「緊急時」とはなにかです。
これは簡単で、「私が固定電話やメールが出来ない状況で電話したくなった時」および「私が関わっているイベントの当日」で電話してくれてもいいと公言した時」です。
いかにも自分勝手なルールですが、私的な時間に勝手にかかってくる電話そのものが、私には勝手なルールに思えるので、まあ許してもらえるでしょう。
ちなみに、固定電話も私は嫌いですが、これはもうしばらく使用する予定です。
ある段階で、これもやめようかと思っています。

その一方で、メールはこれからも継続します。
毎日、数回はチェックするようにしていますが、実はこれも結構煩わしいこともあります。
フェイスブックは、気が向いた時だけですが、もう少し使う予定です。

まあ私のことを長々と書きましたが、こういうややこしいことをいっていると友人知人はどんどん少なくなっていくでしょうね。
それもまた仕方がありません。

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2014/08/20

■節子への挽歌2546:うっとうしくない助け合いの関係は夫婦だけ

節子
喉の調子が悪いことが広まってしまいました。
今日はまた熊本のハチミツが届きました。
「助けて」と言える社会へというテーマのサロンもやったことがありますが、助けてなどと言わずとも、困っている状況をさらけだせば、みんなで助けてくれるものです。

しかし、自らをさらけだすのは、それなりに難しいのもまた事実です。
さらに問題は、助けてもらったら、助け返すことになりますが、それがまた大変です。
注意しないと、「ポトラッチ」の世界になりかねません。
昔は、日本にも「恩送り」というペイフォワードの伝統があったようですが、最近のように、社会の仕組みが変質してくると、それもなかなか簡単ではありません。
そのためもあって、閉じられた関係性のなかで、貸し借りをバランスしていこうという意識が強くなりがちです。
そうした感覚があまりないはずの私でさえ、最近少しそうした意識が生まれてきています。

それに、「助け合う」関係は、ある意味では「うっとうしい」ものです。
助けたり助けられたりすることは、とても気分がいいものですが、助けた記憶や助けられた記憶はあまり気分のいいものではありません。
それが「しがらみ」を生み出し、相互の関係を歪めることにもなりかねません。

うっとうしくない助け合いの関係は、夫婦だけかもしれません。
言い換えれば、そうした「覚悟」がないと、夫婦関係は維持できないかもしれません。
以前は家族もそうだと思っていたのですが、どうもそうではないようです。
親子はどうしても対等の関係にはなれませんし、兄弟姉妹もいつか生活基盤を異にしていくからです。
家族は、むしろペイフォワードの世界を学ぶ場だったともいますが、いまは必ずしもそうではなくなってきています。

隣の人が、香川のお土産のピオーネをお裾分けしてくれました。
節子に供えさせてもらいました。
節子がいたら、お近く同士の付き合いはもっと育っただろうなと時々思うことがあります。
ここに転居して、2年ほどで節子は病気になってしまいました。
それでも今も隣り近所のお付き合いがあるのは、節子のおかげかもしれません。

「助けて」と言う前に、困っていることをさらけだすのがいい、というのは私の発想です。
私よりも少しだけ「見栄っ張り」だった節子は、賛成ではないかもしれません。
時々、そんなみっともないことをするなと言っていました。
それに物欲しげな言動(困っているということはそういうメッセージを含意します)は、節子が一番嫌うことでもありました。
今の私の言動には、節子は眉をひそめているかもしれません。

ちなみに、私の喉はほぼ回復しました。
ご心配をおかけしました。

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2014/08/19

■節子への挽歌2545:悩みやトラブルがあればこそ人生は豊かになる

節子
この頃、会う人によく言う言葉があります。
「悩みやトラブルがあればこそ、人生は豊かになる」。
最近改めてそう思うのです。
これは、毎晩、今日もまたいつもと同じ1日を過ごせましたと感謝していて節子の考えに反するわけではありません。
何もない人生も豊かならば、悩みやトラブルのある人生も豊かなのです。

節子との別れという大きな体験をしてしまってからは、それ以外のことはみんな「瑣末」にしか感じられなくなっていました。
仮に地球が滅んでも、私はさほど驚かなかったかもしれません。
それほど人生が、とても平板で、退屈になってしまっていました。
感情さえもが弱々しくなっていましたから(今もまだそうですが)、喜怒哀楽さえあまり感じられなくなっていました。
心から笑うことも、心から悲しむこともなくなっていました。
いろんなトラブルや事件にも、何も感じられなくなっていたのです。
節子のいなくなった人生は、実に味気なく、張り合いのない、まるで抜け殻のような人生だったのです。

だから、最近、「悩みやトラブルがあればこそ人生は豊かになる」と感じられるようになってきたのは、感情が戻りだしたと言えるのかもしれません。
そう感じ出したのは、昨年の秋頃ですが、以来、悩みやトラブルに襲われつづけています。
それまでもそうだったのでしょうが、たぶん気づかなかったのでしょう。
気づかないままがよかったか、気づいたほうが良かったか。
これまた難問ですが、気づくようになってしまったからには、逃げるわけにもいきません。
であれば、それをポジティブに受け止めるのは、節子の姿勢でもありました。

問題は、体力や気力の問題があって、悩みやトラブルを楽しめなくなってきたことです。
時に逃げたくもなります。
しかし、悩みやトラブルの先を思えば、逃げるわけにはいきません。

それにしても、「豊かな人生」って一体何なのでしょうか。
今の人生が豊かだと思うのが、一番、良い答かもしれません。
たとえ、節子がいないとしても。

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■「海の神様が怒るよ」

辺野古の基地づくりが始まりました。
いろいろと騒がれますが、結局、大きな流れにそって、すべては動いているような無力感に襲われます。
原発もそうですが、なぜ政治の流れは止められないのでしょうか。
テレビでも、批判的な論調が盛んに言われながらも、いつも結局は何も変わらない。
やりきれない気分です。
自分で変えられるのは自分でしかないと、改めて思いますが、その自分でさえ、なかなか思うようには変えられません。

今朝の朝日新聞に、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前で反対の座り込みをやっている島袋文子さん(84)の怒りの声が載っていました。

「とうとう海を傷つけたね。私たちがこれだけ反対しているのに。海の神様が怒るよ」。

辺野古の海が掘削されだしても、地元のお年寄りたちは「まだあきらめない」と思いを新たにしているそうです。
戦争を体験してきた人たちから、私たちはもっと学ばなければいけませんね。

異常気象だと騒がれていますが、誰が異常気象を起こしているかはあまり大きな話題にはなりません。
二酸化炭素犯人説のような話はありますが、島袋さんが言うように、要するに犯人は私たちです。
自然を傷つけて、神様を怒らせているのです。
昔の人にはそれがわかっていました。
科学の発達のおかげで、私たちにはそれさえもわからなくなってきたのです。

最近のテレビでは異常気象の解説や報道は多いですが、島袋さんのような解説が私には一番納得できます。
神様を怒らすような生き方は、もうやめたいものです。
海神様の怒りを鎮めるために、安倍さんに辺野古の海の人柱になってもらっても効果はないでしょうね。
なにしろ辺野古の海は、神様のように美しく、生命を育んでいる海ですから。

しかし、異常気象は、神様の怒りであることを忘れたくはありません。
私たちはもっと神様に祈らないといけません。

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■問題は瑣末なところに原因があるものです

この1か月、いろんな意味で「不幸」に覆われたような生活をしています。
しかし、実はその「不幸」は「瑣末なこと」が原因であることも少なくありません。

たとえば、今月の5日に認知症予防ゲームの公開フォーラムを開催しました。
資料づくりや受付名簿などを作ったり、参加者との連絡などを私のパソコンでやっていたのですが、開催の3日前からパソコンがおかしくなり、時々ダウンしたり、データが急に文字化けしてプリントできなくなったりしだしました。
一番大変だったのは、連絡先を入れておいた参加者名簿を作成した途端に、パソコンが固まってしまい、データが消去されたことです。
開催日の直前日は、パソコンが20分単位でダウンし、いささかストレスがたまってしまいました。
私のパソコンはもう10年ほど使用しているXPですので、ハードがもう限界を超したのだろうと思っていました。

ところが、5日のフォーラムのスタッフメンバーの内村さんにその話をすると、ゴミがたまっているのではないかと言われました。
私のパソコンのサポーターでもある坂谷さんも同意見です。
それで翌日、パソコンの掃除をすることにしました。
たしかにファンの前にゴミがたまっていました。
それを取り除いたら、それ以来、パソコンは何の支障もなくなったのです。
マシンが壊れたのではなく、原因はゴミのために冷却が出来なくなっていただけなのです。
またパソコンを買い替える機会を失してしまいました。

このように、かなり深刻な問題であっても、気づいたらその原因は実に瑣末なところにあることは、時々経験します。

パソコンの場合は、まあそれに気づかなくても、買い替えによって問題は解決しますが、そうでない場合も少なくありません。
その最たるものは、人間関係です。
殺人や自殺にいたる不幸な人間関係も、その出発点は瑣末な行き違いであったかもしれません。
早い時期で、それに気づけばいいのですが、瑣末であるが故に見過ごしてしまいかねません。
私のように、中途半端に「寛容」で、しかも論理的でない人間は、特に心しなければいけません。
考えてみると、最近の「不幸」の一因は、私のそうした性格にあることに気づきます。

原因が瑣末なことにあることは、イノベーションにも当てはまります。
大発見やヒット商品の開発には、そうした物語がたくさんあります。

「瑣末なこと」をもっと大切にしなければいけません。
それはわかっているのですが、なかなかそうはできません。
それを反省して、生き方を変えれば、山のように積み重なっている不幸から解放されるかもしれません。
さて、パソコンの掃除の次は、何に取り組みましょうか。

今日も暑いですが、さわやかな朝です。
しばらく書かなかったブログをまた書き出そうと思います。
世間が嫌いだからと言って、そこから無縁で生きることはできませんので。

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2014/08/18

■節子への挽歌2544:分別リサイクルゴミ箱

節子
友人が来ました。
彼は最近少しへこたれています。
そしてこう言いました。
俺はゴミ箱のような存在で、みんなが俺のところにゴミを捨てにくる。
だから、みんながゴミを捨てやすくするために、きれいなゴミ箱にしておかないとだめなんや。
だから、がんばって疲れてしまう。

それを聞いて、もしかしたら私もゴミ箱なのかもしれないと思いました。
そう言うと、彼は即座に、そうや、佐藤さんもゴミ箱や、と言うのです。
でも佐藤さんは、ゴミを分別しているところが俺とは違う。

あんまり「分別」する姿勢はないけどなあ、と思いましたが、そもそも社会のゴミ箱だったという気づきは、私には新鮮でした。
そうか、だから疲れるのだと、何やら訳のわからないまま納得しました。

2時間ほど話していたら、若い友人がやってきました。
もちろん約束していたのですが、彼が今、執筆している本の原稿がどうも「つまってしまっている」ようで、雑談に来たのです。
テーマは「時間」に関する、いささか哲学的なものです。
頭が疲れている私には、いささか難解なテーマです。
2時間ほど話し合って、ほかの人とも話したりしているのと訊いたら、このテーマでは話し合える人はなかなかいないと言うのです。
そうかやっぱり私は分別リサイクルゴミ箱なのだと思いました。

節子もまた、私にとっての分別リサイクルゴミ箱だったことに気づきました。

暑さのせいで、いささか訳のわからない挽歌になってしまいました。
生きていくためには、ゴミ箱は不可欠です。
しかし、私自身がゴミ箱とは、今日、初めて気づきました。
そろそろ受け付け禁止にしないと、パンクしそうですが。

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2014/08/17

■節子への挽歌2543:世界が別の世界になってしまったような記憶

節子
昨日書いた松永さんの本でもう一つ印象に残った部分があるので、それを書くことにしました。

小児がんの娘の抗がん剤治療が始まってからのある日、その母親は周りの世界が白黒テレビの画像のように、色がなくなって見えるようになったそうです。
その話を、同じ病室の小児がんの息子を持つ母親にすると、その母親はこう応えます。

「分かるよ、私も。治療の合間に外泊しても、団地のママ達とはもう世間話ができないの。以前は、井戸端会議を毎日のようにやって、ワイドショーで放送してた皇室の話とかですごく盛り上がったりしたんだけど、今は、は? 何それ? つて。全然意味が分からないっていうか、自分には何の関係もないっていうか、もう、全然どうでもいい話なの。だからだんだんママ達の会話にも参加しなくなったし、向こうからも声がかからなくなるし、でも、それでいいのかなって」
「単に話題が合わないということじゃないのよ。喋る言葉も違う。人間も別。別の世界にいる、みたいな感じなの」と、その母親は言います。

世界が、これまでの世界とは一変してしまう。
私には、「わかる」とはとても言う自信はありませんが、それに似た体験は何回もしています。
話していても、自分の心身がどこか遠くに行ってしまっているような、そんな気になったことが何回もあります。
そういう体験がなくなってきたのは、ようやく昨年の秋になってからです。
信じたくない現実に出会うと、人は現実から抜け出てしまうのかもしれません。

「喋る言葉も違う。人間も別。別の世界にいる、みたいな感じ」。
たしかに、節子がいなくなってからしばらくは、そんな世界に生きていたような気がします。
いまは周りの世界にもあまり違和感がありませんが、逆に、あまり「生きている」という感覚がありません。
やはり、あの時、節子と一緒に私の半分も旅立ったような気がしてなりません。

お盆が終わり、秋になりました。
節子が好きだった紅葉の季節です。

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2014/08/16

■節子への挽歌2542:「単なる偶然です」

送り火でした。
お墓から帰宅していた節子は戻りました。
精霊棚もいつもの仏壇に戻りました。
お盆が特別の時なのだという感覚が、最近はほとんどありません。
毎朝、お経をあげていますし、いまもなお節子はわが家で暮らしていると思っているからです。
しかし、来週は施餓鬼、その次は節子の命日です。
夏は、それなりに彼岸との距離は近いのです。

先週、お会いした小児科の松永医師の「運命の子 トリソミー」を読みました。
重度心身障害児を育てる家族を題材にした作品で、昨年の小学館ノンフィクション大賞の受賞作です。
松永さんの、誠実な、そして強靭な人柄がストレートに伝わってくる作品です。
文章も実に生き生きとしていて、一気に読んでしまいました。

松永さんは長年、小児がんの問題に取り組まれている方ですが、小児がんに関する作品もいくつかあります。
ただ、節子を見送ってからは、私は「がん」という文字に出会うと心身が凝固してしまうのです。
新聞記事でさえ、そうですから、書籍など読めるはずもありません。
しかし、「運命の子 トリソミー」の文章の見事さに乗せられて、読んでみようという気になりました。
手に取ったのは、「がんを生きる子」。
副題は「ある家族と小児がんの終わりなき闘い」です。
最初は少し苦痛でしたが、次の文章に出会えてからは、スッと読めるようになりました。
その文章とは、「単なる偶然です」という松永さんの言葉です。

娘が小児がんになったと知らされた母親が、松永医師に質問します。
「どうしてこんな病気になってしまったのでしょう?」
松永さんは、こう答えます。
「単なる偶然です」。

この言葉に出会った後は、この本も一気に読めました。
たぶんもう「がん」コンプレックスは克服できたでしょう。

それにしても、「単なる偶然です」と言い切れる松永さんとはどういう人なのでしょうか。
実に興味深いです。
松永さんの2冊の本のおかげで、いろんなことから解放された気がします。
今度湯島でサロンをやってもらえないかと松永さんに頼みました。
9月13日に開催します。

「それぞれの家庭にはそれぞれの形の幸福、がある」
「辛い思いをしていない家族など、一つとしてない」
これも松永さんの「運命の子」に出てくる文章です。
私よりも20歳も若いのに、松永さんはたぶん、私の数十倍の人生を生きてきているのだろうと思います。
お話させてもらえるのが、楽しみです。

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2014/08/15

■節子への挽歌2541:語りだしたくなる人生もある

節子
人にはさまざまな人生があります。
語りだしたくなる人生もある。

今日はある件で、2人の人に暑い中を湯島に来てもらいました。
いろいろと話し合っているうちに、そのおひとりが、今日は連れ合いの命日だという話をし始めました。
というよりも、それが話の最後に出てきたのですが。
しかもかなり複雑な話で、もしかしたら連れ合いの死を止められたかもしれないという話です。
それが、数年前の今日の未明だったのです。

その方の連れ合いがなくなられていたことは知っていました。
ある程度、その事情もお聞きしていました。
しかし、今日お聞きした話は、初めてでした。
もしかしたら、止められたかもしれない。
その方は、ずっとそう思い続けてきていたのかもしれません。
それを誰かに言いたかった。
でもなかなかそれは話せる話ではないのです。
今日、まったく別の話のなかで、たぶん話したくなったのです。
その気持ちがよくわかります。
私も時に、節子のことを無性に話したくなりますが、話すきっかけが見つけられません。
今日、彼女は、もうどうしようもなく話したくなったのでしょう。
しかし、私はそれをうまく受け止められませんでした。
でも、今日が命日だということを知りました。

4日前に、知人からメールが来ました。
いろいろと書いている中に、今日は月命日でしたと書いてありました。
彼女も、最近、大切な人を見送ったのだなと思いましたが、私は全く知りませんでした。
それでなんとなく訊ねてみましたが、見事に返信からはその話題は外されていました。
月命日であることを知ってほしいような、しかし誰のことかは知られたくないような、そんな複雑な気持ちの揺らぎを感じました。
彼女もまた、いつか話しだしたくなるかもしれません。

こういう生き方をしていると、いろんな人が人生を話してくれます。
私の質問に応じてではありません。
私は過去にはほとんど興味がなく、私の質問は、「それで10年後はどうしているのですか?」というような、先のことがほとんどなのです。
しかし、多くの人は、未来よりも過去を語りたがります。
それで私も最近は、過去の話のなかから未来を聞き取るようになってきています。
過去と未来は、深くつながってもいるからです。

しかし、つながっていない過去と未来もあります。
大切な人の死が、過去と未来を分断するのです。
でも本当は、つながっているのです。
だから時に無性に話したくなる。

語りだしたくなる人生もあるのです。

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2014/08/14

■節子への挽歌2540:今日はずっと位牌の前で過ごしました

節子
大宰府の加野さんから電話がありました。
年に1回のお戻りなので、ゆっくり過ごしてくださいという電話でした。
もちろん、節子のことです。
加野さんも、今日は一人娘の寿恵さんと一緒にすごされているそうです。
節子が亡くなった翌年、加野さんと一緒に大日寺の庄崎さんのところで、2人の彼岸での様子を聞かせてもらったことが、今も昨日のように思い出されます。

加野さんはもう80代の後半でしょう。
しかしとてもお元気です。
なぜなら、娘の寿恵さんの50回忌までやろうと考えているからです。
寿恵さんは、若くして亡くなりました。
ちょうど私が節子と一緒に多くの人との付き合いを断っていたころです。
寿恵さんが亡くなったのを知ったのは、節子を見送ってからです。
いや、正確には、節子を見送る前に知っていたのかもしれません。
きちんとした知らせはなかったのですが、何となく伝わってきていたような気もします。
しかし、節子には伝えていないことだけは確かです。
私が大宰府に伺ったのは、節子が逝ってしまった1年後でした。
加野さんから大日寺を誘われたのです。

加野さんのところには、とうとう節子と一緒にうかがう機会がありませんでした。
加野さんは久留米絣のお店をやっています。
節子が大好きになりそうなお店でした。
寿恵さんからもらった久留米絣の敷物や暖簾を、節子は大事にしていました。
節子と加野さんのお店に行けなかったのは、とても残念です。

今日はずっと家にいました。
来客もありませんでした。
節子の位牌の前で、ぼんやりとしていました。
そういえば、福岡の蔵田さんからも電話がありました。
お元気そうでした。

もっとも平安な1日だったわけでもありません。
携帯電話は止めていますが、ネットからいろんなメールが届きます。
私自身のことではないのでなかなか書きにくいのですが、放置してはいけなくなった事件がまた再発しました。
時評編で書こうかと迷っています。
まだその「覚悟」ができずにいます。
節子がいたら、何と言うだろうかと思いながら、決断しかねています。

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2014/08/13

■節子への挽歌2539:節子はほんとに帰ってきたのでしょうか

今日は迎え火です。
時間が早かったせいか、お墓はまださほどにぎわってはいませんでしたが、迎え火を炊き、ロウソクに火を移して、帰宅しました。
節子が戻ってきました。
と言って何も変わったわけではなく、いつもどおりです。
ただいつもの仏壇は扉を閉じて、お盆期間は精霊棚に節子の位牌が出ているだけです。
普通はお膳などあげるのでしょうが、わが家は果物とお菓子だけです。
花も今年は、控え目にしました。
暑いのですぐ枯れてしまいます。
一昨日まで咲いていたカサブランカも、もう枯れてしまいました。
でもまあいつもよりは、華やかな花に囲まれています。

今日も暑い日です。
娘夫婦が帰った後は、まあ用事もなかったので、位牌壇の前で過ごしました。
ただただ怠惰に、です。
静かな、何もないお盆です。
ちょっと寂しい気もしますが、これもまた私の生き方の結果なのですから仕方ありません。

怠惰にしていたら、気分が緩んだせいか、なにやら身体全体がかったるい感じになってきました。
節子が戻ってきたので、甘えが出てきたのでしょうか。
喉のお医者さんに行く予定だったのですが、せっかく節子が帰ってきたのだから、病院でもないだろうという口実で、止めました。
困ったものです。

今日は暑いですが、セミの鳴き声があまりしません。
奇妙に静かなお盆です。
節子は、ほんとに帰ってきたのでしょうか。
帰ってきたんだったら、なにか「兆し」を感じさせてほしいものです。

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2014/08/12

■節子への挽歌2538:すぎのさんの梨

節子
すぎのファームに梨を買いに行ってきました。
いつものように、杉野ファミリー全員で作業をしていました。
久しぶりに杉野さんご夫妻と話をしてきました。
杉野さんも忙しい人なので、なかなかゆっくり話す機会はありませんが、お互いに話したいことがたくさんあるのです。

私は毎年、少なくとも1回はすぎのファームにお伺いするのですが、いつも家族みんなで働いている姿を見て、あたたかい気持ちになります。
みんなとても幸せそうです。
生きていることを実感できる生き方でしょう。
節子がいた頃の、わが家の風景でしたが、いまは残念ながらそういう風景はありません。
何しろ中心になるべき、節子がいないからです。
怠惰な私は、働く場の中心にはなれないのです。

杉野さんの梨は、節子が大好きでしたが、とても美味しいのです。
近くにも梨園があって、もぎたての梨も売っているのですが、遠くまで足を伸ばすだけの意味はあります。
すぎのファームは近くの道の駅にも出荷しているのですが、すぐに完売してしまいます。
だからファームまで買いに行かないといけないのです。

今年の梨もとても美味しかったです。
杉野さんの奥さんが、形は悪いけれどと言って、とても大きな梨をおまけにいくつかくれました。
たしかに形が悪くて商品にはならないだろう、特大の梨を節子にお供えしました。
だんだんいつものような雰囲気になってきました。

明日は迎え火です。
今日はいろいろあって、お墓の掃除にはいけませんでした。
まあ、そんなことは節子は気にしないでしょう。
私の両親はがっかりしているかもしれませんが。

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■「台風が来るから海が洗われてきれいになる」

台風11号がまた日本列島に大きな爪痕を残しました。
気象異常はますます酷くなってきています、という思いをどうしても持ってしまいますが、はたしてこれは「気象異常」の話なのだろうかと、最近思うようになってきています。
言い換えれば、「異常」なのは「気象」ではなく、私たちの「生き方」や「住まい方」なのではないかと思うのです。
もっと言えば、正すべきは「私たちの生き方」や「住み方」だと考えたほうがいいように思います。

そう思っていたら、こんな文章に出会いました。
先日、送られてきた佐久間進さんの「人間尊重のかたち」と言う本の一節です。
ちょっと長いですが、そのまま引用させてもらいます。

私は、年に数回、石垣島に行きます。毎年行くのが楽しみなほど大好きな場所です。海がとてもきれいで自然豊かな素晴らしい島です。その海がとてもきれいであるということで、おもしろいことを聞きました。「沖縄(石垣島)は、毎年大きな台風が上陸して大変でしょうね」と私が心配すると、「いや、台風が来るから、海が洗われてきれいになるんですよ」と地元の方に言われました。
北海道の登別で大きな地震・噴火が起こった時、私は現地の旅館やホテルのお見舞いのために登別を訪問しました。建物の中は火山灰などで真っ白になっている状態で、「本当に大変ですね。こういった場所によく住んでいられますね」と私が言うと、「そんなことはありません。温泉は長年経過すると湧水量が低下してきます。この噴火は45~50年周期で起こっていますが、この噴火が繰り返されるおかげでまた温泉が湧いてきます。それによって温泉観光地として商売ができているのです。ですから、むしろありがたいものなんですよ」と言われました。
最近、もやもやとしていたことが、この文章を読んですっきりしました。

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2014/08/11

■節子への挽歌2537:お花が届きました

節子
今年もお盆が近づきました。
また隣の宮川さんがお花を届けてくれました。
節子が逝ってしまったのとほぼ同じ時に、宮川さんの母上も亡くなったそうです。
新盆が一緒だったこともあり、毎年、思い出してお花を届けてくれるのです。
それもいつも立派なお花ですので、恐縮してしまいます。
どうお返しすればいいかよくわからないので、毎年、もらいっぱなしなのです。
こういうお付き合いは、私はとても不得手なのです。
いつかお返しできる時はくるでしょうか。

宮川さんの花で、今年も迎え火の季節だと実感しました。
節子がいなくなってから本当に季節感がなくなってしまっています。
明日は節子を迎える準備をしなければいけません。
でもこれもまたいささかややこしい話です。
いつも節子はわが家にいるはずなのですが、お盆にはその節子は仏壇に隠れてもらい、改めて精霊棚を整えて、節子を迎えるわけです。
お迎え用の馬とお帰り用の牛ですが、牛はわが家の畑で取れたナスでつくります。
馬用のきゅうりは今年もダメだったのですが、ちょうど節子のお姉さんから野菜がどっさり届いたので、それをつかいましょう。

明日は節子が好きだった杉野さんの梨を買いにいってこようと思います。
今年は私たちもまだ食べていないのです。
杉野さんと引き合わせてくれたのも、節子でした。

最近はお盆といっても、わが家にはお坊さんは来ません。
ですから私が般若心経を唱えるのです。
節子にとってはあんまりありがたみがないかもしれません。
幸いに声はほとんど回復したので、大丈夫でしょう。

仏壇の前がこれから花で賑わいだしますが、それに伴って、私の気分は逆に沈みがちです。
お盆から、節子の命日に向けての3週間は、私には毎年、少しだけ辛い時期なのです。
その辛い時期も、今年で7回目になりました。

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2014/08/10

■節子への挽歌2536:心配してくれる人がいることの幸せ

節子
挽歌ナンバーがひとつだけずれているので、追いつくためにもう一つ書きます。
書くほどのこともないことですが。

最近、自分が実に粗雑に、感情的になってきているのがわかります。
自分の思うようにならないと、勝手にやってよという気になってしまうのです。
そしてついつい感情が出てしまう。
気分を害した人も少なくないでしょう。
性格がさらに悪くなってきています。

自分で言うのもなんですが、私は客観的で論理的で「公正」の人と思われがちです。
自分でもなぜかわかりませんが、そう思われている節があります。
もちろんそう思われることは、私には気分が良いものではありません。
どう考えてほめられているとは思えませんし。
私と親しくなるとそうではないことはわかるのですが、そう思われることが多いのです。
いささか自慢めいて聞こえそうですが、つい今しがたあるメーリングリストに流された記事に、「既成概念にとらわれない、物事の本質をきちんとすばやく見極められ佐藤さん」と書かれていました。
私のことなのです。
こう書いてくれた人は私よりも年上の、誠実に人生を生きている人です。
客観的で論理的で「公正」で、しかも柔軟な発想ができ、本質を見極める人。
もう神様に近いですね。
その神様に近い人が、粗雑でわがままで利己的な言動をしてはいけません。
心しければいけないのです。
それはわかっているのですが、この頃はみんなのわがままさに我慢できなくなってきているのです。
自分のわがままさは棚に上げて、です。
それにしても、みんな勝手です。
今ごろわかったのかと節子には笑われそうですが。

私は考えは比較的に簡単に変えますが、約束したり合意したりしたことはむやみには変えません。
一度言葉に出したことも変えることはありません。
「武士に二言なし」という言葉は、私の大好きな言葉です。
しかし、最近は、そうした信条で生きている人はあまりみかけません。

実は最近体調が悪いのは、そういうことと無縁ではないのです。
以前なら節子に発散できましたが、いまは挽歌に書くことくらいしかできません。
困ったものです。
それでどんどん疲労感がたまり、免疫力が低下し、声が出なくなる。
そうに違いありません。

今週は、集まりが一切ありません。
人と会う約束も、そう多くはありません。
マハラバの増田さんからもらった大根ハチミツは効果をあげています。
というわけで、病院に行くのをやめることにしました。
アドバイスくださったみなさん、すみません。
でも、今週まだ違和感が残ったら、今度こそ病院に行きますので、お許しください。

それにしても心配してくれる人がいるのが幸せです。
ありがとうございます。

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■節子への挽歌2535:弱音常習犯

節子
最近の私の弱音記事や弱音発言のせいで、いろんな人が心配してくれて、メールや電話をくれます。
困ったものです、などと言うと、ひんしゅくを買いそうですが、弱音を吐くことはどうもあまり常識的ではないのかもしれません。
私の場合、「弱音」を発する基準がきっと非常に低いのです。
私に会ってもらうとわかるのですが、何だ、元気じゃないかと言われるほどなのです。
だから「心配しただけ損だ」と言うことになりますので、また言っている、という程度に軽く流してください。

それともちょっとつながるのですが、今日、私のフェイスブックでいろんなやりとりがなされていました。
ある人が長いコメントを書いてくださったのです。
私のよく知っている人です。
その文章のなかに、「私は佐藤さんのような命知らずな発言はそら恐ろしくてできません」と書かれていました。
え! と驚きました。
昔はともかく、最近はそんな過激な発言はしていないつもりですが、言葉の受け止め方は人それぞれですから、注意しないといけません。
これは、節子からいつも指摘されていたことです。

湯島に節子が来ていた頃、来客の方が帰ると節子は私に、あんな発言は失礼でしょうと時々指摘してくれました。
私には全く失礼だとは思えないことが多かったのですが、今から考えるとたぶん「失礼」だったのでしょう。
ホームページやブログも、よく書きすぎて、節子から削除を指摘されたこともあります。
話と違って、書いたものは確かに言われてみると失礼さもわかります。
しかし、昨今はだれもチェックしてくれないので、また粗雑で暴力的な文章を書いてしまっているのかもしれません。
人の性格は、なかなか直りません。

弱音を吐いていると2つの効果があります。
まず助けてくれる人が現れます。
しかし、これも2種類あって、実は私の負担がさらに重くなる場合もありますので、困らせる人も現れるともいえます。
もう一つは、弱音を吐くと少し気が楽になります。
しかし、これも弱音を吐いているうちに、ますます状況が悪化することもあります。
喉が悪いなと話し続けていると、いつになっても喉が治らないということです。
自分の言葉に、自分の心身が素直に従っていくというわけです。
それらをすべて総合しても、私の弱音を吐く生き方は変わらないでしょう。

この生き方が私の身についたのは、たぶん節子のおかげです。
どんな弱音を吐いても私を信頼していた節子の存在は、私には大きな支えだったのです。
だからいまでは、どんなことにもあまりへこたれません。
だから弱音を気楽に吐けるのです。
ですからご心配ありませんように。

ただ命知らずにはなりたくないので、何とかしなければいけません。
でもまあ、いまさら命にこだわることもありませんが。

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2014/08/09

■「毎朝泥棒に感謝している」

一昨日、声を出さないようにするために「自宅謹慎」していたのですが、退屈なので本を読みました。
フェイスブックで誰かが最近一番世界で読まれた本と紹介していた、トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」です。
上下の600頁ほどの本なので、ますます退屈しました。
例によって、30分ほどで跳ばし読みをしてしまいました。
2つだけ共感した話があります。

まずはその一つの紹介です。
こんな話です。

2006年秋、イスラエルの友人ヤアロン・ユズラヒに訊きたいことがあったので、連絡をとろうとした。携帯電話に何度もかけるのだが、応答がない。ようやく自宅に電話して捕まえた。「ヤアロン、携帯電話はどうしたんだ?」「何か月か前に盗まれた」ヤアロンが答えた。始終、鳴って集中を乱されるので、代わりを買わないことにしたのだという。「それ以来、毎朝泥棒に感謝して、長生きしろよと祈っているんだ」。

私は携帯電話をあまり「携帯」していないのでみんなから叱られています。
自宅でも携帯電話は手元にあまり置いていません。
生活に分けいってこられるのは気分が良いものではないからです。
それに、そもそも電話が嫌いなのです。
顔も見えない人と声で話すのがどうも苦痛なのです。

それでもある時から携帯電話を使うようになりました。
受信を考えずに、発信だけを考えると、実に便利だからです。
まことにもって身勝手なのですが、実に便利です。
しかし、最近は、受信する自分の迷惑のことを考えて、極力使わないようになりました。
よほどの緊急でなければ、メールにしています。
メールは受発信ともに自分で時間管理できるからです。
毎日、朝と夜、そして日中も数回メール確認しますので、基本的にはそれで不都合はありません。
ただフェイスブックのメッセージで連絡してくる人への対応は時々忘れます。
フェイスブックもまた、私はきちんと対応していないからです。
というか、私のなかでは、フェイスブックはそういう位置づけなのです。

さて携帯電話の話です。
いまちょっと迷っています。
ヤアロンのように、携帯電話を捨てようかどうかです。
残念ながらまだ決断が出来ません。
私も相当、現代の生き方に依存してしまっているようです。
もう少し考えようと思っています。

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■節子への挽歌2534:与えられた寿命

節子
やはりあんまり体調がよくありません。
そろそろ「寿命」かもしれません。
と書くと、また心配する人もいるかもしれませんが、寿命は与えられたものですから、心配することはありません。
節子のことを考えていると、どうしても「与えられた寿命」という考えに馴染んできます。
節子はたぶん、それを知っていたのでしょう。

3週間経ちますが、喉は相変わらず不調です。
できるだけ他者に迷惑をかけないように、一度、病院で検査してもらおうとは思いますが、喉の不調と言うよりも、全体的にだるさがあるので、原因は別かもしれません。

暗い書き出しになってしまいましたが、単なる寝不足かもしれません。
それに気分は悪くはないのです、ただ体調に少し違和感があるのです。

今日は本郷でサロンです。
湯島の予定でしたが、参加者が40人にもなってしまったので、会場を変えました。
節子が元気だったら、一緒に聴きたいテーマの話です。
マハラバ村コロニーがテーマです。
そこから脳性マヒの人たちの集まりである「青い芝の会」が生まれたと聞いています。
コロニーを立ち上げた大仏空さんの娘さんの増田レアさんがゲストです。
参加者の半分は、面識のない人ですが、新しい出会いがあるでしょう。
そういえば、5日に開催した認知症予防の公開フォーラムでも、何人かの新しい出会いがありました。
あまりその後の体調が良くないので、まだフォローしていませんが、連絡をもらった人もいます。
世界が広がるのは、うれしいものです。

さて、「与えられた寿命」ですが、その活かし方もまた「与えられている」のかもしれません。
この頃、そんな気がしてきています。
自分で主体的に判断して、行動しているようで、実はすべてが決まっている。
そう考えないと、私の最近の行動は自分でもあまり理解できません。
逆に、そう考えると実にいろんなことがすっきりします。
なによりも、瑣末なことに悩まないでいいのです。
もしかしたら、これが「歳をとる」ということでしょうか。

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2014/08/08

■節子への挽歌2533:野路さんからの桃

節子
野路さんから桃が届いたので、電話しました。
もちろん節子の友人の野路さんではなく、その伴侶の野路さんです。
私は面識はありませんが、節子は面識があり、とてもいい人だと何回もお話を聞いています。
節子が元気だった頃にはお会いする機会はありませんでした。
その野路さんと、最近は年に数回、電話で話すようになっています。
人の関係とは不思議なものです。

節子の親しい友人の野路さんは、節子がいなくなってからも数回、節子への献花にわが家まで来てくれました。
節子の使っていた衣服を素材にして、裂き織のバッグを創ってくれ、私たち家族全員にもらいました。
そういう、とても器用で、気配りの深い人でした。

野路さんの伴侶の野路さんから、連絡があったのは節子が逝ってから何年目だったでしょうか。
階段から落ちて、大怪我をしてしまったのです。
そして記憶を失ったのだそうです。
長い入院から退院したものの、その大変さが少しわかります。
夫である野路さんは、仕事もやめて、妻のリハビリに専念されました。
そのあたりから、私たちの付き合いが始まりました。

野路さんも少しずつ記憶も戻っているようですが、まだまだのようです。
それでもきちんとした「反応」ができるようになってきたからうれしいですね、と言うと、野路さんはますます頑固に自己主張するようになって、むしろ大変さが増したと笑いながら言いました。
その複雑な気持ちがわかります。
夫婦はお互いにわがままですから、たぶん几帳面に付き合っていると大変なのでしょう。
私には、そこに伴侶がいるだけでも羨ましい気はしますが、実際にそういう状況になると、そう簡単な話ではないのかもしれません。

野路さんが送ってくれた桃は、固くて甘い「あかつき」でした。
節子に供えさせてもらいましたが、この時期、節子へのお供えは増えています。
節子も、久しぶりに野路さんと話しているでしょうか。
節子が好きだったカサブランカもかざっています。
最近、時間がなくて、なかなかお墓に行けていないのが気になっています。

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2014/08/07

■節子への挽歌2532:死者は美化される

節子
昨日の「ミス事件」で心身が少ししゃんとして、今日はのどの調子もまあまあです。
やはり「病は気から」です。
しかし今日は大事をとって声を出さないように過ごしました。
いささか長いので、喉頭がんを心配してくれる友人もいますので。

喉頭がんといえば、いつも思い出すのが先輩の重久さんのことです。
体調が悪いと聞いたのでしばらく会わずにいたのですが、そろそろ大丈夫だろうと思い連絡しようとしていた矢先の訃報でした。

自分のことを理解してもらえる人に会うのは、最高の幸せです。
こんなことを言うと、友人知人に叱られそうですが、自分で納得できるわかり方をしてもらえる人は決して多くはありません。
重久さんは、数少ないその一人でした。
東レ時代の先輩ですが、それほど親しかったわけではありませんが、私の思いをシェアしようとしてくれた人です。
私も彼の思いを少しだけシェアできていました。
重久さんが会社を辞めたら、きっと何か一緒に出来たはずです。
たぶん喧嘩しながらですが。

若くして亡くなった2人の友人もいます。
JTの社員だった加瀬さんと元ヒッピーの三浦さんは、なぜか心が通じ合えていました。
いずれも突然の訃報でした。
3人とも、かなりの「変人」でした。
私がそう思っていただけかもしれません。

ちなみに、3人ともそう親しく付き合っていたわけではありません。
しかし、なんとなくお互いにお互いを認め合えていました。
言葉を選ばずに言えば、お互いに「好き」だったのです。
理由もなく、時に会いたくなり、時に会いに来る。
そんな付き合いでした。
ですから、本当は理解などしあえておらずに、付き合いが突然に切られたために、私のことをわかってくれた友人と思うようになったのかもしれません。
亡くなってしまうと、それまでの付き合い方に悔いが出てきます。
それを補うために、美化してしまう。
娘から、この挽歌は節子を美化しているとよく言われます。
それは否定できません。
同じように、友人たちもそうかもしれない。

でもそれはそれでいいでしょう。
それが悲しみや寂しさを少しでも埋めてくれるのであれば。

お盆が近づきました。
今日はお墓の掃除に行こうかとも思いましたが、だらだらと過ごしてしまいました。
おかげで喉の調子はだいぶよくなりました。
もう大丈夫でしょう。

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■死なせてはいけない

STAP細胞論文事件に関連して、笹井さんが自殺しました。
衝撃的でした。
死んではいけないし、死なせてはいけないと、ずっと思っていました。
笹井さんが、自殺を考えるように追い込まれることは、周りの関係者にはわかっていたことでしょう。
しかし、誰も止めようとしなかった。
理研という組織の本質がそこに見えます。
以前、野依さんのことを少し厳しく指弾しましたが、私が一番予感していたことは、小保方さんか笹井さんの自殺でした。
組織を束ねるトップの人が守るべきは、組織ではなく組織に集まっている人間です。
野依さんは、それがわかっていなかった。
それがわからない人は、たとえノーベル賞をもらおうと天才的な研究者だろうと、その任を引き受けるべきではありません。
一番の被害者は、野依さんになるかもしれないと、その時は、思いながら書いていました。
それが現実になってしまいました。

自殺は、最後の選択肢ではありません。
しかし、多くの場合、そこに追い込まれてしまうのでしょう。
自殺は主体的に選ぶ行為ではなく、追い込まれて強制された選択ではないかと思います。
そしてそれは一番悪い選択であることが多いのではないかと思います。

自死遺族の方から、自殺が悪いと言わないで欲しいといわれたことがあります。
自殺した父親が咎められているように感ずるからと言うのが、その理由でした。
自殺した人を責める気はありません。
しかし、自殺に追い込んだ人は責任を感ずるべきです。
寄ってたかってこの事件を話題にした私たちも、責任の一端を担っていることを忘れてはいけません。

それにしても、なぜ笹井さんの周りの人は「死なせない」努力をしなかったのか。
佐世保市で、殺人動機を持つ娘を放置した父親が責められていますが、結局はその父親と同じことをしたわけです。
その自覚が野依さんにあるでしょうか。
組織を預るとはそういうことです。
笹井さんの同僚たちはどうだったのか。
自殺は、当然予想されたことの一つですが、考えたくない、関わりたくない、だったのでしょうか。
実に哀しくさびしい。
そんな社会や組織でいいのか。

自殺予防対策費として、政府は毎年かなりの予算を投じています。
自治体もいろいろと取り組んでいます。
しかし私には全くとは言いませんが、瑣末な取り組みのように感じます。
ささやかに関わらせてもらうたびに、何か違うものを感じます。

大切なのは、近くの人を死なせないようにすることです。
死ななくてもいいことをわからせればいいだいけです。
それは決して専門家の仕事ではありません。
友人知人の仕事です。
いや広義の意味での隣人の勤めです。
それが生きるということです。
理研には、それが欠けていたように思います。
友人も知人も隣人も、さらには「生きている人」もいない組織と社会。
そんな社会にしてしまったことを、私たちは懺悔しなければいけません。

笹井さんのご冥福を、心から深く深く祈ります。
小保方さんいじめをしている皆さんも、ぜひ言動を変えてほしいです。

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2014/08/06

■節子への挽歌2531:とんでもないミス

節子
またとんでもないミスをしてしまいました。
昨日の公開フォーラムの疲れもあったのですが、その後いささか不愉快なメールが来たりして、それが今朝の午前中まで引きずってしまいました。
午後の約束も出かけるのをやめて、メールで打ち合わせることにしました。
お昼頃、一応、すべて決着をつけたのですが、どうもやはり体調が良くありません。

ところがそれも終わって、ホッとしていたら、携帯に電話がかかってきました。
私は携帯電話が嫌いなので、普段は基本的には出ないのですが、何気なく出たら、某社の部長からでした。
そして、3時の約束でしたよね、と言われました。
時計を見たら3時7分。
それでハッと思い出しました。
経営道フォーラムのチームメンバーとのミーティングを約束していたのです。
すでに5人の大企業の経営幹部の人たちが、暑い中を湯島のビルの入り口に集まっているそうです。
部屋には鍵がかかっているのでは入れません。
さてどうしたらいいか。
実に刺激的な状況です。

いっぺんに体調の悪さが吹っ飛びました。
幸いに部屋の鍵はあるところにおいてあったので、それを教えて、ともかく部屋に入って打ち合わせを始めてもらうことにしました。
そして、ひげもそらずに、着の身着のままですぐに家を飛び出し、湯島に向かいました。
4時5分到着。我ながら早く着いたのに驚きました。
それにしても、悪いことをしました。
なんとかお役には立てましたが。

実はこのところ、私自身、かなり機嫌が悪いのです。
私の周りにはいろんな人が集まってくれて、みんなが私を支えてくれています。
佐藤さんの人徳だ、佐藤経だとおだてられることも多いのですが、実はそうではなく、たぶん便利な存在なのでしょう。
多くの人は、ほとんど私のことを理解してはいないのです。
それはそうでしょう、私自身、自分のことを理解できていないのですから。
しかし確実に言えることは、私は社会から「ドロップアウト」しているのです。
私の立場から言えば、「社会に毒されていない」ということなのですが。
だからほとんどの人はと善悪の基準が反対なのです。
だから私の共感する人など、さほどいないはずなのですが、表層的なところではちょっとだけ「共感」してもらえるところがあるのかもしれません。
基本的な考え方が違う人が多いのですが、そう思われていないのです。
だから逆に私は、相手のちょっとした言葉に、違和感を持つことが多いのですが、最近それがどうも増えている気がします。
しかし、「ちょっとした言葉」にこそ、その人の本質が現れるものです。
それで、最近私は機嫌が悪いのです。

機嫌が悪くなるとミスが増えるのです。
しかしミスをやってしまうと、自己嫌悪感が強まり、機嫌の悪さの原因は自分にあることに気づき、少しだけ性格がよくなります。
時には「大きなミス」も大切なことなのです。
と、負け惜しみを言いながら、今日は疲れがドッと出てしまいました。

酒井さん、すみませんでした。
まあこの挽歌を読むことはないと思いますが、自分のためにも謝っておきたいと思います。
心身に溜め込むと、また機嫌が悪くなりかねませんので。
酒井さんは、心を癒す人なのです。

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2014/08/05

■受付の大切さ

人は一人では生きていけません。
さまざまな関係の中で「生き合っている」というのが適切でしょう。

今日は認知症予防をテーマにした公開フォーラムを開催します。
参加者受付を引き受けたのですが、この仕事がとても大切だと思っています。
受付の連絡だけでも、その人の人柄や状況が感じられます。

だから、直接連絡してきた方には全員、直接、連絡させてもらいます。
始まりの時間に間に合わないという人には、できるだけ便宜を図るように相談に乗っています。
まあ当然のことですが、イベントなどをやる場合、私が一番大切にしていることです。

しかし、なかには極めて失礼な電話もあります。
不快な時もありますが、たぶんそれは「受付」とは単なる事務作業だと思っているからなのでしょう。

事実、そうした事務的で機会的な受付もあります。
だからこそ、私はそうならないように努力しています。

フォーラムは今日開催ですが、直前になっての申し込みもあります。
極力参加してもらうようにしています。
一方、急に参加できなくなったという連絡もあります。
親の体調が悪くなったとか、娘が熱を出したという理由です。
無断で欠席する人もいますが、受付をていねいにしているおかげで、理由も含めて欠席を詫びてきてくれます。
そこからまた新しい付き合いが始まることもあります。
だからこそ、受付は大事なのです。
そこにお互いの生き方が現れるからです。

今日は受付のことを書くのではなく、親や娘の体調で人の行動は大きく左右されることを書く予定でしたが、話がずれてしまいました。

いま会場に向かっていますが、そろそろ着きそうです。
中途半端ですが、投稿します。
なお今日の公開フォーラムは、午後1時半から衆議院第2議員会館で開催です。
ゲーム体験もあり、とても楽しいフォーラムです。
よかったら参加してください。
定員は超えましたが、いかようにもなるでしょう。

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■節子への挽歌2530:また一つ荷物を担ぐことにしました

節子
さわやかな朝です。
今日は、認知症予防をテーマにした公開フォーラムを開催します。
パソコンが時々、ダウンしながらも、何とか最小限の作業を終えることができました。
いつものように、自発的に集まった人たちが、できることを出し合いながら、実現するフォーラムです。
今回は、準備のプロセスを楽しむところまではいきませんでしたが、10人を超える人たちが実行委員会に集まりました。
いつものように、私の出番はほとんどありませんが、最後に3分だけ話させてもらうことにしました。
これを契機に、「やさしさのシャワー」を広げる、ゆるやかなコミュニティを立ち上げる提案をすることにしたのです。
これでまた一つ、荷物を担ぐことになるわけです。
最近の私自身の思いとは矛盾するのですが、開催する1週間前に思いついてしまいました。
困ったものです。

こうした集まりをやる時、以前はいつも節子がいました。
節子が表立った役割を担うことはありませんでしたが、いつもどこかで見守ってくれたのと大きな意味でのアドバイスをしてくれていました。
誰にも見えない苦労をしていても、節子だけは知っているという思いが、苦労を苦労と思わせないところがありました。
私にとっては、節子が「お天道様」だったのです。
その節子がいなくなってからも、なぜか惰性でそういう生き方を続けています。

昨日は、作業途中でメインのパソコンがダウンしてしまいました。
体調もそうですが、パソコンまでもがダウンとは、私の生き方が咎められているような気もします。
たしかに、最近の生き方には、自分ながら少しおかしさを感じてはいますが、それに代わる生き方が思いつきません。
いや、生き方はわかっているのですが、そこに移る動機づけがまだ弱いのです。

次の集まりを終わったら、少し自分の生活にもっと入り込もうといつも思いながら、次々と集まりが持ち込まれてしまいます。
引き受けなければいいだけの話だけなのですが、そうはなかなかいかないのです。
それに、自分でやろうと思うことも少なくないのです。
節子がいたら、たぶん引き受けないかもしれませんし、思いつかないかもしれません。
節子がいなくなってから、自分自身の主体性が弱まっているような気もします。
この惰性から、そろそろ抜け出ないといけません。

声が出るようになったのですが、今日は話し過ぎないように自重しようと思います。

それにしても、さわやかな朝です。

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2014/08/03

■節子への挽歌2529:パソコンでさえ2台あるのに

節子
体調がなかなか戻らないのに輪をかけて、今度はパソコンがダウンです。
もう10年ほど使っていますから、無理もないのですが、ダウンしてしまいました。
仕方なく、以前使っていたノートパソコンを引っ張り出して、何とか作業していますが、メインのパソコンにしか入っていないソフトがあるため、ホームページは更新できません。
メールアドレスも最近のものは引き出せません。
これはちょっと大変です。
その上、5日に開催する公開フォーラムの資料づくりが途中だったのです。
明後日開催なのに、まだできていないのです。
誰かにSOSを出したいところですが、いまさらという感じで頼めません。
こういうのを泣き面に蜂とでもいうのでしょうか。
公開フォーラムは70人ほどの参加者が申し込んできていますが、みんなに集合時間の再案内をしなければいけません。
大丈夫でしょうか。
いささかパニックになってもおかしくないのですが、不思議なことにあんまり危機感がありません。
なぜでしょうか。

暑さもあって、パソコンがダウンしたのかもしれず、1日、休ませたら直っているかもしれない、などという、いかにも安直な考えもあります。
何しろこのパソコンはもう10年ほど使っているXPの古いものです。
いつ壊れてもおかしくないのですが、買い換えるお金を節約してしまっていたのです。
節約する対象を間違っていたのかもしれません。
しかし、パソコンもこれだけ長く使っていると、私を見捨てることはないでしょう。
夜になって涼しくなってきたので、もう直ったかもしれません。

この文章は、ノートパソコンで作成していますが、そろそろデスクトップを起動させてみようと思います。
直っていたら、この文章をアップしますので、もしこの文章を読んでいる方がいたら、それはデスクトップが回復したということです。
パソコンが2台あってよかったです。

節子も2人いたら、よかったのにと思います。
いや一人だったからよかったのでしょうか。

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2014/08/02

■節子への挽歌2528:花火なのに心身が華やかになれません

節子
今年の手賀沼花火大会は娘たちと4人でゆっくりと見ました。
ジュンの連れ合いの峰行は、毎年、自分のお店があるため、見られなかったのですが、今年はお店を休業にしてゆっくり見ようということになったのです。
節子がいた頃はお客様も多く、その対応に追われていました。
手賀沼の花火の日は、来客の日、「ハレの日」になっていました。

節子の病気が再発した夏にも、お客様が来ました。
節子と私は花火を見ることもなく、冷房の効いた病室に籠もっていましたが、それがいわばあまり感じのよいものではなかったので、節子がいなくなってからの花火の日は、むしろ「ケの日」になってしまいました。
それでも来る人がいると、節子の文化をある程度受け継いだユカは、その接待に気をつかい、結局、落ち着かないというので、昨年からは声かけをやめました。
今年もちょっと迷いましたが、峰行が来るというので、家族4人だけで、花火を堪能することになったのです。
もっとも、私自身は堪能というわけには行きません。
いろいろと複雑な思いの1時間半でした。

わが家の小さな屋上の目の前が、手賀沼の花火会場です。
水上花火も見下ろせる位置なのです。
さらに、松戸や佐倉など、他にも数か所の花火が遠くに見えます。
でもやはりどこか退屈です。

1時間半の花火を見終わって、節子の位牌に向かって思わず口に出してしまいました。
花火を見て一体何の意味があるのだろうか。
人は冷静になると、その人生は貧しいものになるのかもしれません。
最近の私の生活は、間違いなく、貧しく退屈です。
意味を見出せないほどに、貧しく空疎なのです。
節子にさえ呆れられるほど、貧しい暮らしになっているかもしれません。

花火好きなはずの私が、一向に花火に心身が動かない。
自分ながら驚きです。
「ハレの日」であるはずの手賀沼花火大会の日が、また「ハレの日」に戻ることはあるのでしょうか。

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■「暑いですね」は便利な言葉です

数日前のブログで、次のように書きました。

平和に生きたければ、まずは自分の生き方を問い直すことからはじめなければいけない。
改めて、そう思い、そう行動しようと思います。

それで、それから自分の生き方を問い質すことを意識して、何回か書いてきていますが、数日前の記事を書いた後ですぐに行動に移していることがひとつあります。
隣り合わせた人に声をかけることです。
エレベーターで「暑いですね」。
信号待ちでも「暑いですね」。
最近は、「暑いですね」という誰にも共通の会話があるので、声をかけやすいです。
こんな一言でも、その場が和らぐのを実感します。
やろうと思えばやれることはいくらでもあるわけです。

自分が意識して話しかけるようになって改めて気づくのは、多くの人が自らを閉ざそうとしていることです。
目を合わせるのを怖がっているのでしょうか。
前にも書きましたが、せめてATMから出てきて、もし並んでいる人がいたら、声をかけなくとも会釈くらいはしてほしいですが、ほとんどの人は、目も合わせないようにしています。
私は必ず、「お待たせしました」と会釈しますが、それにも半数以上の人が無反応です。
みんな魂を売ってしまったような表情のない顔をしています。

残念ながら私はサルの表情が見分けられませんが、最近は人間の表情もあまり見分けられなくなってしまいました。
だんだん人間がいなくなってきているのかもしれません。
それで、まずは自らも出来るだけ表情豊かにしようと思ってもいます。

まあ、そんな極めて簡単なところから、自分の生き方を改めて問い直しています。
この2回ほど、ちょっと小難しく書いたので、伝わらないといけないので、今日は誰にも伝わる生き方の問い質しについて書きました。
余計なお世話とは思いながら。

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■自分を殺す者の共犯者とならないにはどうしたらいいか

挽歌編で、ラ・ボエシの言葉を引用したので、時評編にもラ・ボエシからのメッセージを紹介します。
この数年、私が感じていることを見事に表現している言葉です。

あなたがたが、自分を殺す者の共犯者とならなければ、自分自身を裏切る者とならなければ、敵はいったいなにができるというのか。
原発も戦争も、お金まみれの社会も、すべてそれを引き起こした主役は私たちです。
ラ・ボエシは、10代の若さでそのことを喝破しました。
圧政者を生み出していたのは、ほかならぬ大衆だったのです。
若いラ・ボエシには、それが見えたのでしょう。
若さとは、そうした本質を見抜く洞察力のかたまりです。
そういう意味で、最近は「若者」はいなくなってきました。
相した若者に、ぜひ湯島に来てほしいと思いますが、最近はなかなか出会えません。

むしろ子どもたちに期待しなければいけないのかもしれません。
子どもたちの輝きは、さすがに変わってはいないでしょう。
しかし、その子どもたちの世界が大人たちの暴力によって壊されてきています。
いったいどうしたらいいのか。

私は73歳ですが、若者や子どもの洞察力には負けますが、それを維持しようと生きてきました。
そのために、26年前に勤めていた会社を辞め、「社会からの離脱」を心がけてきました。
そして、「自分を殺す者の共犯者」にならないように、自分自身に誠実に生きてきました。
ですから私には自分自身の生き方には悔いはありません。
しかし、自分はよくても、また自分の周りはよくても、それでは十分ではありません。
要は、社会から逃げただけだったのかもしれません。
逃げられるはずなどないのですが。

福島原発の事故で、わが家の畑は汚染され、野菜もつくれなくなりました。
わが家の庭もかなり汚染され、池の魚は全滅しました。
しかし、除染する気にはなりません。
この地域全体、さらには東日本全体がじわじわと放射性汚染に曝されているなかで、自分の庭や畑を除染することに何の意味があるのか、と思うからです。
世界に原発を輸出する国の国民であれば、脱原発ということさえ最近は気が引けます。
だからといって、日本国民をやめることはできません。
原発や戦争行為を推進する政府には税金を納めたくはありませんが、そういうわけにもいきません。
電気をまった使わない暮らしには、恥ずかしながら戻れませんし、戻る気はありません。
やはり私もまた、「自分を殺す者の共犯者」になってしまっていると言わざるを得ません。

どうしたら「自分を殺す者の共犯者」にならないようにできるのか。
ずっと考えていますが、答が見えてきません。
できることは、「自分自身を裏切る者」にならないことだけです。
しかし、それだけでも最近は疲労姜が大きいです。
それに、毎日の報道に、やりきれなさが限界です。
今年の夏を超えられるといいのですが。
暑い夏になりそうです。
もちろん気温の話ではありません。

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■節子への挽歌2527:不幸の認識は過ぎ去った喜びの記憶とともにある

節子
今日は朝早く起きて、畑に行こうと思ったのですが、まだ必ずしも体調が戻っていないので、一人で出かけてダウンするといけないため、庭の草木への水やりだけにしてしまいました。
庭の椅子にしばらく座って、草木をみていたら、若い頃、家族ででかけた夏山での朝を思い出しました。

16世紀に生きた若者が残した「自発的隷従論」と言う小論があります。
以前、時評編で紹介しましたが、その本を読んだ友人から昨日手紙をもらいました。
それで思い出しましたが、その著者のラ・ボエシは、こう書いています。

人は、手にしたことがないものの喪失を嘆くことは決してないし、哀惜は快のあとにしか生まれない。
また、不幸の認識は、つねに過ぎ去った喜びの記憶とともにあるものだ。
時評編的にはこれに必ずしも同意はできないのですが、挽歌編的にはとても納得できます。
幸せと不幸は、コインの裏表なのです。
だから不幸を嘆いてはいけません。
不幸を紛らわすためには思い出に浸ればいいわけですが、そうすればますます不幸を強く感ずることになるでしょう。
人生とはまことにややこしく皮肉です。

今日は手賀沼の花火大会です。
朝から、その告知の花火があがっています。
花火を打ち上げる会場は、わが家のすぐ近くなのです。
ここに転居した理由の一つが、花火が目の前で見られることだったのです。
この花火大会には、私たちの喜びの記憶と悲しみの記憶が、いずれもたくさん詰まっています。
だから、節子がいなくなってからは、あまり心静かに花火を見ることができなくなっています。
喜びの記憶も悲しさの記憶も、強すぎると心を安らかにはしてくれません。
なにやら胸騒ぎのする1日になりそうです。

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2014/08/01

■節子への挽歌2526:節子がいた頃のような平和な一日

節子
10日ぶりに畑に行きました。
驚くほど草が生い茂っていました。
花畑ゾーンは、ひまわりとマリーゴールドとグラジオラスが、頑張っていましたが、それを覆い隠すように草が伸びていました。
斜面なので、なかなか草刈りしにくいのですが、少し整理し、頑張っている花にエールを送りました。
草に埋もれていたバラで手を切ってしまい、気づいたら血だらけになっていましたが。

野菜畑のほうは、きゅうりはうどん粉病で全滅ですが、ミニトマトとナスが頑張っていました。
ナスはなんと20センチほどの大ナスになっていましたが、やわらかく食べられそうです。
後から植えた、唐辛子類も頑張っています。
何かを植えて手入れしておかないと草が見る間に覆い茂ります。
ハーブはほぼ完全に草に埋もれていました。

畑になっていないところには、思い切り根こそぎ刈り取ったはずのセイジがまた復活していました。
また名前を忘れてしまったのですが、シランの一種がこれまた群生していて、元気です。
ちなみに、午後、花屋さんに節子の好きなカサブランカを買いにいったのですが、そこでそのシランのような花が植木鉢に入って300円ほどで売られていました。
わが家の畑では邪魔者扱いになっている草も、きちんとした名前をつけて、ちょっと整えると3000円になるわけです。
わが家には、その100倍はあるでしょうから、3万円ほどの価値があるわけです。
少ないとプラスの価値がつきますが、多いとむしろマイナスの価値になる。
商品というのは、そういうものなのです。

花屋に行った帰りに魚屋さんに寄り、節子が飼っていた小さな熱帯魚も3匹、買ってきました。
実は私も娘も、あんまりその魚が好きではなく、節子がいなくなってからきちんと世話をしていなかったため、1匹になってしまったのです。
1匹では寂しいでしょうからと、少し賑やかにしたのです。

なんだか今日は、節子がいた頃のような、平和な家族生活でした。
しかし、畑仕事はなかなか娘たちは手伝ってくれません。
もう止めたらと言われているのですが、なぜか止める気にはなれません。
かといって、しっかりとやるわけでもないのです。
私の心身の中に移り住んだ節子が、きっとそうさせているのでしょう。

喉はまだ治りません。
5日までには治さないといけないのです。

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