■節子への挽歌2532:死者は美化される
節子
昨日の「ミス事件」で心身が少ししゃんとして、今日はのどの調子もまあまあです。
やはり「病は気から」です。
しかし今日は大事をとって声を出さないように過ごしました。
いささか長いので、喉頭がんを心配してくれる友人もいますので。
喉頭がんといえば、いつも思い出すのが先輩の重久さんのことです。
体調が悪いと聞いたのでしばらく会わずにいたのですが、そろそろ大丈夫だろうと思い連絡しようとしていた矢先の訃報でした。
自分のことを理解してもらえる人に会うのは、最高の幸せです。
こんなことを言うと、友人知人に叱られそうですが、自分で納得できるわかり方をしてもらえる人は決して多くはありません。
重久さんは、数少ないその一人でした。
東レ時代の先輩ですが、それほど親しかったわけではありませんが、私の思いをシェアしようとしてくれた人です。
私も彼の思いを少しだけシェアできていました。
重久さんが会社を辞めたら、きっと何か一緒に出来たはずです。
たぶん喧嘩しながらですが。
若くして亡くなった2人の友人もいます。
JTの社員だった加瀬さんと元ヒッピーの三浦さんは、なぜか心が通じ合えていました。
いずれも突然の訃報でした。
3人とも、かなりの「変人」でした。
私がそう思っていただけかもしれません。
ちなみに、3人ともそう親しく付き合っていたわけではありません。
しかし、なんとなくお互いにお互いを認め合えていました。
言葉を選ばずに言えば、お互いに「好き」だったのです。
理由もなく、時に会いたくなり、時に会いに来る。
そんな付き合いでした。
ですから、本当は理解などしあえておらずに、付き合いが突然に切られたために、私のことをわかってくれた友人と思うようになったのかもしれません。
亡くなってしまうと、それまでの付き合い方に悔いが出てきます。
それを補うために、美化してしまう。
娘から、この挽歌は節子を美化しているとよく言われます。
それは否定できません。
同じように、友人たちもそうかもしれない。
でもそれはそれでいいでしょう。
それが悲しみや寂しさを少しでも埋めてくれるのであれば。
お盆が近づきました。
今日はお墓の掃除に行こうかとも思いましたが、だらだらと過ごしてしまいました。
おかげで喉の調子はだいぶよくなりました。
もう大丈夫でしょう。
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