■節子への挽歌2547:携帯電話もパソコンも買い替えました
節子
相変わらず暑いです。
今日は午前から午後にかけて、我孫子で用事が重なったのですが、街中を歩くだけで体力を消耗するような暑さでした。
夕方になって、ようやく少し風が和らいできました。
久しぶりに畑に行こうかとも思いますが、またおかしくなってもいけません。
迷いながら、パソコンに向かいました。
今朝、時評編に書いたのですが、携帯電話をやめようかと思っています。
それでいまもほとんど携帯電話の電源を切っているのですが、娘から電話したのにつながらなかったと早速に怒られました。
いささか勝手なのですが、携帯電話は発信専用にしようと思っていたのですが、あんまり評判はよくありません。
まあそれはそうでしょう。
でも発信専用が私には一番好都合ですから、しばらくはそれでやってみようと思います。
いつまでもつかはわかりませんが。
壊れたと思われたパソコンが直ったこともどこかに書きました。
このまま使おうと思ったのですが、ほとんど使わない携帯電話を買い替えるのであれば、毎日使うパソコンこそ買い替えるべきだと思いなおしました。
それに最近は、メールが時々消去したり、読み取れないデータがあったりして不便も生じているのです。
多分私が購入する最後のパソコンになるでしょうから、少しコストをかけてもいいのですが、そういうところへのこだわりがまったくないため、相変わらず低価格のデルのパソコンになってしまいました。
パソコンもたぶん15台目くらいですが、最近は味も素っ気もないデルばかりです。
問題は今使っているソフトがそのまま使えるかどうかです。
私はほとんどお金を使わないのですが、久しぶりの買い物でした。
もっとも最近はすべてカードとか引き落としなので、お金を使った気にはなりません。
節子がいなくなっても、その点は変わらないので、ありがたいのですが、そういうお金は一体誰が払っているのでしょうか。
いい加減だったとはいえ、管理してくれる節子がいなくなりましたから、カードが使えなくならないように注意しなければいけません。
しかし、やはりお金を直接払わないので、携帯電話もパソコンも神様の贈り物のような気がしてなりません。
だからこそ大事に使おうという気になるのですが。
パソコンはまだ届いていないので、今日は古いパソコンでの入力です。
| 固定リンク
「妻への挽歌13」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2600:恩送りと迷惑送り(2014.10.14)
- ■節子への挽歌2599:老いることや死んでいくことの意味(2014.10.13)
- ■節子への挽歌2598:「苦悩のない状態とは死んだ状態」(2014.10.12)
- ■節子への挽歌2597:不老不死(2014.10.11)
コメント