■節子への挽歌2550:7回目の施餓鬼
節子
7回目の施餓鬼です。
施餓鬼は毎年、太陽がじりじりするような暑い日です。
この日は檀家の人たちがみんな集まり、お寺が人で埋まるほどになります。
今年は、さぼって、本堂での行事が終わる頃にお寺に行きました。
本堂の外にも設営された椅子はもちろん満席で、参道の石段や墓場に行く通路も人であふれていました。
幸いに今年は例年よりも涼しいのが救いでした。
お墓の掃除をしたりして少し待っていると本堂の行事が終わりました。
本堂の行事に参加していた兄が卒塔婆を持って出てきたので、2人でお墓に行って、お参りをしました。
お墓の前で般若心経をあげ、久しぶりに兄と駅の近くのカフェで珈琲を飲みました。
兄と私は、生き方も考え方も大きく違っているので、会えば論争になります。
しかし決して仲が悪いわけではありません。
ただあまりに考え方や生き方が違うのです。
母親の遺言は、兄弟仲良くやってねと言うものでした。
最近では、そうした母親の心配がわかるようになりましたが、論争は相変わらずです。
それがまた「瑣末な話」での論争なのです。
節子も、あまりにどうでもいい問題で論争になるのを見ていて、呆れていましたが、まあ論争などと言うのはそんなものでしょう。
夫婦喧嘩は、さらに「どうでもいいこと」が原因なのですし。
施餓鬼から戻ると節子の位牌の前に軽井沢のお菓子が供えてありました。
お隣さんからのお土産だそうです。
わが家は施餓鬼といっても自宅の仏壇に食べ物を特別に供える棚はつくりません。
ただお寺の施餓鬼会に出て、卒塔婆をお墓に立ててくるだけです。
しかし、今年は、運よく、節子が好きそうなクッキーが供えられて節子は喜んでいるでしょう。
しかも節子が好きな軽井沢のお土産です。
娘たちが小さい時には、軽井沢の奥や周辺にはキャンプに何回か行きましたが、軽井沢銀座にはついに一緒には行けませんでした。
節子は友人たちと行ったことがありますが、私があんまり軽井沢は好きでないのです。
だから節子は私を誘うことはありませんでした。
私が好きなのは、ただ山があり森があり、川があり、サワガニがいそうなところです。
人が多い避暑地や観光地は、どうしても好きになれません。
今から思えば、節子にはきっと大きな不満だったことでしょう。
施餓鬼も終わりました。
後は節子の8回目の命日です。
今年は何もせずに、家族でつつましやかな会食でもしようと思います。
いつもはだれかに任せるのですが、娘のユカから、いつも他人任せの生き方をそろそろ止めて、今年は自分で仕切ったらと厳しく言われました。
なんともまあつめたい娘です。
節子、次の日曜日、会食したいので場所を決めといて、といえる人生が懐かしいです。
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