■節子への挽歌2554:PPKという言葉が嫌いです
節子
昨日はちょっと疲れて帰宅し、また挽歌を書きませんでした。
この頃は疲れるとパソコンに向かうのもおっくうです。
挽歌も書かずに寝てしまいました。
なかなか習慣化できません。
それに今年の夏の暑さは、かなりこたえました。
こうやってだんだん人は彼岸への近づいていくのでしょう。
最近、その感覚がわかるようになってきました。
世の中にはPPK、ピンピンコロリと、突然に死んでしまうことを望む人もいますし、それをお祈りするお寺まであるようです。
私は、このPPKという言葉が大嫌いです。
とても不謹慎な言葉ではないかと思っているのです。
死を、そんな風に語るべきではないでしょう。
やはり死は、時に悲しみながら、時に迷惑を周囲に与えながら、時に戸惑いながら、時に心乱しながら、ゆっくりと迎えるのがいいように思います。
それに、ピンピンコロリという語感も不快感があります。
生や死をあっけらかんと語るのはいいですが、もっと真摯に向き合いたいというのが、私の思いです。
しかし、今のような生き方をしていると、そうなりますよ、と久しぶりに会った佐々木さんから言われました。
ともかくもっと元気をつけなくてはいけないと、また韓国の紅参精丸という丸薬をもらいました。
きちんと飲むようにと念を押されました。
私の心身の健康は、みなさんのさまざまな支えで維持されているのです。
声が出るのかという電話もありましたが、多分もう大丈夫でしょう。
もっとも話し続けていると昨日のようにまたおかしくなるのですが。
人間の心身は機械ではないので、加齢とともにさまざまな機能不全が起こります。
それにしたがって、素直に生きたいと思っていますが、どうもみなさんはいろいろと心配してくれます。
でもまあ好意を無にしてはいきません。
そうした支えで、もう少し年甲斐もなく元気に過ごさなければいけません。
しかし、PPKだけは避けたいと思います。
せめていつ旅立つかは、自分で決めたいと思っています。
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