■節子への挽歌2539:節子はほんとに帰ってきたのでしょうか
今日は迎え火です。
時間が早かったせいか、お墓はまださほどにぎわってはいませんでしたが、迎え火を炊き、ロウソクに火を移して、帰宅しました。
節子が戻ってきました。
と言って何も変わったわけではなく、いつもどおりです。
ただいつもの仏壇は扉を閉じて、お盆期間は精霊棚に節子の位牌が出ているだけです。
普通はお膳などあげるのでしょうが、わが家は果物とお菓子だけです。
花も今年は、控え目にしました。
暑いのですぐ枯れてしまいます。
一昨日まで咲いていたカサブランカも、もう枯れてしまいました。
でもまあいつもよりは、華やかな花に囲まれています。
今日も暑い日です。
娘夫婦が帰った後は、まあ用事もなかったので、位牌壇の前で過ごしました。
ただただ怠惰に、です。
静かな、何もないお盆です。
ちょっと寂しい気もしますが、これもまた私の生き方の結果なのですから仕方ありません。
怠惰にしていたら、気分が緩んだせいか、なにやら身体全体がかったるい感じになってきました。
節子が戻ってきたので、甘えが出てきたのでしょうか。
喉のお医者さんに行く予定だったのですが、せっかく節子が帰ってきたのだから、病院でもないだろうという口実で、止めました。
困ったものです。
今日は暑いですが、セミの鳴き声があまりしません。
奇妙に静かなお盆です。
節子は、ほんとに帰ってきたのでしょうか。
帰ってきたんだったら、なにか「兆し」を感じさせてほしいものです。
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