■節子への挽歌2533:野路さんからの桃
節子
野路さんから桃が届いたので、電話しました。
もちろん節子の友人の野路さんではなく、その伴侶の野路さんです。
私は面識はありませんが、節子は面識があり、とてもいい人だと何回もお話を聞いています。
節子が元気だった頃にはお会いする機会はありませんでした。
その野路さんと、最近は年に数回、電話で話すようになっています。
人の関係とは不思議なものです。
節子の親しい友人の野路さんは、節子がいなくなってからも数回、節子への献花にわが家まで来てくれました。
節子の使っていた衣服を素材にして、裂き織のバッグを創ってくれ、私たち家族全員にもらいました。
そういう、とても器用で、気配りの深い人でした。
野路さんの伴侶の野路さんから、連絡があったのは節子が逝ってから何年目だったでしょうか。
階段から落ちて、大怪我をしてしまったのです。
そして記憶を失ったのだそうです。
長い入院から退院したものの、その大変さが少しわかります。
夫である野路さんは、仕事もやめて、妻のリハビリに専念されました。
そのあたりから、私たちの付き合いが始まりました。
野路さんも少しずつ記憶も戻っているようですが、まだまだのようです。
それでもきちんとした「反応」ができるようになってきたからうれしいですね、と言うと、野路さんはますます頑固に自己主張するようになって、むしろ大変さが増したと笑いながら言いました。
その複雑な気持ちがわかります。
夫婦はお互いにわがままですから、たぶん几帳面に付き合っていると大変なのでしょう。
私には、そこに伴侶がいるだけでも羨ましい気はしますが、実際にそういう状況になると、そう簡単な話ではないのかもしれません。
野路さんが送ってくれた桃は、固くて甘い「あかつき」でした。
節子に供えさせてもらいましたが、この時期、節子へのお供えは増えています。
節子も、久しぶりに野路さんと話しているでしょうか。
節子が好きだったカサブランカもかざっています。
最近、時間がなくて、なかなかお墓に行けていないのが気になっています。
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