■死なせてはいけない
STAP細胞論文事件に関連して、笹井さんが自殺しました。
衝撃的でした。
死んではいけないし、死なせてはいけないと、ずっと思っていました。
笹井さんが、自殺を考えるように追い込まれることは、周りの関係者にはわかっていたことでしょう。
しかし、誰も止めようとしなかった。
理研という組織の本質がそこに見えます。
以前、野依さんのことを少し厳しく指弾しましたが、私が一番予感していたことは、小保方さんか笹井さんの自殺でした。
組織を束ねるトップの人が守るべきは、組織ではなく組織に集まっている人間です。
野依さんは、それがわかっていなかった。
それがわからない人は、たとえノーベル賞をもらおうと天才的な研究者だろうと、その任を引き受けるべきではありません。
一番の被害者は、野依さんになるかもしれないと、その時は、思いながら書いていました。
それが現実になってしまいました。
自殺は、最後の選択肢ではありません。
しかし、多くの場合、そこに追い込まれてしまうのでしょう。
自殺は主体的に選ぶ行為ではなく、追い込まれて強制された選択ではないかと思います。
そしてそれは一番悪い選択であることが多いのではないかと思います。
自死遺族の方から、自殺が悪いと言わないで欲しいといわれたことがあります。
自殺した父親が咎められているように感ずるからと言うのが、その理由でした。
自殺した人を責める気はありません。
しかし、自殺に追い込んだ人は責任を感ずるべきです。
寄ってたかってこの事件を話題にした私たちも、責任の一端を担っていることを忘れてはいけません。
それにしても、なぜ笹井さんの周りの人は「死なせない」努力をしなかったのか。
佐世保市で、殺人動機を持つ娘を放置した父親が責められていますが、結局はその父親と同じことをしたわけです。
その自覚が野依さんにあるでしょうか。
組織を預るとはそういうことです。
笹井さんの同僚たちはどうだったのか。
自殺は、当然予想されたことの一つですが、考えたくない、関わりたくない、だったのでしょうか。
実に哀しくさびしい。
そんな社会や組織でいいのか。
自殺予防対策費として、政府は毎年かなりの予算を投じています。
自治体もいろいろと取り組んでいます。
しかし私には全くとは言いませんが、瑣末な取り組みのように感じます。
ささやかに関わらせてもらうたびに、何か違うものを感じます。
大切なのは、近くの人を死なせないようにすることです。
死ななくてもいいことをわからせればいいだいけです。
それは決して専門家の仕事ではありません。
友人知人の仕事です。
いや広義の意味での隣人の勤めです。
それが生きるということです。
理研には、それが欠けていたように思います。
友人も知人も隣人も、さらには「生きている人」もいない組織と社会。
そんな社会にしてしまったことを、私たちは懺悔しなければいけません。
笹井さんのご冥福を、心から深く深く祈ります。
小保方さんいじめをしている皆さんも、ぜひ言動を変えてほしいです。
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