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2014/08/02

■節子への挽歌2528:花火なのに心身が華やかになれません

節子
今年の手賀沼花火大会は娘たちと4人でゆっくりと見ました。
ジュンの連れ合いの峰行は、毎年、自分のお店があるため、見られなかったのですが、今年はお店を休業にしてゆっくり見ようということになったのです。
節子がいた頃はお客様も多く、その対応に追われていました。
手賀沼の花火の日は、来客の日、「ハレの日」になっていました。

節子の病気が再発した夏にも、お客様が来ました。
節子と私は花火を見ることもなく、冷房の効いた病室に籠もっていましたが、それがいわばあまり感じのよいものではなかったので、節子がいなくなってからの花火の日は、むしろ「ケの日」になってしまいました。
それでも来る人がいると、節子の文化をある程度受け継いだユカは、その接待に気をつかい、結局、落ち着かないというので、昨年からは声かけをやめました。
今年もちょっと迷いましたが、峰行が来るというので、家族4人だけで、花火を堪能することになったのです。
もっとも、私自身は堪能というわけには行きません。
いろいろと複雑な思いの1時間半でした。

わが家の小さな屋上の目の前が、手賀沼の花火会場です。
水上花火も見下ろせる位置なのです。
さらに、松戸や佐倉など、他にも数か所の花火が遠くに見えます。
でもやはりどこか退屈です。

1時間半の花火を見終わって、節子の位牌に向かって思わず口に出してしまいました。
花火を見て一体何の意味があるのだろうか。
人は冷静になると、その人生は貧しいものになるのかもしれません。
最近の私の生活は、間違いなく、貧しく退屈です。
意味を見出せないほどに、貧しく空疎なのです。
節子にさえ呆れられるほど、貧しい暮らしになっているかもしれません。

花火好きなはずの私が、一向に花火に心身が動かない。
自分ながら驚きです。
「ハレの日」であるはずの手賀沼花火大会の日が、また「ハレの日」に戻ることはあるのでしょうか。

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