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2014/08/16

■節子への挽歌2542:「単なる偶然です」

送り火でした。
お墓から帰宅していた節子は戻りました。
精霊棚もいつもの仏壇に戻りました。
お盆が特別の時なのだという感覚が、最近はほとんどありません。
毎朝、お経をあげていますし、いまもなお節子はわが家で暮らしていると思っているからです。
しかし、来週は施餓鬼、その次は節子の命日です。
夏は、それなりに彼岸との距離は近いのです。

先週、お会いした小児科の松永医師の「運命の子 トリソミー」を読みました。
重度心身障害児を育てる家族を題材にした作品で、昨年の小学館ノンフィクション大賞の受賞作です。
松永さんの、誠実な、そして強靭な人柄がストレートに伝わってくる作品です。
文章も実に生き生きとしていて、一気に読んでしまいました。

松永さんは長年、小児がんの問題に取り組まれている方ですが、小児がんに関する作品もいくつかあります。
ただ、節子を見送ってからは、私は「がん」という文字に出会うと心身が凝固してしまうのです。
新聞記事でさえ、そうですから、書籍など読めるはずもありません。
しかし、「運命の子 トリソミー」の文章の見事さに乗せられて、読んでみようという気になりました。
手に取ったのは、「がんを生きる子」。
副題は「ある家族と小児がんの終わりなき闘い」です。
最初は少し苦痛でしたが、次の文章に出会えてからは、スッと読めるようになりました。
その文章とは、「単なる偶然です」という松永さんの言葉です。

娘が小児がんになったと知らされた母親が、松永医師に質問します。
「どうしてこんな病気になってしまったのでしょう?」
松永さんは、こう答えます。
「単なる偶然です」。

この言葉に出会った後は、この本も一気に読めました。
たぶんもう「がん」コンプレックスは克服できたでしょう。

それにしても、「単なる偶然です」と言い切れる松永さんとはどういう人なのでしょうか。
実に興味深いです。
松永さんの2冊の本のおかげで、いろんなことから解放された気がします。
今度湯島でサロンをやってもらえないかと松永さんに頼みました。
9月13日に開催します。

「それぞれの家庭にはそれぞれの形の幸福、がある」
「辛い思いをしていない家族など、一つとしてない」
これも松永さんの「運命の子」に出てくる文章です。
私よりも20歳も若いのに、松永さんはたぶん、私の数十倍の人生を生きてきているのだろうと思います。
お話させてもらえるのが、楽しみです。

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