■節子への挽歌2557:「ほどほどに」
節子
今年もまた、滋賀の節子の友人たちから胡蝶蘭が届きました。
そんな季節です。
私は、電話がどうも苦手なのですが、手紙はもっと苦手なので、いつものように、電話でお礼を言うことにしました。
2人とも元気そうでしたが、まあそれぞれいろいろとあるようです。
相手からも元気ですかと訊かれたので、歳に見合って「ほどほどに」元気ですと応えました。
70前後にもなれば、若い頃と同じ意味で「元気」であるのは、むしろ「病気」かもしれません。
私は最近、この「ほどほどに」という言葉が気にいっています。
元気ですか?
ほどほどに。
忙しいですか?
ほどほどに。
美味しいですか?
ほどほどに。
面白ですか?
ほどほどに。
実にいい言葉です。
もっと早くから、この「ほどほど人生」を守っていたら節子にも苦労をかけなかったかもしれません。
節子への愛も「ほどほど」だったら、私もこんなに苦労はしなかったかもしれません。
いや、むしろ「ほどほど」の愛だったので、こんなに苦労しているのかもしれませんが
まあ、いまもきっと私は「ほどほどの人生」を過ごしているのでしょう。
なにしろ私自身が「ほどほどの人」なのですから。
「ほどほど」
実にいい言葉です。
内容がないのが、実にいい。
はい。
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