■節子への挽歌2555:縁に従う生き方
節子
オープンサロンに、久しぶりに武田さんがやってきました。
武田さんとはもう35年ほどのお付き合いですが、不思議な関係です。
お互いに議論好きのために、時々、もう湯島には来ないぞと関係が「悪化」することもありますが、時間が経つとまたやってきます。
私自身は、自分の好き嫌いで人と付き合ってはおらず、ただ自然に生きているだけなので、来る人とは会い、来ない人とは会わないだけの話です。
それに、一度出来た縁は大事にしていますので、仮に不快なことがあっても、それが付き合いを止めることにはなりません。
しかし、なぜか時々、突然連絡が来なくなり、湯島に来なくなる人もいます。
心当たりがない場合も多く、気にはなりますが、まあそれもまた自然の成り行きに任せます。
しかし、一度出来た縁は、大事にしようがしまいが、なくなるはずもありません。
10年ぶりに、連絡があって、湯島に来る人もいます。
人の縁とは不思議なものです。
それが実感できると、「縁に従う生き方」を素直に受け入れられます。
人の縁は、人生を豊かにも貧しくもしてくれます。
人生には、豊かさも貧しさも必要ですが、豊かさを求めて、「縁を活かす」生き方は私には向いていません。
偉そうにいえば、カントの「人を手段」にしてはいけないという定言に共感しているからです。
私自身はたくさんの縁に恵まれすぎるほど恵まれていますので、それだけで十分なのです。
それに、縁がもたらす貧しさや不幸も、人生を豊かにしてくれることは間違いありません。
むかし友人から、付き合う人をもう少し選べよと忠告されたことがあります。
一昨日、そう忠告してくれた友人と共通の友人に8年ぶりに会ったのですが、その友人の名前が出ました。
それで思い出したのですが、彼とも8年以上会っていないことに気づきました。
でも彼は私の大事な友人です。
多分いつか会えるでしょう。
節子と会わなくなってからまだ7年しか経っていません。
そう考えると、7年などよくあることだなという気もします。
まあそのうち、また会えるでしょう。
縁が出来ているのですから。
一度生まれた縁は、消えることはないでしょう。
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