■節子への挽歌2537:お花が届きました
節子
今年もお盆が近づきました。
また隣の宮川さんがお花を届けてくれました。
節子が逝ってしまったのとほぼ同じ時に、宮川さんの母上も亡くなったそうです。
新盆が一緒だったこともあり、毎年、思い出してお花を届けてくれるのです。
それもいつも立派なお花ですので、恐縮してしまいます。
どうお返しすればいいかよくわからないので、毎年、もらいっぱなしなのです。
こういうお付き合いは、私はとても不得手なのです。
いつかお返しできる時はくるでしょうか。
宮川さんの花で、今年も迎え火の季節だと実感しました。
節子がいなくなってから本当に季節感がなくなってしまっています。
明日は節子を迎える準備をしなければいけません。
でもこれもまたいささかややこしい話です。
いつも節子はわが家にいるはずなのですが、お盆にはその節子は仏壇に隠れてもらい、改めて精霊棚を整えて、節子を迎えるわけです。
お迎え用の馬とお帰り用の牛ですが、牛はわが家の畑で取れたナスでつくります。
馬用のきゅうりは今年もダメだったのですが、ちょうど節子のお姉さんから野菜がどっさり届いたので、それをつかいましょう。
明日は節子が好きだった杉野さんの梨を買いにいってこようと思います。
今年は私たちもまだ食べていないのです。
杉野さんと引き合わせてくれたのも、節子でした。
最近はお盆といっても、わが家にはお坊さんは来ません。
ですから私が般若心経を唱えるのです。
節子にとってはあんまりありがたみがないかもしれません。
幸いに声はほとんど回復したので、大丈夫でしょう。
仏壇の前がこれから花で賑わいだしますが、それに伴って、私の気分は逆に沈みがちです。
お盆から、節子の命日に向けての3週間は、私には毎年、少しだけ辛い時期なのです。
その辛い時期も、今年で7回目になりました。
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