■節子への挽歌2548:サルスベリが満開です
節子
前の家から持ってきたサルスベリがよく咲いています。
これは転居時に植木などの移植を頼んでいた植木屋さんがあんまり価値がないと残していたのを、どうやら節子が娘たちと一緒に抜いて別に運んできたようです。
ジュンから聞いた話です。
わが家の家事は節子任せでした。
そのせいで、私の評判はたいへん悪いのです。
同世代に比べると、かなり理解があったほうではないかという自覚があったのですが、それは私の独りよがりで、現実は家事も育児も妻任せで、そのくせ理屈だけは言っていたようです。
しかもその「理屈」がそれこそ「独りよがり」のものだったようです。
具体的な事例を出して、娘から指摘されると、反論のしようもありません。
間違いなくそうだったのでしょう。
父親としては、反省させられることばかりです。
サルスベリは、毎年、たくさんの花を咲かせます。
もしかしたら一番元気かもしれません。
カルミヤも元気がありませんし、アセビはなくなってしまいました。
梅は持ってこなかったのでしょうか、姿がありません。
昔はたくさん梅がなって、梅干も節子がつくっていました。
ツバキやサザンカもあんまり元気がよくありません。
今年の春は、節子が買ってきた河津桜は花をつけませんでした。
ツツジも、節子がいなくなってから枯らしてしまいました。
いや枯らしたのではなく、枯れたのかもしれません。
そうした中で、元気なのがサルスベリ。
花木への愛情も大事にしなければいけません。
花木への接し方を見れば、節子への接し方もわかるかもしれません。
自分の記憶に残っていることと、現実とは違っているのかもしれません。
最近、娘と話していて、そんなことを思い知らされることが時々あります。
困ったものです。
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