« ■節子への挽歌2542:「単なる偶然です」 | トップページ | ■節子への挽歌2544:分別リサイクルゴミ箱 »

2014/08/17

■節子への挽歌2543:世界が別の世界になってしまったような記憶

節子
昨日書いた松永さんの本でもう一つ印象に残った部分があるので、それを書くことにしました。

小児がんの娘の抗がん剤治療が始まってからのある日、その母親は周りの世界が白黒テレビの画像のように、色がなくなって見えるようになったそうです。
その話を、同じ病室の小児がんの息子を持つ母親にすると、その母親はこう応えます。

「分かるよ、私も。治療の合間に外泊しても、団地のママ達とはもう世間話ができないの。以前は、井戸端会議を毎日のようにやって、ワイドショーで放送してた皇室の話とかですごく盛り上がったりしたんだけど、今は、は? 何それ? つて。全然意味が分からないっていうか、自分には何の関係もないっていうか、もう、全然どうでもいい話なの。だからだんだんママ達の会話にも参加しなくなったし、向こうからも声がかからなくなるし、でも、それでいいのかなって」
「単に話題が合わないということじゃないのよ。喋る言葉も違う。人間も別。別の世界にいる、みたいな感じなの」と、その母親は言います。

世界が、これまでの世界とは一変してしまう。
私には、「わかる」とはとても言う自信はありませんが、それに似た体験は何回もしています。
話していても、自分の心身がどこか遠くに行ってしまっているような、そんな気になったことが何回もあります。
そういう体験がなくなってきたのは、ようやく昨年の秋になってからです。
信じたくない現実に出会うと、人は現実から抜け出てしまうのかもしれません。

「喋る言葉も違う。人間も別。別の世界にいる、みたいな感じ」。
たしかに、節子がいなくなってからしばらくは、そんな世界に生きていたような気がします。
いまは周りの世界にもあまり違和感がありませんが、逆に、あまり「生きている」という感覚がありません。
やはり、あの時、節子と一緒に私の半分も旅立ったような気がしてなりません。

お盆が終わり、秋になりました。
節子が好きだった紅葉の季節です。

|

« ■節子への挽歌2542:「単なる偶然です」 | トップページ | ■節子への挽歌2544:分別リサイクルゴミ箱 »

妻への挽歌13」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌2543:世界が別の世界になってしまったような記憶:

« ■節子への挽歌2542:「単なる偶然です」 | トップページ | ■節子への挽歌2544:分別リサイクルゴミ箱 »