■節子への挽歌2536:心配してくれる人がいることの幸せ
節子
挽歌ナンバーがひとつだけずれているので、追いつくためにもう一つ書きます。
書くほどのこともないことですが。
最近、自分が実に粗雑に、感情的になってきているのがわかります。
自分の思うようにならないと、勝手にやってよという気になってしまうのです。
そしてついつい感情が出てしまう。
気分を害した人も少なくないでしょう。
性格がさらに悪くなってきています。
自分で言うのもなんですが、私は客観的で論理的で「公正」の人と思われがちです。
自分でもなぜかわかりませんが、そう思われている節があります。
もちろんそう思われることは、私には気分が良いものではありません。
どう考えてほめられているとは思えませんし。
私と親しくなるとそうではないことはわかるのですが、そう思われることが多いのです。
いささか自慢めいて聞こえそうですが、つい今しがたあるメーリングリストに流された記事に、「既成概念にとらわれない、物事の本質をきちんとすばやく見極められ佐藤さん」と書かれていました。
私のことなのです。
こう書いてくれた人は私よりも年上の、誠実に人生を生きている人です。
客観的で論理的で「公正」で、しかも柔軟な発想ができ、本質を見極める人。
もう神様に近いですね。
その神様に近い人が、粗雑でわがままで利己的な言動をしてはいけません。
心しければいけないのです。
それはわかっているのですが、この頃はみんなのわがままさに我慢できなくなってきているのです。
自分のわがままさは棚に上げて、です。
それにしても、みんな勝手です。
今ごろわかったのかと節子には笑われそうですが。
私は考えは比較的に簡単に変えますが、約束したり合意したりしたことはむやみには変えません。
一度言葉に出したことも変えることはありません。
「武士に二言なし」という言葉は、私の大好きな言葉です。
しかし、最近は、そうした信条で生きている人はあまりみかけません。
実は最近体調が悪いのは、そういうことと無縁ではないのです。
以前なら節子に発散できましたが、いまは挽歌に書くことくらいしかできません。
困ったものです。
それでどんどん疲労感がたまり、免疫力が低下し、声が出なくなる。
そうに違いありません。
今週は、集まりが一切ありません。
人と会う約束も、そう多くはありません。
マハラバの増田さんからもらった大根ハチミツは効果をあげています。
というわけで、病院に行くのをやめることにしました。
アドバイスくださったみなさん、すみません。
でも、今週まだ違和感が残ったら、今度こそ病院に行きますので、お許しください。
それにしても心配してくれる人がいるのが幸せです。
ありがとうございます。
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