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2014/08/09

■「毎朝泥棒に感謝している」

一昨日、声を出さないようにするために「自宅謹慎」していたのですが、退屈なので本を読みました。
フェイスブックで誰かが最近一番世界で読まれた本と紹介していた、トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」です。
上下の600頁ほどの本なので、ますます退屈しました。
例によって、30分ほどで跳ばし読みをしてしまいました。
2つだけ共感した話があります。

まずはその一つの紹介です。
こんな話です。

2006年秋、イスラエルの友人ヤアロン・ユズラヒに訊きたいことがあったので、連絡をとろうとした。携帯電話に何度もかけるのだが、応答がない。ようやく自宅に電話して捕まえた。「ヤアロン、携帯電話はどうしたんだ?」「何か月か前に盗まれた」ヤアロンが答えた。始終、鳴って集中を乱されるので、代わりを買わないことにしたのだという。「それ以来、毎朝泥棒に感謝して、長生きしろよと祈っているんだ」。

私は携帯電話をあまり「携帯」していないのでみんなから叱られています。
自宅でも携帯電話は手元にあまり置いていません。
生活に分けいってこられるのは気分が良いものではないからです。
それに、そもそも電話が嫌いなのです。
顔も見えない人と声で話すのがどうも苦痛なのです。

それでもある時から携帯電話を使うようになりました。
受信を考えずに、発信だけを考えると、実に便利だからです。
まことにもって身勝手なのですが、実に便利です。
しかし、最近は、受信する自分の迷惑のことを考えて、極力使わないようになりました。
よほどの緊急でなければ、メールにしています。
メールは受発信ともに自分で時間管理できるからです。
毎日、朝と夜、そして日中も数回メール確認しますので、基本的にはそれで不都合はありません。
ただフェイスブックのメッセージで連絡してくる人への対応は時々忘れます。
フェイスブックもまた、私はきちんと対応していないからです。
というか、私のなかでは、フェイスブックはそういう位置づけなのです。

さて携帯電話の話です。
いまちょっと迷っています。
ヤアロンのように、携帯電話を捨てようかどうかです。
残念ながらまだ決断が出来ません。
私も相当、現代の生き方に依存してしまっているようです。
もう少し考えようと思っています。

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