■節子への挽歌2534:与えられた寿命
節子
やはりあんまり体調がよくありません。
そろそろ「寿命」かもしれません。
と書くと、また心配する人もいるかもしれませんが、寿命は与えられたものですから、心配することはありません。
節子のことを考えていると、どうしても「与えられた寿命」という考えに馴染んできます。
節子はたぶん、それを知っていたのでしょう。
3週間経ちますが、喉は相変わらず不調です。
できるだけ他者に迷惑をかけないように、一度、病院で検査してもらおうとは思いますが、喉の不調と言うよりも、全体的にだるさがあるので、原因は別かもしれません。
暗い書き出しになってしまいましたが、単なる寝不足かもしれません。
それに気分は悪くはないのです、ただ体調に少し違和感があるのです。
今日は本郷でサロンです。
湯島の予定でしたが、参加者が40人にもなってしまったので、会場を変えました。
節子が元気だったら、一緒に聴きたいテーマの話です。
マハラバ村コロニーがテーマです。
そこから脳性マヒの人たちの集まりである「青い芝の会」が生まれたと聞いています。
コロニーを立ち上げた大仏空さんの娘さんの増田レアさんがゲストです。
参加者の半分は、面識のない人ですが、新しい出会いがあるでしょう。
そういえば、5日に開催した認知症予防の公開フォーラムでも、何人かの新しい出会いがありました。
あまりその後の体調が良くないので、まだフォローしていませんが、連絡をもらった人もいます。
世界が広がるのは、うれしいものです。
さて、「与えられた寿命」ですが、その活かし方もまた「与えられている」のかもしれません。
この頃、そんな気がしてきています。
自分で主体的に判断して、行動しているようで、実はすべてが決まっている。
そう考えないと、私の最近の行動は自分でもあまり理解できません。
逆に、そう考えると実にいろんなことがすっきりします。
なによりも、瑣末なことに悩まないでいいのです。
もしかしたら、これが「歳をとる」ということでしょうか。
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