■「新しい国家」Islamic stateと「新しい戦争」
イスラム国とは一体何なのだろうかという疑問がなくなりせん。
あんまりきちんと報道をフォローしていないからかもしれませんが、何でまた彼らは「ステート」を名乗ったのでしょうか。
英語では、Islamic state と書かれていますので、イスラム国と訳すしかないのかもしれません。
アルカイダは、アルカイダ・ステートとは言いませんでした。
ISISは、最初からステートを名乗っています。
そこには、欧米からも多くの参加者があると報道されています。
にもかかわらず「ステート」。
そこが私にはどうもよくわかりません。
現在、活動を展開しているのは、シリアとイラクのようですから、国境をまたがっての建国。つまり国境の引き直しなのでしょうか。
最初は、国境を越えた集団が現れて、国家と対峙しだしたと思っていたのですが、やはり彼らが目指すのは国家なのでしょうか。
それでは権力争奪戦でしかありません。
昨日の朝日新聞の夕刊に、政治学者の藤原帰一さんが「新しい戦争の懸念」と題して小論を書かれていました。
「新しい戦争」と言う表現に魅かれて読みましたが、「新しさ」がよくわかりません。
9.11の後、新しい戦争が始まったと私も思いました。
それまでの戦争は国家間の武力衝突でした。
しかし、9.11以後に始まったのは、国家と非国家的な存在との武力衝突でした。
しかし、非国家的存在はつかみどころがないために、仮想的として国家が想定されてしまい、話がややこしくなってしまったのではないかと、私の乏しい知識で理解していました。
そう考えれば、アメリカを中心とした国家の行動は、適切とは言えないように思いました。
事実、あまり成功はしていないように思います。
そうした時に出てきた「イスラム国」。
なんだか時代が逆戻りしているようで、私の頭は混乱しています。
地理的な平面地図で世界を見慣れている私たちは、どうしても領域国家単位で物事を考えがちです。
しかし、そのなかで生活している人たちの立場は多様です。
日本に住んでいるムスリムは10万人程度で、そのうち、日本人は1万人足らずだそうです。
しかし、欧米にはもっと多くのムスリムがいることでしょう。
地理的な捉え方ではなく、人間の視点で世界をみれば、違った世界地図が出来るでしょう。
Islamic state という表現は、どうも理解し難いのです。
しかし、これは「新しい国家」かもしれません。
イスラム国は、残虐だといわれています。
人質を処刑する映像を流したりしていることが衝撃を与えています。
しかし、考えようによっては、暴力を正当化する仕組みを構築し、独占している国家への批判かもしれません。
密室で処刑するのと公開の場で処刑するのとでは、常識的な意味での残虐性は後者が強いかもしれませんが、それも私たちの思い込みでしかありません。
暴力の管理の枠組みや仕組みを変えたと考えれば、時代逆行とはいえません。
もしかしたら、「新しい国家」の現われのひとつかもしれません。
まあそれはともかく、「新しい戦争」が始まりだしているという思いは日毎に強くなっています。
集団的自衛権などの議論は20世紀的な議論のように思います。
そしていまこそ、日本国憲法第9条が大きな意味を持ち始めていると思います。
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