■節子への挽歌2541:語りだしたくなる人生もある
節子
人にはさまざまな人生があります。
語りだしたくなる人生もある。
今日はある件で、2人の人に暑い中を湯島に来てもらいました。
いろいろと話し合っているうちに、そのおひとりが、今日は連れ合いの命日だという話をし始めました。
というよりも、それが話の最後に出てきたのですが。
しかもかなり複雑な話で、もしかしたら連れ合いの死を止められたかもしれないという話です。
それが、数年前の今日の未明だったのです。
その方の連れ合いがなくなられていたことは知っていました。
ある程度、その事情もお聞きしていました。
しかし、今日お聞きした話は、初めてでした。
もしかしたら、止められたかもしれない。
その方は、ずっとそう思い続けてきていたのかもしれません。
それを誰かに言いたかった。
でもなかなかそれは話せる話ではないのです。
今日、まったく別の話のなかで、たぶん話したくなったのです。
その気持ちがよくわかります。
私も時に、節子のことを無性に話したくなりますが、話すきっかけが見つけられません。
今日、彼女は、もうどうしようもなく話したくなったのでしょう。
しかし、私はそれをうまく受け止められませんでした。
でも、今日が命日だということを知りました。
4日前に、知人からメールが来ました。
いろいろと書いている中に、今日は月命日でしたと書いてありました。
彼女も、最近、大切な人を見送ったのだなと思いましたが、私は全く知りませんでした。
それでなんとなく訊ねてみましたが、見事に返信からはその話題は外されていました。
月命日であることを知ってほしいような、しかし誰のことかは知られたくないような、そんな複雑な気持ちの揺らぎを感じました。
彼女もまた、いつか話しだしたくなるかもしれません。
こういう生き方をしていると、いろんな人が人生を話してくれます。
私の質問に応じてではありません。
私は過去にはほとんど興味がなく、私の質問は、「それで10年後はどうしているのですか?」というような、先のことがほとんどなのです。
しかし、多くの人は、未来よりも過去を語りたがります。
それで私も最近は、過去の話のなかから未来を聞き取るようになってきています。
過去と未来は、深くつながってもいるからです。
しかし、つながっていない過去と未来もあります。
大切な人の死が、過去と未来を分断するのです。
でも本当は、つながっているのです。
だから時に無性に話したくなる。
語りだしたくなる人生もあるのです。
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