■節子への挽歌2540:今日はずっと位牌の前で過ごしました
節子
大宰府の加野さんから電話がありました。
年に1回のお戻りなので、ゆっくり過ごしてくださいという電話でした。
もちろん、節子のことです。
加野さんも、今日は一人娘の寿恵さんと一緒にすごされているそうです。
節子が亡くなった翌年、加野さんと一緒に大日寺の庄崎さんのところで、2人の彼岸での様子を聞かせてもらったことが、今も昨日のように思い出されます。
加野さんはもう80代の後半でしょう。
しかしとてもお元気です。
なぜなら、娘の寿恵さんの50回忌までやろうと考えているからです。
寿恵さんは、若くして亡くなりました。
ちょうど私が節子と一緒に多くの人との付き合いを断っていたころです。
寿恵さんが亡くなったのを知ったのは、節子を見送ってからです。
いや、正確には、節子を見送る前に知っていたのかもしれません。
きちんとした知らせはなかったのですが、何となく伝わってきていたような気もします。
しかし、節子には伝えていないことだけは確かです。
私が大宰府に伺ったのは、節子が逝ってしまった1年後でした。
加野さんから大日寺を誘われたのです。
加野さんのところには、とうとう節子と一緒にうかがう機会がありませんでした。
加野さんは久留米絣のお店をやっています。
節子が大好きになりそうなお店でした。
寿恵さんからもらった久留米絣の敷物や暖簾を、節子は大事にしていました。
節子と加野さんのお店に行けなかったのは、とても残念です。
今日はずっと家にいました。
来客もありませんでした。
節子の位牌の前で、ぼんやりとしていました。
そういえば、福岡の蔵田さんからも電話がありました。
お元気そうでした。
もっとも平安な1日だったわけでもありません。
携帯電話は止めていますが、ネットからいろんなメールが届きます。
私自身のことではないのでなかなか書きにくいのですが、放置してはいけなくなった事件がまた再発しました。
時評編で書こうかと迷っています。
まだその「覚悟」ができずにいます。
節子がいたら、何と言うだろうかと思いながら、決断しかねています。
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