■節子への挽歌2551:不思議な空間
節子
相変わらず喉の調子がよくありませんが、今日は湯島に発声のプロが2人やってきました。
声育士の菅原さんと声みがき術の牧野さんです。
菅原さんは節子も何回か会ったことがありますが、NPO法人感声アイモの事務局長です(たぶん)。
牧野さんは、私もつい最近知り合ったのですが、本業はボーカリストです。
ロイヤルナイツのメンバーだったので、たぶん私も節子もテレビでは何回か見ているはずです。
私の声を治しに来たのではありません。
共通点があるので、お2人をお引き合わせしたのです。
ところが、話がどんどん広がり、気がついたら、なんとホツマツタエや東日流外三郡誌などの話になってしまっていました。
その話題になるとやはり口を出したくなり、私もまた喉を使ってしまいました。
最後に久しぶりに菅原さんの発声の手ほどきがありましたが、その時はもう手遅れでした。
困ったものです。
2時間も話したのですが、2人はどうも話し足りなかったようで、私と別れた後、喫茶店で続きをやるといっていました。
湯島は初めてだった牧野さんは、帰り際に、不思議な空間と時間でしたと言いました。
どういう意味でしょうか。
牧野さんが「不思議な空間」と表現してくれましたが、実は同じような言葉を過去にも2回ほど受けています。
言葉は違っても、同じような感想を聞いたこともあります。
その「不思議な空間」に、私は25年間通い、そこで「不思議な時間」を過ごしてきたわけです。
ですから、私自身が「不思議な存在」になってしまっているとしても不思議ではありません。
最近、私の生き方や考え方は、どうも非常識のようで、ほとんどの人に理解されていないことを感じています。
フェイスブックでもそうですが、私の書き込みへのコメントは読み違いが多いですし、湯島での会話もあんまり正確に伝わっていないようです。
人は「不思議な存在」は理解しませんから、不思議とは思いませんが、牧野さんにはやはり不思議だったのでしょう。
不思議であることがわかる人とは、つきあいやすいです。
人が分かりあうというのは、難しいことです。いや不可能かもしれません。
世間の人たちと考えをシェアできないのは仕方がないのかもしれません。
しかし、正直、ちょっと寂しい気もします。
だから人は伴侶を求めるのかもしれません。
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