■節子への挽歌2552:「カミハテ商店」
節子
時評編に書きましたが、映画「カミハテ商店」を見ました。
東尋坊の茂さんが、ある意味でのモデルになっている映画です。
主人公の千代は子どもの頃、父親が自殺した60歳の女性です。
父が自殺した断崖絶壁がある、世界の果てのようなさびしい村で、商店を開き、毎日、10個のコッペパンを焼いて、障害のある若者が届けてくれる牛乳と一緒に売っているお店をやっています。
映画の内容に関しては、時評編に少し書きましたので、それを読んでください。
千代を演じているのは、高橋恵子さんです。
千代の人生に何があったかは、ほとんど語られていませんが、それがどんなものだったかは伝わってきます。
彼女の歩き方、他者への反応、言葉にはならない絶望感、生きることへのやりきれなさ。
ともかく観ていて辛くなるほどの映画なのですが、不思議なことにどこかにあったかさがあるのです。
最近は消えてしまったけれど、私が子どもの頃にたくさんあったような、あたたかさです。
ところで、映画の中の千代の歩き方を見ていて、もしかしたら私もあんなふうに人生を歩いている時があると思いました。
心身が重くなって、歩けなくことがある。
前に進めなくなって、人が嫌いになって、気が失せてしまう。
千代役の高橋恵子さんの演技は、恐ろしいほどに心に入ってきます。
その重い足取りは、彼女の店でパンを買って、崖から飛び降りた人たちの人生を背負ってしまっているからだろうかと最初は思いましたが、そうではないでしょう。
千代が背負っているのは、父親の死であり、その死を受け止めなければいけなかった母親の死なのです。
つまり、かけがえのない人との、不条理な別れです。
私の場合、背負っているのは節子一人です。
千代は映画の最後に、たぶん心身を軽くするきっかけに出会います。
映画には予兆しか描かれていませんが、千代は生きはじめるのです。
歩き方は変わるでしょう。
実は誰にもきっかけはたくさんあるのでしょう。
私にも、あるはずです。
実にさまざまなことを考えさせられた映画です。
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